兵庫県立大学経営学部3年の中川七海さんは6月11・12日、宮城県気仙沼で音楽フェスを開こうと企画している。フェスのテーマは、「震災への意識ゼロをまずはイチへ」。現在、クラウドファンディングREADYFOR(レディフォー)で開催資金の一部を集めている。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

第一回目のゼロワンフェスは150人が集まり大成功に終わった=2013年9月、気仙沼市民会館で

第一回目のゼロワンフェスは150人が集まり大成功に終わった=2013年9月、気仙沼市民会館で

中川さんが企画しているフェスの名称は、「ゼロワンフェス」。東日本大震災への啓発の意味を込めた。2013年と2014年の9月に開催しており、今回で3回目となる。今回は初めて2日間開催し、400人の集客を目指している。

中川さんは大阪生まれで、東北とは縁もゆかりもなかった。初めて東北を訪れたのは2013年4月。きっかけは、気仙沼で活動するNPO法人底上げ代表の矢部寛明さんの話を聞いたことだ。矢部さんは、兵庫県立大学の防災を学ぶ授業にゲストとしてきた。

その授業の前日に、神戸で開かれた復興支援をテーマにした音楽イベントCOMIN’KOBE(カミングコウベ)に行っていたこともあり、東北に関心を持っていた。授業後、矢部さんに話しかけ、「知り合いになってください」と伝えた。すると、「じゃあ、気仙沼で待ってるよ」と返され、こうして、中川さんと気仙沼の関係が生まれた。

神戸から車、飛行機、電車を乗り継ぎ南気仙沼に到着すると、「すぐに魚が腐った匂いがした。建物に残っている黒い横線の高さを見て、津波の脅威を感じた」と言う。矢部さんに気仙沼を案内してもらっていると、ガレキの中に、どろどろになったポイントカードを見つけた。その瞬間に、「地震のとき、私は偶然、大阪にいたが、もしここにいたら・・」と感じて、胸の中で何かが沸き起こってくるような衝撃を受けたという。

2012年4月、中川さんが初めて気仙沼を訪れたときに撮影した写真

2013年4月、中川さんが初めて気仙沼を訪れたときに撮影した写真

そうして、「今からでもいいから何かをやろう」と決意した。これまでの私みたいに東北に関心のなかった同世代に伝えるイベントを企画しようと考え、音楽フェスに行き着いた。出演するアーティストは地元気仙沼の出身者。

フェス企画の経験はないが、中川さんがプロデューサーとなり、アーティストの出演交渉、営業、スタッフ管理などを行った。「どんな正論や綺麗な方法論よりも、音楽ひとつで人々の心は動く」という思いに共感した人が、続々と中川さんに協力し、1回目は150人が集まり、成功に終わった。だが、2回目は悔しい結果となった。2回目に集まったのは100人にも満たなかった。その原因は、「準備不足」と振り返る。

ゼロワンフェスを企画した中川さん(左)。フェスでは、入場料の一部を復興支援団体に寄付する仕組みだ

ゼロワンフェスを企画した中川さん(左)。フェスでは、入場料の一部を復興支援団体に寄付する仕組みだ

多くの人の期待を裏切る結果となり、しばらくは落ち込む日々が続いたが、去年の夏に福島で開かれた音楽フェスに誘われて行った。中川さんを誘ったのは、気仙沼出身の志田淳さんで、1回目のゼロワンフェスにthe Revaiz(リバイズ)として出演したアーティストだ。そのフェスで、人のパワーを感じて、「環境のせいにしてはいけない」とスイッチが入り、3回目のフェスに挑むことを決めた。

中川さんは、音楽フェスを通して気仙沼を初め多くの人とのつながりを持った。そのつながりがあったからこそ、今日まできた。音楽を聴きに気仙沼に来て、「何かを感じてほしい」と輪を広げていく。

・中川さんが挑戦中のクラウドファンディグはこちら

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