タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう
なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)
◆大手町の午後
外資系損保会社三年目の船橋啓介は柳の芽吹く夕方の丸の内を江戸橋から東京駅を左手に見て大手門に向かって歩いていた。ここは丸の内、多くの一流企業がひしめく街だ。帰国子女の英語力だけで採用されたが、英語は社内の役員と話すだけで、外回りには必要ない。
むしろ漢字が書けなかったり、世間知らずの方が問題になった。「それで大学出ているの?」など嘲笑されることは日常だった。それでも啓介はアメリカの本場カレッジベースボールで鍛えた体力と屈託のない笑顔と体育会の礼儀正しさで営業成績は同期の中でトップクラスだった。
しかし傍目には順調に見えたかもしれないサラリーマン生活が、どうも彼には面白くないのだ。販売する保険はいつも同じ、自分で企画したものではなく、上から与えられたものだ。中央区、千代田区、港区をくまなく回り、新規の客を探し、代理店を回る。
「ありがとうございます」と「すみません」を多発して一日を終わる。どうでも良いことに礼を言い。悪くなくても謝る。日に日に言葉の種類は少なくなり、心の中の思いと、口をつく言葉が全く違う毎日だ。こんなことを繰り返して一生を終えるのだろうか。
あの平井係長のように変な英語で役員におべっかを使い、俺たちには売り上げの事しか言わないようになるのだろうか。月末を過ぎればまた次の月、同じことの繰り返しだ。年に何年かの売り上げキャンペーンも、もう飽きた。
そんなことを考えて大手町を歩いているうちに、いつの間にか日は傾き、皇居の森が堀に影を落とす時刻となっていた。しかし黄昏時にもかかわらず、人の流れは衰える太陽とは反対にさらに勢いを増しているようだった。この季節の人ごみには、黒っぽいリクルートスーツの若い男女が多く混じる。若さが際立つとというのではなく、その異様ともいえる黒一色のスーツ姿だけが彼らを就職希望者と言わしめるのだ。彼らは一群となってビルに飲み込まれ、また吐き出されている。
黒くて細くて無表情の彼らは、黒い魚の群がビルの谷間に群がっているように見える。魚の顔が見分けられないように、彼らの顔も全く一様に見えた。色がない。「Looks colorless」と啓介はつぶやいた。
それは白や灰色や黒と言った無彩色の意味ではなく、かといって透明でもない無の色なのだ。コンクリートの海底を移動する色のない大群。こんな魚たちがうごめく海底にスキューバダイビングしたら気持ち悪いだろうなと啓介は思った。すぐに体を翻して海面に戻ろうとするだろう。
しかし、もがいても、もがいても体は沈んでゆく。だんだん自分の姿も魚に変わって行く。そしてもうだめだと思う刹那に人の声微かに聞こえて来るのだ。そしてそれは母の声で、無理やり開けようとする両目に、母の顔が朧に見えて、段々はっきりして、それが紛れもない母の顔だと分かると啓介は朝が来たことを認識するのだった。
だから彼はいつもスーツ姿の人の群れの中に、何か違うものをいつも無意識に捜してしまう癖がどうしても抜けなくなってしまっているのだ。それはユニホーム姿の宅配便の男だったり、清掃人だったり、作業着を着た工事人だったり、はたまたその場には不釣り合いのホームレスだったりする。
啓介はそういう人々を見てほっとする自分を変だと思っていた。そして今も、群れる魚群の中に異質なものを無意識に探していたのかもしれない。そして一瞬、そこに顔らしき物を見たような気がした。そこにだけには色があった。
ブルーのベースボールキャップの下で笑っている赤銅色に焼けた顔も有った。そしてそれは見覚えのある誰かの顔、そう、それは輿水敏夫、敏ちゃんの顔だった。
ありえない偶然。啓介は悪夢から覚めたような気がした。敏ちゃんも啓介に気が付いて驚いた顔になったかと思うと顔をくちゃくちゃにして笑っている。
文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。
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