8 月21日から 24 日にかけて、宮城県石巻市で学習支援ボランティアを行った。このボランティア活動の二本柱は、学習支援と災害研修である。この活動を通して多くの学びがあった。(早稲田大学高野ゼミ支局=米山 知奈津・早稲田大学国際教養学部三年)

復興が進む女川町。津波に飲み込まれ、震災以前にあった建物は姿を消していた

復興が進む女川町。津波に飲み込まれ、震災以前にあった建物は姿を消していた

◆学習支援

石巻市内のある中学校の生徒達を対象に学習支援を行った。この子達が震災を経験したのは、小学校低・中学年の頃。この子達は皆、命がいつ何時奪われてもおかしくないという事実を本能的に知っているかのようだった。彼らは、身近な一つ一つのことに本気になる。目の前の宿題、休み時間のリレー。ボランティアのインストラクターの言葉が忘れられない。

「ここに今住んでいる人達は、ここに残って生きていく覚悟を決めた人達なんだよね。そんなお父さんお母さんの子供達だから、こんなに真剣に生きているんじゃないかな」。そしてこの子達は皆、本当に素直だった。同級生の仲間を指差して、「こいつ、〇〇出来るんっすよ」と嬉しそうに教えてくれる。そう言ってもらった仲間はすかさず、「いや、こいつ△△出来るんっすよ」と照れながら友達を褒め返す。

彼らは人の良い所を知っていて、認めていて、それを他の人にも教えてあげられる。また、私の解説を何度も聴いて分からなかった問題が分かるようになった時、彼らは必ず輝くような笑顔を見せてくれた。彼らの笑顔は本当に素敵だった。

女川町に建てられた石碑。過去の教訓が未来に未来に活きるようにという願いが込められている

女川町に建てられた石碑。過去の教訓が未来に未来に活きるようにという願いが込められている

◆災害研修

津波の被害が深刻であった、女川町と大川小学校を訪れた。目の前には更地があり、倒壊した建物があり、震災当時の話をして下さっている地元の方がいた。それでも、津波到来時の状況を現実にあったものとして想像することは、最後の最後までできなかった。3.11 の後、テレビで何度も津波の映像を見て、自分が東日本大震災について真剣に受け止め考えてきたような気がしていた。

しかし、どこかでこの震災を他人事だと感じている自分がいた。震災から五年が経った今、やっとその事に気付いた。「どうしてもっと早くにこの地に足を
運ばなかったのだろう」、私が見たのは、たくさんの人の五年間の努力によって復興が進んだ後の東北だった。震災直後の東北の生々しい様子を目に焼き付けるべく、もっと早くに足を動かせば良かった。

今、ただただ悔しい。しかし、今回東北に足を運んだからこそ今からできる事がある。それは、被災地で見た事、聞いた事、感じた事をなるべく多くの人に伝え続けていくこと。そして、今後の防災のために、リーダーシップを取っていくことである。防災において発揮すべきリーダーシップとは、「防災に関する知識を付け、災害発生時にその知識を生かして自分と他者の安全を確保すること」と「正しいことを率先して行う勇気を持つこと」である。前者はつまり、自分の居住地区の地形や地質の特徴を頭に入れておき、災害発生時にそれを基にして最善の行動を判断するということである。

そして後者は、揺れを感じたら瞬時に机の下に潜る等、命を守るための行動を自分がいち早く取ることである。正しいことをするのは、時に格好悪く感じ
るかもしれない。ただ、考えて欲しい。そのような些細な理由で命が奪われても良いのかを。地震大国と言われる日本。そこに住んでいる以上、我々は震災のリスクと共に生きていかなければいけない。

しかし、自分のこれからの行動次第で、自分や他者の生存の可能性を高めることはできるのである。これまで頑張って生きてきた命を無駄にしないために、今日、日本市民全員に考えて欲しい。「今後の震災の犠牲者を一人でも減らすために、今から自分にできることは何か」

震災後の姿そのままをとどめる大川小学校。校舎の隣には生徒も教師も登り慣れた山があったにも関わらず、山への避難は行われることなく、74 名の生徒と 10 名の教師が学校付近の道路で津波の犠牲となった

震災後の姿そのままをとどめる大川小学校。校舎の隣には生徒も教師も登り慣れた山があったにも関わらず、山への避難は行われることなく、74 名の生徒と 10 名の教師が学校付近の道路で津波の犠牲となった

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