AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)の革新が進んでいるが、SNSも含めた広義のネットワーキング(つながること)の中に、多様なかたちをもつ、多形(ポリモルフィック)な価値観が生まれようとしている。
2000年に生まれた子どもが、今年で18歳になろうとしている。そして、2020年の東京オリンピック、バラリンピックを二十歳の成人式とともに迎えることになる。この世代はZ世代と呼ばれ、インターネットやSNSに物心がついた頃から馴染んでおり、その後も先端的な情報プラットフォームを使った新しいつながり方の中で、周りの状況を察し理解しながら成長してきた。状況の意味付けや仲間との合意をネットワークの中で生みながら、共鳴し合うことにはとても長けた世代である。
一方で、経済成長期終焉後の長期経済低迷期の中で育った世代でもある。社会構造のグローバルなパラダイムシフトも進む中で、「どう生きていけばよいのか」、「どのように暮らし」、「どのように働き」、「どのように居場所や幸せを創り出せばよいのか」等々、この世代には、自分たちで自ら考えなければならない問題が山積する混迷の時代が到来する。
包容力(トレランス)と共鳴(コンソナンス)が、キーワードだ。先端技術と人間社会の課題がモザイクのように散在する社会に向き合うためには、多様な人々と、あるいは自分の中の多様な個性と共鳴し合いながら、そして、新しい価値観に耳を澄まし、共創の場を作り出す包容力が、新しい時代の価値を創り出す。
ここでは、21世紀の先端技術の深い理解を追求する一方で、科学では用意できない真善美の追求も必要になる。暮らしや働き方や居場所の中に、新しい美意識や感覚体験を創出する場が生まれ、懐が深く(トレラントで)、物腰が柔らかで品格のある(ジェントルな)社会の実現が、課題先進国と言われる日本にこそ求められているのではないか。
人間の次元を重視する暮らし、働き方、居場所、幸せを生み出す21世紀の価値とはどのようなものだろう。そのような問いに向き合わなければならない時代になっている。
このような人間の次元を紐解くためには、50年、100年、あるいは千年の時間を感じ取り、そのあり方を問う、時を超えた想像力が必要になる。
1959年、前回の東京オリンピック・パラリンビック開催の5年前に、イタリアに渡った少女がいた。
筆者は、松永統行氏(国際社会経済研究所)と戦後のパラリンピックを見つめ続けた吉田紗栄子氏をお招きし、お話を伺った。
◆「人間を重視した価値とは何か」
~ジェット機が飛んだ1959年のローマから~
池田:今日は、バリアフリー建築のトップランナーでもある吉田紗栄子さんをお迎えしての議論ですね。
松永:吉田紗栄子さんは、バリアフリー建築とかパラリンピックというキーワードで取材されることが多いのではないかと思いますが、1959年に16歳でイタリアに渡られた女性が見続けたものが何だったのかという視座から、人間を重視した価値とは何かというテーマを広げさせていただければというのが趣旨です。群れで行動するペンギンの中で、どのような状況かがわからない海の中へ、魚を求めて最初に飛び込む一羽のペンギンをファーストペンギンと呼び、NHKの朝ドラの中でもテーマになりましたが、まさに、前回の東京パラリンピックのころのファーストペンギンと呼ぶのにふさわしい女性ではないかと思います。
1959年、高校生の時に渡られたローマで、どのような体験をされたのでしょうか。
吉田:1959年というのは、ジェット機がヨーロッパ線に初めて就航した年で、ローマにゆくといっても、北回りでもモスクワ経由でもなく、香港、マニラ、バンコク…中近東と渡りながら、各空港で2時間をかけて給油しながら、24時間くらいかけてローマに到着するという時代でした。それでも、日本が初めてヨーロッパ線を就航させた年でした。
松永:このシリーズの第二回にポリモルフィック・プレイスの時代というテーマで、東京タワーが竣工し、テレビ放送が始まったのが1959年、1960年にはカラーテレビ放送が開始され、1964年の東京オリンピック、パラリンピックを迎えるところから人工物のあり方を議論したのですが、この頃から、海外から日本を捉え続けたお話は、特に若い方たちには貴重ではないかと思います。
航空機で人の大量輸送が始まったのが、ジャンボジェット機が就航した1970年頃とのことですので、それよりさらに10年も前の話で、今の若い方がイメージする飛行機の旅とは大きく異なっているのではないかと思います。
吉田:その時のことが、朝日新聞に掲載されたのですが、というのは、たまたま隣に東大工学部航空学科の教授でいらした佐貫亦男先生が座られていて、ジェット機時代の幕開けだ、隣にいたのは16歳の少女で、独りでローマに行くと書いてくださいました。香港で機体の不具合で泊まることになり、その折にも佐貫先生に街をご案内いただきながらの旅となり、フライトもとても遅れて、ローマについたのは、夜明けでした。
松永:佐貫亦男先生は、ヒコーキの大家で、1977年に書かれた「不安定からの発想」は今でも読み継がれています。不安定な環境の中で、ものごとを主体的にコントロールすることの大切さは、社会や人生にも通じていて、今でも、若い人たちの心に響き続けているのではないかと思います。
吉田:後での話になりますが、なぜ、建築をやろうと思ったかと問われると、その時に見たアピアアンティーカ、ローマ水道がとても美しくて、…その記憶と、2000年前に作られ今でも使われているという父の言葉が蘇ります。建築や土木というのはすごいんだなあと思って、そのときに決心したような気がします。
松永:ローマ水道は、紀元前3世紀から紀元3世紀まで約500年間の年月をかけて建築され、今でも一部は維持されていると聞きます。すべての道はローマに通ずということわざもありますが、ローマ都市内につられた総長3百数十キロメートルの水道網により、ローマは、ロジスティクスの集積地であるばかりではなく、水の集積地でもあったことに驚きます。先般、ミラノで都市の調査を行ったのですが、時間の感覚が全く違っていることに驚きました。構造物の中でも、道路や水道といったネットワークを作り上げ、それを何世紀も維持してきた人たちの都市の考え方や想像力には迫力がありました。
イタリア文学者で随筆家の須賀敦子さんともご親交があり、ご自宅のリフォームもされたと伺いましたが、須賀さんも当初はパリに留学されていたのにイタリアへ移られたのですよね。イタリアの魅力というのは何なのでしょう。吉田さんや須賀さんを引き付け魅了する圧倒的なものがイタリアにはあるのでしょうか。
吉田:あると思います。不思議なことに、16歳に行った時よりも、歳をとってから行く方が、その力に圧倒されてしまいます、フォロロマーノとか。若い頃はあまり感じなかったのですが、今、行くと、何なのこれはと、圧倒的な時の重みというのを感じます。
◆都市や社会が生み出している圧倒的な力、アフォーダンス
松永:圧倒的なのは、時の重さなんですね。そのように、何かは分からないけれど、人の感覚に訴えかけてくるものをアフォーダンスと呼ぶのではないかと思います。フォロロマーノのような実空間の中にある構造物からばかりではなく、今後、コンピューターを高度に使いこなす社会では、情報空間からもアフォーダンスが生まれていると捉えています。ライフスペース、つまり人の立ち寄るような空間や場所は、都市の実空間の中にもありますが、今、情報空間の中にも生まれています。電車の中をみても、友達と話をしていても、スマホを見ている光景が生まれました。良いか悪いかは別にしまして、情報空間の中に立ち寄る場所や居場所が生まれていると捉えています。実空間にある立ち寄る場所や居場所にヒトの感覚に投げかけてくるような力、アフォーダンスがあるように、情報空間の立ち寄り場所や居場所にもデジタルアフォーダンスがあると捉えて、今、議論を進めているところです。
