地方創生が盛り上がってから、首都圏から地方へ移住する若者に注目が集まるようになりました。一方、地方から首都圏へ行く若者がいるのも事実です。なかでも被災地で熱心に活動していた若者が都心へ出て行くのを見ると、どうしてなのだろうか?と考えます。今回はそうした被災地から首都圏へこの春に旅立った学生のインタビューを紹介します。二人は私が出会った中でも特に優秀だと感じた学生であり、東京へ行く直前にインタビューしました。(野村 尚克)
東北大学大学院経済学研究科をこの春に修了した井上尚人さんは山形県出身の24歳。発災時は同大学の経済学部に通う1年生でした。その後、様々な支援活動をスタートさせます。支援ネットワークの立上げや、復興プロジェクトの代表、被災した苺農家への支援や仮設住宅へのボランティアなどです。
野村「井上君とはじめて出会ったのは2012年の観光庁『Japan. Thank You.アクション』に東北の学生メンバーとして参加してくれたことがきっかけですね。あの活動は成功に終わって、みんなで発信したメッセージは世界中で流されました。井上君たちの力はとても大きかったです」
井上「僕は震災で被災した地域の支援活動に携わっていました。そうしたところ、あの活動を知って。はじめはどんな活動なのか興味があって参加しました。いまとなっては貴重な体験です」
野村「井上君は被災地と県外の学生をつなぐ団体をはじめ、東北大生によって運営されているHARUの代表を務めたり、仮設住宅を訪問したり。僕が出会った学生のなかでも最も多くの支援活動をしていた一人です。さらに、大学卒業後はそのまま大学院へ進学し、そこでも支援活動を継続していた。だから、てっきり支援業界に行くのかと思っていました」
井上「僕は自分が代表を務めた活動の他に2つのNPOでインターンシップをしました。両者の取組みは違いますが、どちらも被災地支援に関するものです。そこで、NPOの現状を知ったんです」
野村「どのようなことを知ったの?」
井上「一番大きかったのは資金に困っているということです。これまではNPOの役割にばかり目が行っていましたが、実際に傍で見ると難しさが分かったんです。そして簡単には解決できないということも。それでNPOへの就職は考えないようになりました」
野村「でも、あれだけ支援活動に携わってきたのだから、NPOではなくても被災地の企業という選択はなかったの?」
井上「まず、NPOではなくて企業へと考えたのは実力をつけかったからです。企業の方が鍛えられると思ったんです。NPOへ行くのはその後からでも良いと考えました。そして場所も考えて。僕は大学から仙台に来て、ここに6年生活しています。仙台は大好きで友人や知人がたくさんいます。しかし、ここに安住していては自分の限界を突破できないと思ったんです。だからここを出て、より厳しい環境のところへ行きたいと思いました」
野村「それが東京だったのですね。ちなみに就職先はどのような業種ですか?」
井上「コンサルティング会社です。ITや業務変革を専門としています。就職活動の中でそこで働く人たちが素晴らしく、さらに僕の活動についても真剣に聞いてくれたんです。そうした人の魅力と実力をつけるのにこれほど良いと思える職場はありませんでした」
野村「そこで力をつけた後は宮城に帰って来るの?」
井上「それはわかりません。いまはまだスタートしていませんし、どこまでやれば力がついたと言えるのか。しかし、僕には将来やりたいと思っていることがあります。それは子どもへの支援です。待機児童の問題や子ども向け施設などをサポートしたいと思っています。しかし、それはNPOを立ち上げることなのか、ボランティアとして関わることなのか。方法はこれから見えてくると思います」
野村「なぜ、子どもへの支援に関心があるの?」
井上「それは僕が母親一人に育てられたからだと思います。正確には母親と祖父母に育てられたのですが、そうしたなかで母の頑張る姿を見てきました。そして被災地でも頑張るお母さんや子どもたちの姿を見てきました。それが一番大きな理由にあると思います」
野村「井上君は山形県出身だけど、仙台では一人暮らしをしていたよね。学費や生活費はどうしたの?」
井上「奨学金を借りていました。大学は国立なので私立に比べれば学費は安いですが、それでもこれからの返済額は大きいです」
野村「そのような状況なのにボランティアに積極的だった。その時間を使えばアルバイトもできたと思うけど、どうしてあそこまで頑張れたのですか?」
井上「震災で大学のクラスメイトが犠牲になりました。そしてボランティアをやったのですが、そこで遺体を探されている消防団の方に会いました。その時に、「君と同じぐらいの子がたくさん亡くなったんだよ」と言われたことがあまりにも衝撃すぎて。当時の僕では感情として受け取れなかった気がします。それから、少しして、「生かされた」と思うようになりました。そして、復興というものに携わってみようと思ったんです」
