タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう
なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)
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◆シジュウカラ
なんだか平井が気の毒になった。思い出したら電話が来たなんて気持ちが悪いと思ったが、この人とはなんか縁があるのかなあとも思ってみた。縁ってなんだろう。出会いだろうな。地震も出会いかな?いや地震は生き物ではない。巨大な龍のように暴れるけれど動物ではない。ではバースデーはどうだ?グリニッシュやイースター、昨夜のリスは?北の空を見上げると赤岳が朝日に赤く輝いていた。
秋に見るあの山ひだが一つ一つ見える。鋭い輝きではなく、どこか間の抜けた暖かい輝きだ。大昔、富士山と背比べをして気張りすぎて山頂を吹き飛ばしてしまったと言う昔話を聞いた事があったが、山は生き物ではない。では縁はないのか?いや俺の人生に影響を及ぼすのなら生き物でなくても縁があるのではないか。由美子はどうだ。生き物でも縁がなかった奴もいる。
啓介は一輪車を逆立ちさせて馬糞を捨てた。傍にいたニワトリがふわっと浮き上がって馬糞を避けた。こいつらとも縁があったのかな?一輪車を引き戻し、納屋の方に押しながら考えた。でも縁ってなんだろう。からからと空の車を押して末広の所に戻ってから末広に聞いてみた。「縁ってなんですか?」
馬をブラッシングしていた末広が怪訝な顔をして啓介を見つめた。しばらくして「ここに来た事の縁を考えてるのか?」
「そうかな」啓介はぼやけた質問をしたものだと自分で思った。しかし末広から返ってくる言葉からキャッチボールが始まって、何回かのやり取りでボールは強さを増して心臓の前に構えたグラブに小気味よいボールをぶつけてくるのだと期待した。
「乾草をこの位の厚さにして持ってきてくれ。その間に考えておく」
案の上、返ってきたボールはヘロヘロ玉で、おまけに啓介の前で二回ほどバウンドしていた。
「乾草はどこにありますか」啓介も山なりのボールを返した。
「昨夜の場所だ。バース教えてやれ。」
末広がバースデーで命じた。犬は尻尾をちぎれるように振ってから、イスラムの礼拝のように前脚を前に伸ばして頭を下げた。しかしイスラムの人々がやるように目は伏せず。嬉しそうに末広を見ながら、耳を後ろに倒してワンとキャンの間のような声を出して吠えた。
おごそかさとは縁遠いその伏せを元気いっぱいに3回繰り返した。それから踵を返して厩の方に小走りになってから、しばらくして啓介の方を振り返り、啓介がついて来るのを確認した。「バース大丈夫だよ。ちゃんと付いて行ってるよ」真っ直ぐに伸びた唐松の梢で黒白模様の小鳥がビーシュビーシュと歌っている。それはバース、バースと呼んでバースデーをからかっているようだった。犬は乾草の場所まで来ると、ここだよと言わんばかりのしぐさをして、すぐ末広の所に走り返ってしまった。啓介は乾草を積んで末広の所まで戻ると言った。
「小鳥がバース、バースといってバースをからかっていますね」
「からかっている奴はカラってえんだ。あそこの奴はシジュウカラ。しじゅうカラカッテルってる、なんちゃって。そのほかにゴジュウカラ、俺みてーな年の奴とかヤマガラなんて奴がいるけど、名前は知ってるよな?」
文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。
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