16歳の少女の心を揺さぶった都市ローマの圧倒的な何か、アフォーダンスとは、どこから生まれるのでしょうか。
吉田:2010年、ローマに、今回のオリンピックの新国立競技場の当初案もデザインしたザハ・ハディドがデザインしたイタリア国立21世紀美術館が近代建築として建てられ、ローマの友人にも誘われ見に行ったのですが、この美術館がローマの風景の中では、私にはとても貧相に見えました。外に出ると素晴らしい遺跡があります。そこには、圧倒的な石の力強さがあり、どのような造形をしても、到底、コンクリートでは対抗できないんです。何か、別の道を選ぶべきだったのではないかと感じました。例えば、フォロロマーノは、機械を入れてギャーンと作っていったわけではなく、石を人の力で積んでいったわけで、人の力というのか、時の重みというのか、加えて物体の重みというのか、そういうものに想起されてくる力強さやバランスに、感覚が圧倒されてしまうのではないかと思います。
◆感覚的な時間を醸し出すアフォーダンス
~手の力が伝えるものと時の重み~
松永:建築の方々は、空間を思考すると思うのですが、形だけではなく、感覚的な時間の要素も強いのですね。
吉田:時の重みというのは重要だと思います。
日曜日に、江戸後期から昭和の初期くらいに建てられた建物を巡って歩く番組があるのですが、それを見ていると、日本の建築も本当にどれも素晴らしいと思います。地方に出かけ、そのような古い建物を見るのが趣味にもなっているのですけれど、そこに入ると、今の新しいビルに入るのとは全然違う感覚があります。
例えば、欄間(らんま)のような手の力がすごく入っているものが集まって、美しさを訴えてくる。質感や形のバランスにも訴える力があって、その上で、時というファクターが大きく効いてくるのではないかと思います。
◆一つの感動が創りだす生涯の幸福感
松永:16歳の時にローマで感動し、年を経て、長く生きてきてこられたことが重なって、今、それ以上に感動することができるというのは、本当に幸せなことですね。
吉田:幸せかどうかと言われたら、周りの皆様のお蔭で、私は、すごく幸せな人生を歩んでこさせていただきました。私が感動したモノやコトについて、若い人たちにお話しをすることがあるんですが、伝えたいのは、お金ではない豊かさをとにかくたくさんもらって生きていくことが本当に幸せだということなんです。
松永:若い人がそのような経験をすることができれば、変わるはずですよね
吉田:テレビでも旅番組をやっていますが、そのようなものを見るということと、そこに行き、その空間に身をおくことは、何百倍もの効果の違いがあるのではないかと思います。
松永:そういう空間に身をおくと、創作や表現をしてみたくなるものなのでしょうか。イタリアに渡られた須賀敦子さんが、美しい文体の文章を紡ぎだすのも、教えられてということではないのではないかと思います。そういう場所に入ると、表現したくてたまらなくなるものなのでしょうか。
吉田:私も少し絵を描くのですが、好きな場所というのがあって、ヨーロッパに行くと、
わぁ書きたいという、中から湧いてくるものがあります。手が自然と動いて、目と手だけでどんどんスケッチが進むのですが、帰ってくるとそれが失せてしまうんですね。須賀さんも感動されて、須賀さんの場合は、美しい言葉で表現したいと思ったのではないかと思います。須賀さんの場合は、それができてしまう方で、美しいものは、そんなふうに中から湧き出るように自然に生まれるものだと思います。
1965年に、初めてデンマークに行ってホームステイをしていたのですが、その家のインテリアというのが、本当に建築雑誌やインテリア雑誌から抜け出してきたように素敵で、その後、他にも障害者の住宅や家も見せていただく機会も多かったのですが、どこの家も皆、素敵で感動しました。
何十年か先に、日本もこんな風になったらいいなと、思い続けていたのですが、北欧には日本からも多くの人が訪れ、見に行ったはずなのに、結局、残念ながら、そうはならなかった。20年ほど前から、これは文化が違うのでできないと気が付いて、日本では日本らしい美しさを探さなければいけないと考え方を変えました。
◆日本は美意識の高い国だったはず
~社会の美意識を支える生活の中の美感~
松永:日本の美意識は高いのではないでしょうか。
吉田:本来、日本はとても高い美意識を持っている国だったと思います。それが、今、無くなってしまいそうなのが、残念で心配です。例えば、景観においても、残っているところは少しでも残そうといった運動がかなり出てきているとは思うのですが、一方で、折角、残っている鎮守の森のような美しい場所を、真平らな土地にしてしまうこともよくあります。自分たちが守る美しい場所に共感したり共鳴する感覚や、我が故郷は素敵なんだと言えるような意識を育むことが大切だと思います。
松永:自分たちの生活や仕事の場に、自分たちの美意識を持つことが重要だということですね。少し前にミラノのスマートシティの調査をしたのですが、ミラノは、9割以上が15名以下の工房のような小企業が集まった都市で、ドイツがIoTやAIを用いることによる製造業の革新をインダストリー4.0と名付け展開しているのに対し、自分たちは、工場制手工業の革新 マニュファクチャリング4.0だといって、デザイン性の高い工芸品(クラフト)を次世代も継続的に生み出そうとする人たちを大切にした機構を都市の中に創りだそうとしています。
ミラノでは、工場跡地等に、必ずしもコストパフォーマンスはよくなくとも、美観性の高い最先端のビルも建築しながら、自分たちのスマートシティを構築しています。情報技術等の先端企業を海外から誘致する一方で、ここに先見性のあるミラノの小企業を合流させ、未来につなげようというビジョンも掲げています。また、新しい開発地区においては緑化も進めて、同時に歩く街にするというビジョンも掲げます。一方、古い建物は、例えエネルギー効率が悪くとも、基本的にはそのまま大切にします。
そのような対極的な新旧の建物や場を共存させるビジョンのもと、2015年のミラノ国際博覧会も成功裏に終えて、観光地としてのブランド力も創出しています。今の日本の考え方と異なっていると感じたのは、最先端技術を使った効率化、例えばエネルギー供給等については、50年先、100年先でもいいという、ゆったりとした自分たちの時間感覚がビジョンの中にあるように見えることです。
吉田:日本には、ビジョンがないのが多くの場面で問題だと思います。一方、イタリアの人たちは、自分たちの街にどんなものが建つのかには、すごく関心を持っているのではないかと思います。
松永:そうですね。また、先ほどのお話で伺いましたように、ローマであれば、紀元前に造られた水道がまだ残っていて使われているわけですから、感覚や文化度のようなものが違うのかも知れませんね。
吉田:そこが全く違っていて、DNAが違うからと思わざるを得ないほどです。北欧の人たちは、機能的に美しいものは、バイキングの時代から綿々と受け継いでいるといっていました。船の形もとても綺麗です。美感とは継承されるものなのです。
デザインというと、ただ形と思ってしまうことが多いと思いますが、北欧では、そこにきちんと機能もあり、そのうえで美しいと感じられることが大切なことなのです。
福祉介護用品について、少しでもデザイン性が欲しいと思って、作っているところを何件か回ったことがあるのですが、それはやっているとか、デザインなどやったらお金がかかって仕方がないと言われてしまうことが多い。
