今週から夏休みがはじまったが、熊本の人たちに浮かれた表情は見られない。それはボランティアが減少し、観光客の戻りも見えないからだ。復興には多くの人の支援が必要だ。
しかし、熊本地震の報道が減り、現地のことが知れない状況では、ボランティアは必要としているのか?観光に行って良いのか?が外からは分からない。そうしたなか、東京の大学に通う3人が熊本へ行ってきた。現地では災害ボランティアに参加して観光をしてきた。シリーズ「いま、熊本へ行くこと」として、これから3人の体験記を紹介する。
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熊本地震で被災した熊本へボランティアに行ってきました。初めて被災地へ行って、実際にこの目で見たのですが、行動してみないと本当の意味で理解することは難しいと感じました。全国の報道では、熊本地震を取り上げるニュースは減り、人々の関心は低くなっているかもしれません。そのような中でも、一度は被災された地域や人たちのためにボランティアをしたいという思いを抱いた方は多くいると思います。私もそのような一人であり、いまも求められる「災害ボランティア」に参加してきました。(明治大学法学部2年=木村 勝/千葉県在住)
今回の滞在期間は6月25日から28日の3泊4日。
成田空港から熊本へは直行便で約2時間。到着するのは、4月の地震で最大震度7を記録した益城町に位置する熊本空港です。着陸する前に飛行機の窓から下を見ると益城町が見えます。町の中の一部に集中してブルーシートで覆われている光景を目にしました。これは家の瓦が地震の影響で滑り落ちるなど様々な理由から住宅の屋根にダメージを受けたために、応急措置としてブルーシートを張っているのです。最近ではこのブルーシートが破れるなども一部で起きています。
私たちが行ったボランティアは、「トリプルボランティア」と言うもので、「災害」「観光」「伝達」を同時に行うものです。「災害ボランティア」は地震のボランティアということから一番イメージが浮かぶ瓦礫撤去などをするもの。ここではその災害ボランティアについて書きたいと思います。
熊本入りした翌日、私たちは熊本市のボランティアに参加させていただきました。こちらは熊本市内のボランティアセンターがボランティアを必要とする人たちの声を集め、ボランティア参加者を送っています。
私たちは朝の7時半に熊本市中心部にあるボランティアセンターへ行き、ボランティアをするための整理券を受け取りました(整理券配布日時は時期によって異なるので、熊本市の災害ボランティアセンターのSNSで確認することが望ましい。)
そして、8時半頃よりボランティアに行く人の説明と振り分けが始まります。私たちは、一人暮らしのおばあさん宅でボランティアをすることになりました。決定後は注意事項や説明を受け、その後はバスで40分ほどかかる被災者宅へ向かいます。バスはボランティアなので無料で乗れました。
バスの移動中、他の被災者宅へと向かう北九州から来た学生たちとお話しする機会がありました。そこで、大学の団体としてボランティアに来ているということを伺いました。詳しく聞いてみると、北九州を含めて九州地方にある一部の大学では、率先してボランティアに参加するよう学生に呼び掛けているそうです。こうしたボランティアの輪がもっと全国に広がれば熊本の復興も進むと思いました。
そして、ボランティア先に到着すると、私たちを80歳近くのおばあさんが一人で待っていました。全員でご挨拶をすると早速ボランティア活動に入ります。ボランティア内容は、地震によって家の中の大きな家具が壊れ、そして移動してしまっているので、その整理や廃棄処理をするものです。
おばあさんは現在一人でその家に暮らしているものの、元は家族全員で住んでいたため、広く・築年数が古い家でした。家の中は壁が歪み、壁紙がはがれてしまっていましたが、「生活に支障があるとかないとかいうよりも、この家には想い出があるし、これからも住み続けたい」ということをおっしゃっていました。
私たちは5人で伺ったので、整理を一気に進めることができましたが、ボランティアをしているときにも熊本の人たちの温かさを感じることができました。
それはボランティアが来ていることを知った隣の家の方たちが、重い荷物を運ぶための台車を貸してくださり、さらにその家の小学生の女の子も一緒にボランティアしてくれたからです。
そして、他の近隣の方々も会う人会う人に、「ボランティアに来てくれたの!ありがとうね。わざわざ。本当に助かります。」という言葉をかけていただきました(ボランティアは腕にシールを張っているのでひと目で分かるようです)
ボランティア先のおばあさんに聞くと、震災当日も隣のお宅から無事であるかどうかの確認をしに奥様が尋ねに来て、一緒に夜を外で明かすなどをしてくださったそうです。
そして、時間になり、ボランティアの作業を終えると、おばあさんは私たちに感謝の言葉を伝えるとともにフルーツや栄養ドリンクを出してくれました。その時はボランティアなのに物を頂くことはいいのだろうか?とも思いましたが、そうした善意は受けても良いと聞いていたので皆で有難く受け取りました。また、被災して大変である状況下でも忘れない「感謝」の気持ちを受けて私は感動しました。そしてそのままおばあさんとお話しをしました。
おばあさんは最近の睡眠に関して、「震災から2か月半近くたった今でも熊本地震の発生時刻の1時25分の前になると目が覚めてしまう。一時は、目が覚めたあとも寝付けない日々が続いていた。」とおっしゃっていました。
このことは前日に熊本で会った人からも、「1時25分までは絶対に眠れない。なにかまた大きな地震なり災害に見舞われるのではないか。必ず25分を過ぎたことを確認してからでないと眠れない。」と聞いていました。
このように、被災された方の中には被災したという事実と同時に、恐怖心をいまも持ち続けている方がいるということを改めて知りました。
