フィリピンを舞台に障がい児への教育支援を行う全盲の日本人女性がいる。NGOフリー・ザ・チルドレン・ジャパンの職員、石田由香理さんだ。彼女は1歳3カ月で全盲になったが、大学進学、単身留学などいくつもの困難を乗り越え自分の夢を実現させてきた。(石松 瑶=慶応義塾大学総合政策学部1年、藤岡 咲希=慶応義塾大学法学部3年、徳田 千秋=桜美林大学リベラルアーツ学群4年)

石田さんは全盲であるが有名大学を卒業し、英語も話せる。フィリピンでは石田さん自らどのように勉強してきたのか教えている

石田さんの活動拠点は首都マニラにある「フィリピン国立盲学校」。そこでは、150人ほどの学生が学んでいるが、1907年に設立したため施設が老朽化していた。

寮は築47年で、100人弱が入寮しているが、屋根が平であるため太陽の熱を直接入れてしまう造りになっていた。寮内の気温は午前でも35度を超えていた。

そこで、石田さんは昨年末、クラウドファンディングで1000万円ほどの資金を集め、同施設の改修を行った。寮内のスペースを増やし、屋根を三重構造で三角形にし、換気扇を設置した。

フィリピン国立盲学校

点字プリンターは視覚障がいを持つ生徒に情報を伝える貴重な機材

生徒へ配る教材を印刷する点字プリンターなどの機材も新たに購入した。点字プリンターは1台しかなかった。教材を生徒に配布することができずにいたという。

フィリピンにおいて、視覚障がいをもった子どもの権利侵害は深刻である。一般の子どもの就学率が96%であるのに対し、視覚障がいを持つ子どもの就学率は5%以下だ。

「障がい者は学んでも仕方がない」という価値観が根付いていることが背景にある。なかには、出生届すら出されず、「いないもの」として一生を終えるケースも少なくないという。

親が学校に通わせたいと思ったとしても、視覚障がいを持った子どもを通わせるためには、兄弟姉妹がいない場合はヘルパーを雇う必要がある。だが、貧困家庭にヘルパー代を払うことは厳しい。

石田さんは同校の教育環境を改善していき、社会参画する卒業生を一人でも多く輩出したいと考えている。視覚障がいを持っていても、立派に働ける姿を社会に発信することで、同国に根付いた偏見を取り除くことを目指している。 

「フィリピンでは障がい者を教育してもどうせ就職できないと思われている」――。石田さんのこの言葉には、現状への怒りが込められていると感じた。彼女がそう感じる背景には、自身の大学進学時の体験とフィリピンで偏見に遭う視覚障がい児が重なってみえたからではないだろうか。

高校までを盲学校で過ごした石田さんは3年生の夏、周りの友人が進路に悩む時期に大学に進学することを決意した。しかし、その旨を母に打ち明けると衝撃的な言葉が返ってきた。

「障がい者はお前が思っているよりも邪魔者になる。大学に進学してもしょうがない」母からこんな言葉を受け取るなんて想像もしていなかった。

17年間育ててくれた母への信頼が一気に崩れた瞬間だった。しかし、石田さんはここで折れることはなかった。

一体なぜか。それは陰ながらも石田さんを応援してくれる存在がいたからだ。石田さんは受験勉強で使う参考書を全てボランティアに点字にしてもらっていた。実は彼らとは面識はなかった。

彼らは会ったことがない石田さんのために徹夜をしてまで点訳に励んだ。そんな彼らが作った参考書を手にしたことで、「もう後に引くことを許されなかった」と当時を振り返る。

「とにかくやるしかない」と勉強に励んだ。現役では合格できなかったが一浪の末、国際基督教大学に合格した。浪人時代は朝4時に起きて、深夜まで勉強していたという。

大学進学後は受験時に色々な人から受けた恩を返すように、経済的な理由で夢を叶えられない子どものために支援したいと思うようになった。

フィリピンとの出会いは大学生のときだ。フィリピンへのスタディーツアーに参加した。英語が堪能であった石田さんは、同行した日本人学生が話す日本語を英語に訳していた。

現地の教師が健常者よりも流暢な英語を話す全盲の石田さんを目の当たりにし、驚愕した。その教師は、「君は日本で一体どんな教育を受けてきたんだ。私はあなたにとても興味がある」と、石田さんに声をかけた。

環境の整っていないフィリピンで教鞭を執る教師にとって、石田さんは「光」であった。同時に、閉ざされていた石田さんの心にも光が宿った瞬間であった。「この国だったら、私も必要とされる」と感じたという。

石田さんは「フィリピンは恩返しの場」と語る。日本に生まれたからこそ享受できた支援を、フィリピンの子どもたちにも与えたいという思いが、活動の原動力となっている。

「同じ視覚障がい者なのに、生まれた国によって得られるチャンスに差がある現状を、他人事にはできない」。石田さんは、「障がい者の権利」を取り巻く日本の現状は、行動範囲を広げようとした多くの先輩方の苦労の上に成り立っていると主張する。そして、今の時代を生きる私たちは、その歩みを周辺国へ伝えていくべきだと強調した。

フィリピン唯一の盲学校で、生徒や先生とともに、視覚障がい者の社会参加の機会を広げ、教育環境を整えていきたいと考えている。

視覚障がいを持つ生徒でも輝ける卒業生を生み出し、すべての障がいを持つ子どもたちに希望を持ってもらいたいという。

取材の最後に石田さんは、こう述べた。「何かをやる前からできないと言うのはどうなのか。勝手にダメだと決めつける前に、本当にダメなのか実際にやってみるべき」。

これこそ石田さんが最も伝えたかったメッセージである。

*この記事は日本財団CANPANプロジェクトとオルタナSが開いた「NPO大学第2期」の参加者が作成しました。

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