北欧では、公共のごみ箱一つでもデザイナーがデザインしていますし、バス停でも友人のデザイナーがデザインしているのですが、言い換えると、そのようなデザイナーの人たちの地位を皆が支えているということで、そして、それは市民のみんなが美しいかどうかわかっているから支えることができるのです。例えば、ポリシーもなく、あれもこれもと買ってきてしまうようになると、家の中にものが溢れてしまうようになる。生活の中に美感が寄り添わないと、街も美しくしようにも、そういうものが生まれてこなくなってしまいます。
松永:ストックホルムでも、新しいデザイナーを入れ替えながら街を飾ることは、街を維持するコストとして捉えて、街の美観を維持していると聞きました。美観を生むアートに関しては、自分を表出する権利であり、人間としての基本的な権利として皆が捉えているので、自分ではなくても、街を美しくする仕事をしてくれる人を大切にしているとのことでした。
吉田:日本的なシステムなり、根本的な日本の価値観なりを、これからどうやって作っていくのかが、まず日本がすべき、最も重大な課題であるのではないかと思います。
◆世界の若者からみた日本らしさ
松永:日本の街にも美しい街道などが残っています。若い人たちが、吉田さんや須賀さんたちが経験されたような圧倒的に美しいものを感じ取り、また、そこから溢れ出すアフォーダンスに共鳴して、その上でいろいろと考え始めれば、街の環境や景観も変えることができるような気がするのですが。
吉田:海外からの観光客の方も日本らしさを求めて来られているのではないでしょうか。若い外国人の方は、混沌とした東京が好きですね。最近は、これも一つの美で、アジアンティックな美だと思うようになりました。
池田:今の若い人たちが、その土地らしさを持つ場所を訪れることを求めているというのは肌感覚としてわかります。というのも、商業施設もそうですが、どこの街に行っても同じで、また、同じような曲が流れています。その土地独自の文化がなくなっているので、行きたいのはそういうところではなく、また、豪華な宿といったところでもなく、昔からあるすたれた商店街の方に魅かれる感覚はよくわかります。
吉田:田端銀座のような商店街が、たぶん日本の商店街のあるべき姿ではないかとも感じます。クチャクチャしていて、どこのだれかは分からなくても、顔見知りでおしゃべりをする。若い人も好きですよね。谷根千(谷中・根津・千駄木)も流行っています。アパートやマンションで育った若い人たちがなぜか混沌とした場所に出かけます。祖父や祖母の影響を受けたりしているのか、皆、古いものに触れによく出かけているのではないかと思います。
池田:建物も同質化していまっていて、似たり寄ったりのものができ過ぎてしまっていて、そのアンチテーゼのようなところあるのだと思います。だからこそ、その土地らしさというものに憧れる部分が出てくるのではないかと思います。
松永:場から受けるアフォーダンスというのが大切で、今は、アマゾンでモノを頼めば翌日には届けてくれて、ピザも何十分かで届きますが、そんな利便性ばかりの世界では、本能的な違和感が生まれるのではないでしょうか。
場が持っているパーソナリティという言い方をしているのですが、そことインタラクションしたいという欲求が生まれてくるのではないかと思います。
さらに、先ほどのイタリアのお話のように、場に圧倒的な芸術性があると、そこに年を重ねた都市ならではのアイデンティティのようなものも、人間は感受することができるのではないかと思います。
◆若い世代の海外経験とそれを妨げる事情
吉田:それを日本に持ってくることはできないけれど、外国に出てみると日本がやっぱり面白いと思うのではないかと思います。高校生や大学生になったら、一度は外に出て日本を眺める、見直すというのはいいと思います。しかし、留学生は、減っているのですよね。
池田:そうですね。そもそも若者の数が減っているというのもあるのですが、しかし、海外に行きたいという意志は高くなっています。それでも海外に行っていない理由の一つに、日本独特の一括採用の慣習があります。大学3年生の終わりから就職活動が始まりますが、留学してしまうとその流れに沿うことができません。就職活動で不利になるのであきらめざるをえなくなります。
資金面でも、奨学金借りているだけでも、多い人では500万円を背負って大学を卒業することになるので、そこからさらに留学に費用をかけるのは難しいということになります。また、休学したときに、休学費用が50万円かかる大学もあります。
大学としてもストレートに卒業して就職してもらう方が大学の実績になるので、卒業前の在籍中の留学で学歴を得るオルタナティブな学歴や、英語圏の大学で大学生活以外の経験を充実させるために長めに設定されている入学前のギャップイヤーを推奨していない大学も多いのではないかと思います。
◆人間の次元を重視する社会を創るために
吉田:そのような教育の多様性を許容しないということは同じ種類の人たちをつくろうとしているということになってしまいませんか。そこが一番、今の教育の問題点ではないのかと感じます。自分で考えない人間ができてしまっていると、右向け右といえば、その通りになってしまいます。百年、二百年でものごとを捉える国が、隣国にも欧州にもありますが、そういう国から見ると、自分で考えることができない国というのは、本当に脆い国なのだと思います。こんなに小さな日本は、無くなってしまうのではないかと心配になります。ずっと守られ続けてきたので、危機感がないのかも知れません。自分で考えることは最も基本的なことだと思います。
松永:自分たちの都市や街のかたちは、自分たちの時間感覚で、そのあるべき姿を捉え考えてこそ、変化する環境に適応することがでるようになるのではないかと思います。先ほどの佐貫亦男先生のご著書である「不安定からの発想」ではありませんが、自分たちの仕組みを、主体的にコントロールすることができることこそが、不安定な環境で前に進むための秘訣ではないかと思います。日本が課題先進国として向かう、少子高齢化社会は、文字通り先行する事例がありません。
ポリモルフィック、多形化とは、そのような時代の到来に対して、新しい環境に適応しながら社会の仕組みやかたちを柔軟に変える考え方や機構を持って、適応の中で自分たちのかたちを創り出していくことを提唱しています。
今回、吉田さんにお越しいただき、お話しを伺おうと考えたのは、障害者の方は、皆、状況が異なっており、生活を維持するための多様な社会ニーズが存在するのではないかと感じたからです。多様なニーズに社会が対応するためには、必ずしも経済原理だけでは成立しないものがあり、吉田さんが見てこられたものの中に、人間の次元を重視する社会を作るためのヒントが多く隠されているのではないかと考えたからです。
◆相手の立場で変化を感じ取る力
松永:吉田さんの障害者の方たちへの捉え方が大きく変わった転機はどこにあったのでしょうか。
吉田:1964年のパラリンピックのときに、オリンピック村をパラリンビック村にするためのバリアフリーの工事をみていたことが、私にとって人生最大の転機になりました。今のように、エレベータもなく、建築資材を運び込むのも解体工事も自衛隊がやっていた時代です。
松永:バリアフリーといっても、手すり一つをとっても、まだ、日本での規格ができていなかった時代だったのではないですか。
吉田:大学卒業論文で車いすのための住宅というのを書いたのですが、海外では、ドイツでも、イギリスでもアメリカでも、寸法はどうした方がいいといった障害者の方の立場で住宅を捉えたエンジニアリング等の厚い本が何冊も出版されていました。
松永:日本は、現在どうなっているのでしょう。