野村「井上君はクールで、“俺たちが復興させるぞ”といったことは自ら言わないタイプだよね。口数の少ない山形人らしいというか。ここまで活動を継続できたのはどうしてですか?」
井上「ボランティア活動ではたくさんの人と出会ったのですが、その方たちから刺激と経験、考えや色々なことを教わったんです。特に遠方から何度もボランティアに来てくださる方々を見ると、自分が逆の立場だったらここまで出来ただろうか?と自問自答しました。そして、現地の学生がもっと頑張らなきゃと勇気を頂いたんです」
野村「ここまで長期で活動していた学生は珍しく、井上君は東京でも必ず活躍すると思います。被災地の最もたいへんな時期に最後までやってきたんだから」
井上「でも、宮城を離れることにはためらいもあります。あれだけやってたのに宮城離れるのか、みたいな反応も多くて。裏切り者と言われても言い返せません」野村「そういうためらいは持たなくて良いと思います。確かに被災地の学生だからやるべきという考えもあるけど、それは『地域軸』であって、『年齢軸』という考えも別にはあって。これは社会を引っぱる年齢がやらなければならないという考えなんだけど、この2軸でマトリックスをつくると分かりやすくて、一番頑張らなければならないのは被災地の働き盛りの人たち。次に被災地に住む井上君たちのような学生と、被災地外の働き盛りの人たちとなる。でも、被災地外の働き盛りの人に対して、あなたも復興に取り組むべきとは言わないでしょ?それと同じで被災地にいたからといって学生がそこまで背負う必要はないよ。まずは自分が社会で生き残れることを第一に考えることが大事なんだから。」
井上「そう言ってもらえると助かります。わがままかもしれませんが僕の人生なので、これから東京で実力をつけたいと思います」
野村「それで良いと思います。ところで井上君の会社の最寄駅には100種類の日本酒が飲み放題の店があるのを知ってる?井上君は僕が出会った中で最も日本酒を飲む学生だったから(笑)、今度連れて行きますね。歓迎会しましょう」
井上「ありがとうございます!楽しみにしています(笑)」
◆
宮城大学事業構想学部をこの春に卒業した武山紗綺さんは、宮城県石巻市出身の22歳。発災時は高校2年生でした。石巻市は被災した市町村の中で最も多くの人が亡くなった地域で、武山さんの自宅も津波で全壊。これで進路が変わりました。
野村「たけたけ(※武山さんのあだ名)と出会ったのは2012年の『aCtion!×tohoku』プロジェクトですね。僕がプロデュースしたもので、学生自らの力で支援活動するというもの。その説明会で出会ったんですよね。当時は大学1年生でした」
武山「そうです。Facebookで知って。それで友だちと一緒に参加しました」
野村「なぜ参加したんですか?」
武山「私の故郷の石巻市はとても大きな被害を受けました。復興にはまだまだ支援が必要な状況で、自分にできる活動を探していたんです」
野村「あの活動では最終的に被災地の人に着目した発信を行ったけど、みんなが作成したポスターはコンクールで特別賞を受賞しましたね。同賞は全国の観光協会と広告代理店が応募する最も歴史あるもので、学生だけの作品で入賞したのは唯一。あの活動ではたけたけをはじめ、学生の力の凄さを教えられました」
武山「あの成果はみんなの力が大きかったと思います」
野村「ところで、たけたけの家は津波で大きな被害を受けたんだよね?」
武山「全壊でした。私はその時は高校に居たので家族とは離れ離れになって。家に帰れたのは翌々日です。そこで家が壊れたのを目の当たりにしたんです。でも、幸いなことに家族全員無事でした」
野村「その後は避難所に暮らしたのですか?」
武山「いえ、以前からお付き合いのあった方の家に家族でお世話になりました。私も少し居ましたが、高校がはじまってからは寮に入りました。そこで進路が決まりました」
野村「それはどういうこと?」
武山「私の通っていた高校は私立で学費がかかりました。それが津波で家が全壊となってしまって。大学はお金のかからない地元の国公立へ行くことに決めたんです」
野村「それまでの希望はどこだったの?」
武山「東京の大学へ行きたいと思っていました。当時の成績では指定校への推薦が受けられたんです(※GMARCHの1つ)。しかし、東京の私立は学費もかかれば生活費もかかります。そこで諦めたんです」
野村「それでは家計を考えて進路を変えたのですね」
武山「そうです。そうしたところ宮城大学に受かって。公立大学なので学費は安いのですが、さらに私の家は被災したということで全額免除になりました。でも、石巻から通うのは難しくて、大学の近くに家を借りました」
野村「その費用はどうしたの?」
武山「奨学金を借りました。生活費は奨学金とアルバイトで賄いました」
野村「たけたけはaCtion!×tohokuだけではなく、被災企業での販売や学祭実行委員、国際交流サークルの代表などもやっていたよね」
武山「そうです。学生時代にできることはやりまくったと思います(笑) 宮城大学に入って良かったです。とても良い人たちに出会えて。宮城県に残って良かったと思っています」
