戦後70年代の近代化を支えた石炭の産地として知られている北海道・夕張市。しかし、石炭の需要が次第に薄れていくに連れ、次々と閉山し、街から人が減少していく衰退も隠せなくなってきた。そんな中で、地域資源としての「炭鉱遺産」の保存とそれを活用した地域再生への取り組みを手掛ける青木隆夫さんにお話を伺った。(武蔵大学松本ゼミ支局=大石 恭平・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)

青木さんは炭鉱が衰退していった悲しみをにじませながら語ってくれた

青木さんは炭鉱が衰退していった悲しみをにじませながら語ってくれた

「炭鉱遺産」としてのツーリズムについて、青木さん自身どう思っているのだろうか。「観光は後からついてまわってくるものであり、初めから特別、観光や遺産という意識はなく、その街が、街の人が残したいと思うものを考えていた」と話してくれた。

高齢化も著しく進む街の中で、炭鉱の時代を知る人も少なくなるがいないわけではない。そういう人たちが、「ここに炭鉱が存在していた」「女性労働者もたくさんいた」という意識と誇りを持てるように、また暮らしやすい地域づくりのために取り組まれていることを感じた。

青木さんはまた「歳をとるにつれて、炭鉱の中で暮らしていた人なんか特に、なるべく夕張を離れず、炭鉱社会の中で築いた人間関係を軸に、ここで幸せに暮らしたいと思っているのではないか」と、夕張市民の故郷意識についても話してくれ、夕張への想いも垣間見えた。

夕張ではデジタルアーカイブを活用した地域振興の一つとして、夕張国際ファンタスティック映画祭を催している。もともとは、行政がスポンサーとなって行っていたが、夕張市が自治体として破産した後は、市民が主体となって立ち上げたNPOが引き継いで運営をしており、炭鉱遺産をアーカイブとして活用している。

様々なジャンルの映画を上映する中で、炭鉱の街を舞台にした映画もある。イギリスやボスニアヘルツェゴビナの炭鉱ドキュメンタリーなどもあり、それらを夕張と照らし合わせ、広い視点で見ることで自分たちの住む夕張について深く考え、客観的に捉えることができるといえ、“国際”という言葉が組み込まれている。

「映画祭の中で、映像アーカイブとして地域の人に見てもらいたい」と青木さんも話してくれた。炭鉱社会の街という歴史的な遺産を活用し、映画祭という形でも地域を盛り上げている。

取材後、青木さんに案内をしていただき、夕張市内を周った。炭鉱をもとに石炭博物館をつくり、夕張を盛り上げるためツーリズムを図った。それに加えて、その周辺もテーマパークにして多くの人に夕張に来てもらおうと考えていた。ただ、あまり発展はせずに破綻してしまったのが現状であり、青木さんは「行政からの支援さえあれば…」と嘆いていた。私たちもその現状を見て、街が閑散としている印象を受けた。

石炭博物館周辺にテーマパークとされていた名残がある

石炭博物館周辺にテーマパークとされていた名残がある

青木さんは地域の活性化を図るため、「鹿ノ谷ゼミナール」と称し、夕張のことをもっと知る勉強会を一つのツールとして活動をしている。

毎回、30人ほどの参加者を集める規模で開催していて、今回は私たちも、その勉強会に参加した。この日は、ゲスト講師を招き「明治・大正期の地方新聞から読む夕張」と題した講義が開かれていた。

「ただ、ゲストで来ていただいている方にしっかりとした報酬は渡せていなくて、ほぼボランティアとしてやってもらっているので心苦しい」と胸の内を明かした青木さん。

地域に根付いた活動をするには、課題や苦労することが付きまとうというわけである。それでも夕張のために、街の人のために活動を行っている。もともと夕張に深い思い入れがあったわけではない。それでも「何十年もここに住んでいれば、ここでずっと暮らしたいと思うようになる」と、青木さん自身も夕張に強い想いを持つようになり、夕張の街を大切にしていることが伝わる。

夕張といえばメロンというイメージが強い街ではあるが、炭鉱という地域遺産もあるということを伝えたい。特に炭鉱時代を知らない私たちのような若年層に向けて、炭鉱も地域ブランドの一つとして知ってもらうことが課題に挙げられる。

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