吉田:今はいろいろあるのですが、逆にがんじがらめになっています。問題なのは、いろいろなレギュレーションができたことにより、これさえ守っていればいいでしょ、といったふうに、多様性や美感がなくなってしまうことが多くなったことです。ポリモルフィックといわれているように、場によって違いますし、プランによっても違います。想像力を働かせていろいろなかたちで対応しなければならないことが多いのに、それらが全て一様です。場合によっては、間違っていることもあります。
法令は遵守していても心がないということになってしまいやすいのが問題で、相手の立場に立ってみることが大きく欠けてしまっています。
松永:そのような課題も若い人たちの前に差し出して議論し出すと、社会そのものが大きく変わっていくのではないでしょうか。
吉田:大学で4年間、教えたことがあるのですが、吸い取り紙のように吸収してくれて、おばあちゃんのために、こういうことをしたいとか、とても反応がいいんです。若いうちの方がよく、若い方に伝えることがとても重要です。
◆「多様性に対し包容力のない社会」
~人間に不適応な社会が、社会不適合者を生んでいる~
松永:そのような感覚で若い方たちが考え始めることが、都市の包容力につながるのではないでしょうか。以前、吉田さんがいわれていましたが。
『障害者は特別な人たちではない、歳をとれば、誰でも、体も変わるし、心も変わる、障害者への対応の問題は、それは、まさに自分の問題でもあり、社会の問題だ。』と
吉田:包容力といわれて、いろいろ考えたのですが、包容力をつけるには、多様性を認めないといけない、ということに尽きませんか。
それが今、例えば、不登校児がその例だと思うのですが、人を判断する基準が一律で決められてしまっていて、それに満たない子は全てだめで、多くの子どもたちがもう行きたくないということになってしまっています。
まずは、『違いがあるということを認める』という、その辺の教育をもっとちゃんとして欲しいなと思います。
松永:一人ひとりを何かの色にしてしまうのですね。
吉田:そうそう。そうしてしまうんですね。
松永;LGBTといわれているような限定的な多様性の訴求もありますが、いわれたように、人は体も心も変わるので、個人の中にも、多様性はありますし、それは、時や場に合わせて流動的に変わります。アーティストや建築家はいつも意識的に自分の、あるいは自分たちの感覚を大切にしていて、そのときどきでモノを捉えますが、普通の人でも、皆が自分や自分たちの感覚で環境に適応するようになれば、もっと自然に老後の自分のことについても、同時に他人のことについても思いやることができるのではないかと思います。自分で感じ考えることが極端に少なくなったのではないかと感じます。
吉田:子どもたちが絵を描くといっても、塗り絵のような半分出来上がったようなものであったり、自分でゼロから作っていくというのが本当に少なくなったと思います。この前も、孫が家庭科で枕カバーを作るといって、何を持ってきたかというと、カタログを持ってきました。ドラえもんがいいのか、花柄がいいのか、他の柄がいいのかを選ぶことをさせています。型紙から布から糸から全て入っているキットを与えられて、ものをつくるということが教育になっています。
何かを提示されている中から、どれかを選ぶ、それしか教育されていないとすれば恐ろしいことだと思います。母親が街の布地屋さんに連れてってあげるから、好きな生地を選びなさいと言っていました。
◆人に寄り添うことができるコンピューティングの時代がやってくる
吉田:コンピューターの世界もイチゼロの選択肢の世界ではないですか? Yes or Noをズンズンズンズンと連ねていって、グレーゾーンがない、それなのかなと思いました。
松永:今までのコンピューターは、If then A else Bといわれ、こういう条件だったらA、そうでなければBというロジックを連ねて作られてきたものが大半でした。SNSが登場して、Yes or Noでは決められない、例えば、いいねボタンで感覚的に皆の合意が見えるような仕組みも広がり、さらにIoT・AIといわれるような知能化の中で、コンピューターがあたかも人のように知覚し考えるようなふるまいをするようになってきています。そうすると、まさにそのようなグレーの部分を知能化する構造や世界観が必要になっています。
ポリモルフィックとは、生物のようにふるまい、環境に適応していく仕組みです。今までの1、0で判断してしまうような、吉田さんがいわれたようなコンピューティングの次には、グレーの領域を取り扱え、人の感覚にも適応する、人に寄り添うことができるコンピューティングを作ろうということを標榜しています。
学習もするので、必ずしも、皆がいいと言っている、一般的にこうだと決められている最適値等に合わせることも必要ではありません。そこそこから初めて、環境や成長に合わせて学習していけばよく、環境に適応しながらやっているので、結果はそれぞれ違っていてもいいという、新しい知能化を模索するコンセプトを持っています。
◆人や社会の問題は逆問題
~想像する力や発想する力が逆問題を解く~
吉田:そういう仕組みを使ったり、あるいは作ったり、そういうことができるような能力を、次の子どもたちにつけているのでしょうか。
松永:できていないのではないかと思います。このシリーズの第三回目の議論にもあるのですが、1+1=?と答えを求めるのが、順問題といわれていて、今までの教育は、こちら側に偏ってきました。10=□+△+…というように、足して10にするには、という問題は逆問題といわれていて、社会の問題、人の問題はほとんどこちら側と言われています。
吉田さんが言われるように、真っ白な紙から何かを描きたいという、湧き上がってくるような感覚が、社会や人の問題の解決には必要です。また、逆問題の答えは一つではないので、正解か不正解ということではなく、人の多様性を認め、他の人の解の多様性も認めたうえで、自分たちの解をまとめていくようなことが必要で、こういうことが昔よりもできなくなっているのかも知れません。佐貫先生の著書に、「発想のモザイク」という本もあると思いますが、拝読すると、なぜ、この海外の国の人たちは、この時、このように考えたのだろうということを捉える想像力に圧倒されます。
◆グレー、モザイク、不安定
~次世代社会を考えるための発想の宝庫~
松永:佐貫先生の愛された‘ヒコーキ’やご著書の「不安定からの発想」や「発想のモザイク」、イタリアに魅せられた須賀さんや吉田さんが生涯を捧げた文学や建築、どれも情熱や愛情に溢れていて、その折々に感じたことや考えたことが力強く、そして、いわれたような「お金ではない幸せ」に人生が満ちていることが伝わってきます。
吉田さんの授業でおばあちゃんのために何か考えたいと思った学生の方も同じ感覚が生まれていたのではないかとも思います。
自分にそんな力がなくても、皆で共鳴しながら自分たちの社会の問題を捉えれば、吉田さんが先ほど言われていたように「我が故郷には、我が都市には、こんな研究や文学や建築がある、こんな場がある」と誇れるようになるはずです。そして、情報技術の進んだ次世代では、それに加えて「この街には、こんなコンピューターがいる」と誇れるような時代になっているのかもしれません。
グレー、モザイク、不安定は、次世代社会を考える発想の宝庫です。SNSのように人がつながる仕組みは生まれていますので、今後はさらに、多様な発想をつなぎながら、その環境に適応した社会の構造や仕組みを自分たちのモノサシで作ることができるはずです。ポリモルフィック・ネットワーキングとはこのような視点を重視した「構造の概念」です。
