タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆グリーン株式会社

そう言えば末広さんは保険に入りたいとか言っていたっけ。いつもは世間話を手土産に保険を売るのだが、末広さんには保険を手土産に色々なことを聞いてみたい。一休みもしたいし。事務所で寝られたらもっといい。

末広に貰った名刺に電話をかけてみた。繫がらない。では訪ねて行ってみよう。東京駅から永代通りに出て、黄色の信号が点滅するだけの大手町の交差点を右折して日比谷通りを神田橋の方に曲がった。この辺までは社有の黒塗りの乗用車が帰宅する重役たちを乗せて過ぎ去っていたが、どの車も堀端に向かってから日比谷方面と竹橋方面に分かれて走り去っていった。

なぜそれらの高級乗用車がすし詰めでないのか啓介は不思議だった。帰宅難民に乗客が一人の高級車。日本も格差社会になったのだなあと考えながら神田橋を渡った。川は日本橋川と言う神田川の支流だ。この川に沿って保険会社や銀行、証券会社に商品先物取引の会社が並び、繊維の街を横に見て、川は隅田川に注ぎ込む。

14号地図

その川沿いを本流の神田川の方に少し折れてから路地に入って名刺の住所にたどり着いた。大通りから少し外れるとビルも古く小さくなる。ここは神田だ。そのなかでもひときわぼろい雑居ビルの階段を啓介は上がった。エレベータのない4階が末広の会社だった。

「グリーン株式会社」と日の丸に下手な字が書いてあるドアを押した。ソーラー発電の会社だか右翼の事務所だかよくわからない看板だ。やれやれ、今日は良く歩いたと啓介は思った。しかしよく歩いたと言うのは変だと思い直した。ここは自分の家ではない。「ここまでよく歩いた」と言うべきだろう。また少し揺れた。啓介はそっと灰色の金属性のドアを引いた。 

「こんにちは」
「どうぞー」と野太い声がした。
「突然すみません」テレビを見ていた大きな背中の男の首が捻じれて半分こちらを向いた。
「君かい」

末広は啓介の来訪に特別な関心を示さなかった。良くもない悪くもないほんのそこまで出かけていた家族が帰って来た時に見せる顔と声だった。
「突然お邪魔してもうしわけありません」不意の飛び込み営業で繰り返すあの口上を啓介は述べた。

末広はそれに対して「大変だね。ビール飲む?」と応じた。
彼はデスクの上でペンや鉛筆を入れるために置いてあったコップのボールペンや鉛筆をテーブルにぶちまけてからそれに缶ビールの残りを注ぎ込んで啓介に渡して言った。

「原発がやられた」
「えっ、ミサイルにですが?」
「いや津波だ」
テレビには空色に塗られた箱のような建物から薄く煙が出ている画像が映っていた。

原発

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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