バルテノン神殿やニケ神殿で知られるアクロポリスからみたアテネの街は、息を飲むほどに美しかった。アテネの街を一望できるこの丘は、家族や恋人を連れた多くの観光客の笑顔で溢れていた。古代アテネの人々にとってアクロポリスが信仰の対象だったとすると、生活の中心だったのはアゴラと呼ばれる地区だ。アテネのアゴラは紀元前6世紀ごろから発展し、経済や政治の中心地として機能してきた。アクロポリス駅から地下鉄で数分の場所にあるモナスティラキ駅を出たところに、アゴラ地区はある。(横浜支局=細川 高頌・横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程4年)
改札を出ると、観光客で溢れるアクロポリス駅とは明らかに異なる雰囲気が広がっていた。駅前の広場では、アフリカ系と思われる10人ほどの黒人が、観光客の隙を見てミサンガを手に巻きつけ、売りつけようと狙っている。その奥では4人の若者がマイクを片手にラップバトルを繰り広げる。少し先に進むと、路上に布団が等間隔で並んでいる。小銭を求める紙コップを持った手だけが、布団の中から伸びていた。
商店街を進むと、ドラッグ中毒の男女が抱き合いながら言葉にならない声を発している。道の端には泡をふいた男性が座っている。その奥では、両手がなく、皮膚病からか元の皮膚の色が分からなくなった男性が、箱の中に入れられた小銭を口で数えていた。
この場所を見ると、2009年に始まったギリシャの経済危機の傷は、まだ癒えていないように感じる。2015年11月の時点でのギリシャの失業率は24.6%。同時期の日本の失業率は3.3%であることを考えると、その異様な高さが分かる。
財政危機に対し、ギリシャでは緊縮財政で対応してきた。しかし、昨年7月に行われた緊縮財政の是非を問う国民投票では反対票が賛成を上回り、国民が政府の政策にノーを突きつけた。この国の見通しは、まだまだついていない。
ギリシャの若者は現在の状況をどう思っているのか。アテネ市内にあるパンテイオン大学で社会学と政治学を学んでいるダナエ・ストエムさん(21)に話を聞いた。彼女は現在、週4日、1日8時間ホステスの受付として働いている。給料は月に4万5千円ほど。同じホステスで清掃員をしている40代の女性は、週5日、1日13時間働いて毎月8万円の給与を得ている。「私たちの職場は、毎月きちんと給料が払われているだけまだマシ」毎月の給料が支払われない職場も少なくないという。
「政府に頼らず、自分の力で生きなさいって、ママは私に言うの」国民投票で反対多数だったのにも関わらず、ツィプラス政権は債権団体に屈して緊縮財政政策案を受け入れた。国民の多くは今の政府に強い不信感をいだいている。
「でも私は思う。こういう時だからこそ、個ではもはや太刀打ちできない。ギリシャ国民がチームという意識を持たなければ改革はできない。そのために必要なのは、他者へのリスペクトと徹底した議論」
今の中高年世代だけでは、もはや改革はできないと彼女は話す。「ギリシャは昔、世界の中心だった。ギリシャ国民はそのことを誇りに思っている。でも今は違う。他国からの援助なしではもはやこの国は成り立たない。そのことを受け止めた上で、再出発しなければいけない」。
彼女の言葉からは、政府によるトップダウン式の組織改革ではなく、若者を中心とした下からの力でギリシャは変わっていかなければいけないという強い意志を感じる。
「今の状況に暴動で応えてはいけない。デモだけでもいけない。詩や歌、アートなど、様々な表現を駆使してチームを作っていきたい」。若者が、低迷を続けるギリシャ経済の救世主になる日はくるのだろうか。
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