暮らしや働き方や居場所の中に、自分たちで美意識や感覚体験を創出する。そうすることで、懐が深く(トレラントで)、物腰が柔らかで品格のある(ジェントルな)社会を生み、あるいは、そういう希望を生むことができると思います。
◆対極的な位置づけにある「矛盾」をつなぐ
~次世代社会の多様な考え方や発想を共存させる力、包容力(トレランス)~
吉田:自分が表現したいものがどうやって芽生えていくかということを社会的に、つまり次の世代や子どもたちのための問題として解決しないと、コンピューターが進化し、表現の道具がどんなによくなっても使えないものになってしまうのではないでしょうか。
松永:そういう創発的な芽生えを保ち育てていくためには、そのようなポリシーで都市の機構を構成しなければなりません。包容力(トレランス)とは、多様な考え方や発想をつぶさないためのポリシーを生み出します。包容力(トレランス)を創り出すにはどのような考え方をすればよいのか。今、近代都市が経済成長のために育んできた機構に、6つの特性をみています。
経済成長のみを追求している近代都市には大きな課題が生まれています。持続可能性、サステナビリティが世界的なテーマにもなっているのは、その反動だと考えます。
たいへん興味深いのは、良い都市とよばれる都市は、対極的な矛盾した要素が上手に共存しているのです。ユヴァル・ノア・ハラリは著書「サピエンス全史」の中で、矛盾が社会の進化を生むと述べていますし、数理創発システム分野でご研究を続けられている東大先端研の西成先生は、研究室に入ってきた学生に「コンピューターにできないことは何か」と問うそうですが、その答えは、「矛盾するものを同時に扱えない」ということだと伺いました。
社会や都市は、矛盾に満ちていると思いますが、良い社会や都市とは、その矛盾をうまくつなぐ考え方や機構を大切にしていることに気が付きました。このような都市力のキーワードが包容力、トレランスです。包容力とは、矛盾の存在を認識し、さらに解決に向けていく力を発揮しますので、都市の価値創造の中核に包容力があれば、物腰が柔らかで品格(ジェントル)を醸し出す(アフォードする)都市が生まれてくると考えています。
高度経済成長の日本は、焼野原の中での経済復興を目標にしていたので、矛盾の矛(ほこ)の機構をたくさん積み重ねていきました。第三回での議論のように、東京タワーができ、白黒テレビからカラーテレビに変わり、高速道路ができ自動車が走る、東京港ができ大型コンテナ船が入港し、国際空港ができジャンボジェット機が離着陸をする。見るもの見るものが新しく、大阪の万国博覧会では、そのような日本を世界に披露することにも熱狂しました。
しかし、経済成長のために経済効率の高いものを生み出すこと一辺倒の考え方が、現在の都市にひずみを生み出していることは、多くの人たちが気が付いているのではないかと思います。
◆インアクティベート(不活性化)を生み出す機構
~とりあえず止めてみる~
松永:では、心地のよい快適な都市では、このような矛盾をどのように共存させているのかという問いが生まれます。AIがさらに進化すると人のようにふるまう情報空間が生まれてきますので、実はこの問いは、次世代情報インフラを考えるうえでも大切です。
着目したのは、インアクティベート(不活性化)という機構です。快適な都市には、インアクティベートされた場がデザインされています。
例えば、プロムナード。散策のできる散歩道は、欧州の都市では必須のものと考えている都市も多いのではないかと思います。人体は、歩くための機能を進化させてきましたので、歩くことで心地よさを感じるのではないかと思います。そして、歩くことには、固定性から解放されるという本能的な快感があるのではないかと思います。
思索や思考にも似たような特徴があります。図書館が人にとって心地よいのも、視野に入るものが本の背表紙であってもそこからいろいろ醸し出される力、アフォーダンスのようなものがあり好奇心を刺激します。図書館の中では、プロムナードを散策するような感覚があることも、多くの人が感じていることだと思います。
歩くというふるまいは、移動を目的としていますが、歩くことで、移動による快適感が生まれます。この歩くという「動」の代表的な活動を不活性化するふるまいに、立つや立ち止まるというふるまいがあります。立っているとき、立っている場は感覚的にも選ばれている場所ですし、その場から醸し出されているアフォーダンもあります。そして、そこで形成された意味が記憶に残ります。また、座るという活動は、移動そのものをいったん止めるという意思のもと、すなわち移動というふるまいをインアクティベートしています。
眺めること、遊ぶこと、おしゃべりすることも心地よさを創り出します。これらのふるまいは感覚的な時間を生みます。流動的であったり、無作為であったり、移動的であったりしますが、その快適感は、注意や合理性や論理の枠組みが感覚的にインアクティベートされることで生まれているのではないかと思います。
このように捉えることにより、実空間ばかりではなく、実空間と情報空間が一体となった空間をデザインする第一歩が踏み出せます。
実空間でも情報空間でも、認知するのは人間ですので、心地よい空間を創るデザインのディシプリンやポリシーが重要になります。自分たちの美感やモノサシは、そのようなデザインのために不可欠になるはずです。自分たちの心地よさを自分たちで作ることができれば、そこが実空間でも情報空間でも居場所になります。
◆北欧の「ヒュッゲ」という感覚
吉田:今、「ヒュッゲ」というデンマーク語の言葉が、国際語になってコンセプトとして流行っています。心地よいという意味で、その人によってヒュッゲな状況というのは違っていて、太陽があたったところでのんびりしているのもヒュッゲであったりします。
高齢者マンションをつくっているところでもヒュッゲがコンセプトになっていて、私もつい付き合って体を壊してしまったのですが、作っている方も設計者の方も、食べるものも食べずに朝から晩まで会議を重ねて、いわゆる猛烈サラリーマンの生活になってしまっていました。これでは、温かく心地よいヒュッゲな空間など生まれてこないのではないかと思いました。
デンマークのあの人たちは、ずっとそういう感覚、自分が心地よいと思えることを大切にしてきていて、それが効率主義の国からみると、そんなにお金があるわけでもないのに、経済的にどうこうということとは別に、なぜか豊かな生活をしている、そういうことに気が付いて、この言葉が広がっていったのではないかと思いました。
◆二つのオリンピックとデザインポリシー
~美しさや心地よさをデザインする感覚や視点を育む~
松永:日本は、ここ50年ほど継続的に、米国流の効率化を見倣ってきたかと思うのですが、1964年の東京オリンピック・パラリンピック、さらに1970年の大阪万博の頃は、日本らしさが溢れていたのではないかと思います。今のオリンピックと何が異なっているのでしょうか。
吉田;あの時の素晴らしくて今でも感動します。あの頃は、カリスマ的なアートディレクターがいて、今の赤坂御所に優秀なデザイナーたちが集まって全部やったんですね。今回の東京オリンピックではエンブレムでも揉めましたが、きちんとしたポリシーを立てられる人がいないというのがあの時との違いなのだと思います。
結局、お金をかけながらまとめていけばかたちにはなると思いますが、デザインは、デザインポリシーがあるかないかということで大きく変わります。
松永:感動的なものはお金をかけるだけでは作れないのですね。
吉田:そもそも、夏の暑い時期に経済合理性を理由に開催することにも違和感を覚えます。