そして、時間が経ち、おばあさんとお別れする際には、「今日はありがとうね。また友だちを連れて遊びに来なさい。」とおっしゃっていただき、自分に新しいおばあちゃんができたかのように別れを惜しむほどの気持ちになりました。ぜひまた、次は長い休暇の際に会いに行こうと思いました。
今回、私の災害ボランティア体験から、80歳近くのおばあさんが1人で暮らして被災することは少子高齢化が進むにあたって今後増えていくのではないかと思いました。高齢者の一人暮らしでは地震で家具が倒れてきた際には、直すこともままなりません。また、近隣住民が気付いてあげるという普段からの地域コミュニティ力も大切だと思います。そのため、今後は近隣住民との強固なネットワーク形成や、高齢者の健康に取り組んでいくことなどが必要となってくるのではないだろうかと思いました。
私は災害ボランティアをしたこの日以外にも、初日に熊本市内の被災状況を見る機会がありました。さらに、3日目に益城町を見る機会がありました。そのことも少し伝えたいと思います。
初日に熊本市内を歩いていると、建ち並ぶ家屋に3色の張り紙が張ってあることに気づきました。
これは「応急危険度判定」といい、地震によって被災した建築物を調査し、余震などによる倒壊の危険性や外壁・窓ガラスの落下、転倒などの危険性を判定するものです。人命にかかわる二次的災害を防止することを目的としています。
その判定結果が、家の見やすいところに貼ってあるのですが、これはあえて見えるようにすることで、居住者だけでなく通行者に対してもその建築物の危険性について知らせることができます。赤い紙(危険)は最も危険な建物に貼られています。そのほとんどが木造で築年数もだいぶ経っているのが印象的でした。
また、3日目の益城町では2日目の熊本市とは大きく異なり、被災地と聞いて皆さんが思い浮かべるような光景が広がっていました。熊本市はまだ人の動きが見えたのですが、益城町はそうではありませんでした。私は、一地域内でも倒壊した建物と倒壊しなかった建物が顕著に表れているのを間近にし、どこかぎこちなくなりました。
私たちは2日目にレンタカーを借りて益城町の災害ボランティアセンターへ行きました。もちろん災害ボランティアをするためですが、この日は受付時間前に締切となり、ボランティアに参加することができませんでした。ニーズより多くのボランティアが来たからだそうですが、こうしたことは良くあることだそうです。
こちらのボランティアセンターは熊本市の雰囲気とはかけ離れ、ボランティアの服装も作業服というよりは工事の時に着るような専門的な服装が多く、体格もがっちりとした人たちが揃っているのが印象的でした。
ボランティアに参加できなかった私たちは、新しく出来たという復興屋台村へ行くため、そのまま町内を車で走ったのですが、被災状況を見るにあたって町全体から重く身体にのしかかる雰囲気を感じました。
町の中を見ると全壊の家が多く、もしも自分が被災していたらと思うと、ただ呆然とどうしたらいいのかわからない感覚になりました。そして、こうした光景は続いていて、いまも残る被災した建物を見ると時間が止まっているかのようでした。
しかし、前へ進んでいる場所もあり、市内には私たちが訪れた数日前から「益城復興市場・屋台村」がオープンしていました。ここは、倒壊するなどで休業となってしまったお店が集まって出店しているところです。
テントの中にはお店が何店舗かあり、この日は悪天候でお客さんが少なかったのですが、私たちを笑顔で迎えてくださいました。その姿を見ると復興を強く願う思いを感じ、一日でも早く店での営業ができるようにと思いました。
今回、熊本へボランティアに行ってみて思ったことは、皆さんに是非ともどのような形であれ、行って、そして見てほしいということです。また、ボランティアというものに興味はあっても参加に躊躇してしまうと言う人は多いと思います。
私の経験したボランティアは自分の中のボランティアに対する新しい考え方を見つけたものですが、それは被災者支援をするだけではなく、主要産業の一つである観光も行い、そして風化しつつある熊本のいまを私が見て感じたことを伝えるものです。
今回の熊本ではおばあさんや小学生、大学生や商店の人たちなど、被災された中でも必死に毎日を生活する方々と出会い、どの熊本の人たちも本当に素晴らしい方ばかりだと思いました。
「ボランティアでは温かい気持ちと出会うことができる」。
これは、私が熊本に行って心底感じたものです。ボランティアに対して、私は今回の経験でとても身近なものとして感じることができました。
ボランティアを求める声はいまもあり、ボランティアの手を借りなければ前へ進めない人もいます。
しかし、高齢者の方々や、ボランティアを求める声が一部の地域に集中するなど、少し見つけにくくなっていることも感じました。今回伺ったおばあさんも、私たちの前に一度ボランティアに来てもらっており、再度お願いすることに悩んだと言っていました。
ボランティアは被災状況によってニーズが変わります。今後のボランティアの中には、被災した方が自らお話しすることに対して耳を傾ける「傾聴ボランティア」も必要と聞き、私も熊本での経験から必要だと思いました。
そして、「農業ボランティア」も必要と聞きました。この農業ボランティアは「東海大学熊本キャンパス復興支援チーム Vukki」の学生から教えて頂いたものです。
「踏み出せる一歩に価値がある」
私はそう確信しています。
もしもボランティアに興味があるならば、ぜひとも一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。
ボランティアには、被災された方を支援するだけではない、素晴らしい出会いも生まれると私は思います。
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