野村「でも、就職は東京へ行くんだよね?」
武山「まだどこに配属になるか分かりませんが本社は東京にあります。医療機器を販売している会社です」
野村「なぜその会社にしたの?たけたけなら内定はたくさんもらったでしょ?」
武山「はい、いくつか頂きました。しかし、就活するにあたって、私は医療機器、食品、通信の3つの業界に絞ったんです。それにはやっぱり震災が大きく関係していて。この3つは震災時にとても必要だったものなんです」
野村「でも、なぜ東京の会社なの?同じ業界で東北の会社もあるだろうし」
武山「それはいままで宮城でしか生活したことがなかったからです。大学で東京へ行きたかった時もそうでしたが、一度出たいと思っていたからです」
野村「それはどうしてですか?」
武山「離れるからこそ見えることがあると思うんです。外へ行くからこそ見える宮城の良さがあって、自分自身のこともわかると思うんです」
野村「将来は宮城に戻ってくるのですか?」
武山「まだそこまでは考えていません。どのような生活になってどういった人生になるのか。でも、宮城のことは大好きですし、復興にはまだまだ時間がかかると思うので支援は続けて行きたいです」
野村「アルバイトで石巻の商品を販売していたよね。石巻の企業が連携した元気復興センターさんで。東京の霞が関ビルに来た時には僕も行ったけど、たけたけの営業の上手さに気づいたらたくさん買ってしまって(笑)。あのような企業に勤めたいとは思わなかったのですか?」
武山「石巻元気復興センターさんの代表者は震災後に私たち家族がお世話になった方なんです。そうしたご縁からアルバイトをさせて頂いたのですが、一緒に活動する中でみなさんの様な大人になりたいと思いました」
野村「どういったところがですか?」
武山「みなさん、石巻を盛り上げたいという想いが強くて、商品に対してのこだわりも強く持っていて。そして、自分たちが活動しなければ復興しないという意識もあります。本当にカッコいい大人だと思いました」
野村「でも、就職先にとは考えなかったんですね」
武山「それは一つに外に出たいという思いがあったのと、外で揉まれることが必要だと思ったことがあります。震災後のしばらくは支援のための購入や、ふるさと割というのがありました。でもこれから必要なのは商品力や営業力です。それはより厳しいところで揉まれることで身につくことだと思うんです」
野村「宮城を離れることについて何か思うことはありますか?」
武山「まだ復興していませんし、支援は必要です。しかし、いまの私の力で貢献できることには限界があるとも思います。被災地から外へ出た友だちの中には同じように悩んでいる人もいて。でも、もっと外の世界を知って、自分を高めることが必要だと思います」
野村「たけたけならどこへ行ってもやっていけると思います。一番キツい場所に勤務してもやっていけると思うよ」
武山「会社の人にもそう言われます(笑)。でも本当はそうでもないのですが…(笑)」
野村「宮城に戻ってきたときには、またあのメンバーで集まりたいですね。というかあのメンバーは飲んでばかりいたような(笑)。みんなの進んだ道は違うけれど、一緒に活動したからこそ話せることもあるし。たけたけの活躍を応援しています。頑張ってください」
武山「ありがとうございます。早く一人前になってきます!」
◆
二人の考えや置かれた状況は違いますが、共通することは成長するために厳しい環境へ挑戦しようとしていることです。もちろん被災地も厳しい環境にあり、挑戦の場もあります。しかし、その質は違います。二人が望む挑戦の場は東京にあったということだと思います。
地方創生に取組む大学の中には「地域学」といったカリキュラムを作り、地域の企業や行政と連携しているところがあります。そして地域への就職率の向上を目指し、その目標値を掲げています。確かに地域のことを教え、地域の企業と接点が増えれば就職率は向上するでしょう。しかし、同時に企業側が求めている主体性があって、自ら考える力を持った人材が育成されると、逆に出て行く学生が増えるようにも思います。そして、このような活動を通して「地域愛」を作れても、そのことで逆に出て行く学生も増えるかもしれません。ここに地方創生と人材育成のジレンマがあります。
今回の二人のインタビューでこうしたことを一般化することには限界があります。しかし、二人以外の学生たちを見てきても思うことは、優秀だと思う学生ほど挑戦しようと首都圏へ行くということです。これは古くからある課題であり、ここに真剣に取組まなければ本質的な課題の解決にはならないでしょう。
この二人はこれから間違いなく活躍する学生で将来が楽しみな人材です。こうした学生が地域の為に活動したいという場をどう作れるか。それがいま地域に求められていることではないでしょうか。
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