私は、パラリンピックからそれに反対して、この時期にしようという主張があってもよかったのではなかったかと思います。例えば、頸椎を損傷された方は、汗をかくことができないので、命がけになってしまう懸念すらあります。障害者にとって、日本の夏は過酷です。北欧の方にとってもたいへんなのではないかと思います。一方、前回の10月に開催されたオリンピックの季節は、本当に素晴らしい時期でした。前回のそういう経験があっても、今回の経済合理性のようなものをくつがえすことができないことが残念です。
松永;経済合理性を超えて、自分たちのモノサシを持ちながら、「ヒュッゲ」のような心地よさのような人間が本来求める価値も視野に入れた意思決定をしていけるようになるためには、どうしたらいいのでしょうか。
吉田:あなたはどうなのといったときに、今の日本の人たちは答えられなくなっているのではないでしょうか。若者たちがもっと、いやこれは本物ではないのではないか、もっと他の心地よさがあるのではないか、つくりかたが違うのではないか、という感覚や意見を持っていればいいのですが、そこがないことが一番の心配なのです。
松永:心地よさも含め、感覚とはどのように育まれるものなのでしょうか。
吉田:それぞれの自分の感覚や価値観で捉えることが、そして、研ぎ澄まされていくことが大切です。例えば、地方の自然の中であれば、野山を駆け巡っていれば、どういうところが危険だとか、こういう音はどうなんだという感覚が育まれます。都市では都市でのそういう感覚があるはずなのですが、体で覚える機会が少なくなって、研ぎ澄まされた感覚のようなものがなくなっているのではないでしょうか。同時に美しさや心地よさの視点というのもなくなってしまっているように思います。
◆社会の成熟度が問われるバリアフリーのモノサシ
松永:バリアフリーについては、どのようなモノサシが必要なのでしょうか。
吉田:残念ながら、バリアフリーというのは、手すりか段差をなくすかという、そういう理解になってしまっています。条例で手すりや段差を規定していますが、それがバリアフリーだと思っている人も多い。本来は、住みにくいところをなくして住みやすくすると大きく捉えなければなりません。
2000年に介護保険ができて、2001年に高齢社会の住まいをつくる会ができ、10年を経て、新バリアフリー宣言というのをしました。高齢者のために住宅は、対応力、包容力、支援力を持たなければならないという宣言で、バリアフリーとは、狭義の手すりや段差のことだけではなく、暮らし全体のバリアをなくして豊かに暮らしましょうというバリアフリーなんですといって提唱しました。まず、住宅は、住む人の体も変化していくので、将来のことまで考えてつくらなければならないというのが対応力、歳を取ると孤立化していくこともあって、近所や外の世界とつながりを持たなければならない、近所とのつながりのある開かれた家をつくる、これが包容力で、自分が何かあったときに必要なところに手すりをつけたり、また、介護をするようになった時も考慮した住宅をつくるというのが支援力です。このように広義にバリアフリーを考えなければならないということで宣言を作りました。
松永:包容力については、ボーダーのない社会をつくる本質的な力として捉えています。高齢化の問題だけではなく、分断といった状況の解消も世界的なテーマになっています。今、AIに仕事を奪われるのではないかというトピックもあるくらい情報技術の進歩が社会を変える可能性が顕在化してきましたが、都市や産業が情報化され、高度化される中で、都市システムや社会システムにも、人格のようなパーソナリティやアイデンティティが求められるようになります。制度や文化のようなものだけでなく、ダイナミックに稼働し都市の生活や産業を創り出すシステムにもそのような品格が求められます。
包容力のある人、トレラントパーソンといいますと、人の言うことに耳を傾け、我慢強く懐が深い人をいうのではないかと思います。物腰が柔らかで品格のあるジェントルな機構を実装し維持することが、次世代の都市やコミュニティのシステムにも求められるのではないかと思います。
身体障害者の方に対しても、手すりや段差の問題だけではなく、開かれた社会の中で対等に認める、本質的なボーダーを低くすることが都市の品格につながるのではないかと思います。今回のパラリンピックは、次の社会のためにそのようなことを考える絶好の機会ではないかと考えます。
◆ボーダーを作らない日本人の思想が広げたパラリンピック
松永:パラリンピックについては、ルートヴィヒ・グットマン博士の「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」という言葉が有名ですよね。ポリモルフィックとは、残されたもの、つまり今ある状態に適応しながら次の状態を作り上げていくということですので、グットマン博士の言葉は、多形構造社会を考えるときにも重要な示唆を与えてくれます。
吉田:私の一生を支えたのもこの言葉だと思います。日本の前回のパラリンピックは、中村裕(ゆたか)さんというグッドマンのお弟子さんで、イギリスのストーク・マンデビル病院に行っていた医師の方が立役者ですが、私はこの方がグッドマンよりも先見の明のあった方ではないかと思っています。ストーク・マンデビル病院は脊髄損傷の人のための病院なんですね。精髄損傷は、障害のある一つのパターンではあるけれど、障害もまた多様性に満ちていて、切断の人もいれば、視覚障害の人もいれば、聴覚障害の人もいろいろいます。中村先生は、日本でやるならそういう人たちも入れた総合的なオリンピックにしようとグッドマンに言ったそうですが、当時は受け入れられなかった。たぶん、あの時は、インターナショナル・ストーク・マンデビル・ゲームスといっていたと思います。日本がパラリンピックという名前をつけましたからね。遡って、1960年のローマを一回目にしようということになって、今、パラリンピックなんですけれども、1964年のパラリンピックは、中村先生が第二部に切断とか他の障害の人を入れて、ですから、この時のパラリンピックは二部構成だったんです。それが1976年だと思うんですけど、モントリオールオリンピックの後に開催されたトロントパラリンピックから視覚障害のある方など他の障害者が入りました。その時にパラリンピックのパラの意味が変わりました。脊髄損傷のことを、パラプレジア(Paraplegia)といいますが、当初は、パラプレジアの方のためのオリンピックだからパラリンピックにしましょうと、これは日本で名づけました。ところが1976年からパラプレジアの方だけではなくなったときに、Parallel Olympics 並行して行われるオリンピックという意味に変わりました。
中村先生の活動は、世界においても革新的でした。当時の日本では、身体障害者を外に出さない風土も強くありましたので、反対も多かったと思います。その中で、今のパラリンピックにつながる活動を立ち上げられました。中村先生のおこころざしが今回のパラリンピックの中にも息づいています。
◆特別視をしない心地よさを持つ社会とは
吉田:障害者のために何かをするというのではなく、特別視をしない社会にすることが必要です。これは建物についても街についても人についても同じです。困ったら助ければいいじゃないというところが、ヨーロッパやアメリカと違うところです。パラリンピック招致の最終プレゼンを行った佐藤さんが将来は外国に住みたいと言っていましたし、障害があるけれどとても優秀な私の友人も、両親がなくなったら外国に行きたいと言っています。私は、日本を良くしていってもらいたいので、そういう人たちが外国に行きたいというのでは困ると思うのです。その一番の大きな原因は、建物などの物理的なバリアフリーではなくて、ちょっと困ったら、どうですか、あっ大丈夫、じゃあねという何気なさ、ヨーロッパだと、ふっと手伝ってじゃあという感じです。日本だと、構えて、自分たちとは違う人として遠慮深く扱います。彼らは、そういう外国での心地よさを言いたいのではないかと思います。
松永:アイスランドのレイキャビックの都市調査をしたのですが、もともと強いコミュニティを持っている人口34万人の国で、ボーダーがとても低い国です。国が小さいので、親類や知り合いも多いので、人まねもあまりしないし、悪いこともできない風土の土地柄です。何かあれば、皆で協力して事を進めます。レズビアンの女性が大統領になったとき、多くの欧米のメディアは騒ぎましたが、アイスランドは、そういう特別視が初めからないので、なぜ騒いでいるのか分からないという感覚の人も多かったそうです。経済破たんのときは、法律を協力して市民が自分たちで作る動きも出たりします。音楽も皆で楽しむ。欧州の最貧国と言われていた時代も長く、楽器も共有するそうです。音楽そのものが楽しめればいいのです。老人ホームも、設備が云々ではなく、雰囲気が家庭的になる。老人ホームで、コンサートが開かれることも多いそうで、そこでは、幼稚園児といっしょになって楽しむそうです。行政的にそうしているのかと聞きましたら、そうではなく、コンサートがあれば、幼稚園の先生が自発的に連れて行って、一緒に楽しむそうです。慰問という感覚ではない風景があります。
吉田:核家族になって、年寄りをみるという機会が子供たちになくなりましたよね。地域で子供を育てることもなくっています。昔は、となりのおじさんが叱っていたのが、最近は、うちの子供をなんで叱るのかというようにもなりました。
私も、本当に偏見が少なく育ててもらったなと思うのですが、小さな頃、近所に義足をつけていた子供がいて、みんなでわいわいと動くと、義足なんて脱ぎ捨てて、足が切断されていることなど気にもせず、片足でケンケンをしながら遊んでいました。障害があるとかないとか思わないで遊んでいた原風景があります。駒込に住んでいたのですが、接収ってわかりますか…アメリカの将校に家を渡していたので、私が遊んでいた通りはアメリカ人が多く住んでいて、英語など全くわからなくても、一緒に遊んでいたんですね。そういう経験が語学に対しても人に対しても偏見をなくすのだと思います。
◆人間を重視した都市のデザイン
松永:2004年オリンピックの誘致に失敗したストックホルムが、オリンピック選手村の予定地のハンマビー・シュスタッド地区に、先進的な環境都市を構築し話題になりしたが、今、この第二弾の都市を、ロイヤル・シーポート地区に構築しています。ハンマビー・シュスタッドの失敗を反省して展開しているというのですが、このキーワードが教育だというのです。ハンマビー・シュスタッドでは、例えば、電気の使い方でも、きちんと使う人とそうでない人とのばらつきが出る。今回のロイヤル・シーポートでは、入居したときから、ごみを出さない、ごみの仕分けをする、洗剤を使わないようにする等、ごみ袋や洗剤不要の清掃タオル等を渡して、教育で都市や社会を創ろうと考えます。ノーマライゼーションの国らしいやり方です。日本も含めアジアから来た人は、高度な先端技術のようなところにのみ関心があるので、このような話をするとがっかりするそうです。
海沿いの美しい散歩道に面して、一面、ガラス張りの公民館のようなところがあります。そのガラスには断熱の先端技術を採用します。公民館の中にいる年寄りの方が散歩をしている方に手を振っている光景があります。また、一面ガラス張りの床屋さんもあり、気持ちのよい場所で散髪をしてもらうことができます。
吉田;北欧の方はそういうデザインができます。
松永:先端技術ばかりではなく、橋のたもとには郵便箱のような箱が備え付けられ、自分が読み終わった本をその中に入れておくと、街の人が読むことができます。そういうものが織り交ぜられて、コミュニティ一体で都市のビジョンを実現し、自分たちの快適さを作り上げていきます。移民の方が増えるので、2030年には30~50万人の人口増になるというニーズがあり、このような約1万戸、人口では3~4万人の街を一群として自然の森と隣接させながら作っていくというのがストックホルムのエコタウンの思想です。イタリアも空き地に緑化したスマートシティを構築しながら、さらにそれを緑の道でつないで歩く街にするというビジョンを持っています。どちらも次世代につなぐ自らのアイデンティティのある都市ビジョンを掲げています。日本は、人口が減っていくのでもっと次の世代のための快適な場を創る知恵やビジョンが求められてもよいのではないかと思います。
◆主体性がつくる住環境とのインタラクション
~自己責任と教育~
松永:エコタウンであるロイヤル・シーポートには、水を浄化しながら海に流す小川のような用水路があるのですが、手すりがついていません。子どもが落ちたらどうするんですかと聞くと、そんな教育はしないから大丈夫と答えが返ってきました。
吉田:そうそう、日本では、自己責任できちんととらえることが少なくなりましたよね。森の幼稚園といわれるような、子どもが多少、傷を作っても放っておくようなことを日本ではあまりやりません。明治維新のころのように、野山を駆け巡っていた気骨のある人たちが、次の日本を作ってくれるのではないかとも思っているのですが。
池田:何も考えずに生きられるようになっています。のどが渇けば100円出せば飲み物も買えます。森の生活という本があります。著者は、コーヒーをつくったことがない、コーヒーを挽いて飲むことはあっても、コーヒーの木を育てたことはないということで、森の生活をはじめました。買えば、何でも簡単に手に入る生活に疑問をもち、生きがいとは何かが模索される時代になっています。
例えば、遊びに行くといっても、施設に行けば、いろいろな遊び道具もあって、自分は何も考えずに、受け身で、ただ楽しむことができる。そのように、主体的になって考えられるような遊び場がとくに都会ではなくなっているのかもしれません。
ある人は、お上意識が強すぎると言っています。街で問題があったときには、役所に言えばいい、学校で問題があったら先生に言えばいい、そういうふうに、どこかで問題があったら、その管轄の人がやるべきで、自分はそれをクレームするだけでいいと考えている。そうなってくると主体的に自分でなんとかその課題を解決しようということではなく、あなたの責任だからあなたがやりなさいとなる。それが投票率の低下にもつながっている。また、モンスターペアレンツも日本独特の現象だと指摘していました。
吉田:自分で向き合わず、クレームだけ言えばいいでは解決しませんね。みな根っこは同じみたいですね。
◆ポリモルフィック(多形化)の本質
~自分たちで考え、自分たちで創っていくという世界観 ~
松永:役所の方や学校の先生にクレームをいっても、その役割や対応には限界があります。画一的な解決にもなりやすいのではないかと思います。創造的で柔軟な解決をするには、自らが考える力もあって、それぞれの多様な能力や機能を連系させて、一緒に解決していくことが重要ではないかと思います。自己組織化した組織もそうですが、佐貫先生の著書「不安定への思考」にもあるように、自分たちで主体的にコントロールしてこそ不安定の中にも安定を生むのではないかと思います。状況が変わったら、また柔軟に異なった機能をつなぎ変えながら適応すればいい。
ポリモルフィック、多形化の本質とは、異なった機能や能力が自律的に共鳴しながら環境に適応することです。ヒトはそれぞれ違うので、今後の「人間を重視した社会システム」を考えるときはとりわけ重要です。
「We are all different and all wonderful.」という言葉があるのですが、ポリモルフィックの世界観を表すのにピッタリな言葉です。「わたしと小鳥と鈴と」という金子みすゞの有名な詩の中の「みんな違って みんないい」という最後の言葉をこのように英訳された方がいました。身体障害者の方は、オール ディファレントで、皆違っているのではないかと思います。パラリンピックではこのような多様な人たちにどのようにホスピタリティを提供するのか、私たちの創り出す仕組みの文化度が問われるのではないかと思います。吉田さんは、パラリンピックの後もデンマークの身体障害者の方の家をみられて、美しくなければいけないと、機能だけはなく、美感の重要性を提唱し、オール ワンダフルであるべきだという信念を貫かれてきたのではないかと思います。
初めは、述部のall different and all wonderful.という言葉に目が止まり、今回、吉田さんにお話しをうかがうきっかけにもなったのですが、「We are」もとても重要な言葉であることに気が付きました。「You are」でもなく「I am」でもなく、本質的には異なったパーソナリティが共鳴する「We are」の重要性です。「Many on One」という言い方をするときもあります。
人の社会ばかりではなく、AIもますます人のようにふるまうようになるので、人のようなパーソナリティも生まれます。情報空間の中でも異なったパーソナリティが共鳴する、そのような機構を持った社会システムについて、現在、議論を進めているところです。
金子みすゞは昭和初期にかけて活躍された詩人ですが、この頃も、そして美しい文章を綴られる須賀敦子さんや吉田さんの時代にも、研ぎ澄まされた美感をもって世界を捉える感覚が溢れていたのではないかと思います。自分の身近な問題をどこかの責任部門にクレームすればよいということでは、このような感覚が育っていかないのではないかと思います。
グローバル化の中で、「世界」というフレームには経済合理性の仕組みが、他の仕組みを駆逐しながら広がりました。今後、再び「We are」のフレームを通して、「世界」というフレームをみたり、「世界」というフレームを通して「We are」のフレームを考えてみることが、重要なのではないかと思います。「You are」ばかりでもなく「I am」ばかりでもなく、新しい時代の「We are」の世界から美感やポリシーをもって捉えてみる。「We are」という目標は自分たちの感性で共鳴するものなので、「世界」の中で作られている目標とは、別に存在しても良いのです。
日本ならではの社会システムを再構築するのであれば、池田さんたちの時代には、自分たちなりの捉え方のフレームも新しくデザインすることが必要になるのではないかと思います。
情報技術は、人工知能も含めさらに進化すると思います。「We are」もしくは「Many on One」の仕組みも情報空間の中でさらに高度に育むことができます。デザインポリシーをもって作り上げることで、日本ならではの、高度で心地よい、人のようにふるまうコンピューターと共存する世界が生まれてくるのではないかと思います。
◆心地よい超高齢社会を目指して
吉田:ストックホルムの高齢者住宅ではどのような感じなのですか。
松永:先ほどのロイヤル・シーポート地区のマンションでも、窓にはベランダがあって風景を楽しむ作りになっています。ベランダで過ごす時間というのを大切にしている土地柄で、老人ホームのようなところでも同じだそうです。そこでは、例えば、見守るアシスタントを一人つけても、四人~六人の老人にベランダで過ごす時間を作ります。そのうち、一人、アルツハイマーの方がいた場合は、アシスタントをもう一人つけて二人でみていればいいと考えるそうです。人手がなければ、二日に一回にしてでもそうする。そういう生活をするというビジョンを前提に工夫するので、そのような考え方になるそうですが、日本からの視察では、設備や技術のみに関心があり、加えて、先に経済合理性がきてしまうので、なかなか理解されないといっていました。実践での配慮そのものがノウハウで、高齢者の住環境をつくるコンサルティングもそこをいうのですが、同じく全く理解されないという話が別のところでも出ていました。
吉田:本当によくわかります。日本の視察を受け入れなくなった北欧の施設もあります。お金の問題もありますが、どのような生活が理想なのか、そういうビジョンに向けて進めることが大切で、その上でいろいろな知恵が生まれます。
高齢者の生活の理想とは、例えば、ごはんも好きなときに食べたいと思います。この間、湯川れい子さんと対談をしたのですが、あの方が、五態満足の法則といわれていて、あいうえおで、あいたい人にあいたい、いきたいところにいきたい、うれしいことをしたい、えらばせてもらいたい、おいしいものをたべたいと、この5つですごくいいと思いました。しかし、今の老人ホームではかなえられません。同じ時間にごはんを食べなければいけませんし、お風呂に入りたくても入りたくなくても、決まった時間に入らなければなりません。全て、施設側の希望で動くことになります。このような理想に向かう工夫を経済合理性のために諦めてしまっているのではないでしょうか。自分で自分のことを決められることがとても大切なことではないかと思いました。
現在、7~8割の高齢者が自宅に住んでいるので、今、住んでいる場所を工夫することも大切であることに、最近、皆が気が付いてきたのではないかと思います。高校の教科書にバリアフリーが取り上げられるようになり、高校の授業で、私が設計した高齢者住宅も取り上げていただき、高校生がバリアフリーの実践的な事例の映像を見ながら勉強してくれました。本当にやってきてよかったと思うのはこのような時です。高校生の頃に、バリアフリーを分かってもらえるということは、すごくいいことで、時代が少し変わってきたかなとうれしく思っています。
◆バリアはやむを得ない
~しかし、配慮や知恵は必要~
松永:バリアアリーという言葉も広がり始めましたね。
吉田:バリアアリーがいいという人はたくさんいます。階段や段差がない家屋など、日本にはないので、バリアはやむを得ないと私も言います。しかし、そのままにしておいてはいけません。例えば、段があるのなら、そこが段であることをわかるようにしておく必要があります。そこを明るくしておくとか、つまずきそうになった時のために、手すりではなくてもいいけれど、しっかりした家具があるとか、とにかく、いろいろなチェックをして、配慮された段差や階段をつくるようにしておくことが大切です。また、あちこちに小さな段差があるのではなく、そのような複数の段差を、10センチとか15センチの一つの段差でまとめた設計をしたうえでの、段差がある、そういうバリアアリーであればと思います。
松永:バリアフリーは完璧でなくても、きちんと気づくように、リカバリーできるようにしておく配慮の方が重要なのですね。工夫された住環境で、工夫しながら主体的に生活することで食事等も含め、生活にリズムも生まれますね。
吉田:自分で自由に食べるというのは、何を食べるのか考えなければならないということで大切なことです。施設に入ると認知症の症状が進む方が多いのも、自分で主体的に考える環境がなくなるからです。
今、脳科学のエビデンスが少しづつ出始めていて楽しみです。脳科学者に五感や美しさについてもっといろいろ解明していただければ社会的な説得力もあるので、社会生活全体が変わっていくのではないかと期待しています。
松永:ライフスペースやライフゾーンが広がって、いろいろな居場所や出かけるところがあることも重要ではないですか。
吉田:その通りで、まず、家が出やすい構造になっていることが大切です。買い物でも、本当は、昔の商店街のようなところの方が刺激になります。スーパーでは、レジの人と話すことがありませんので。高齢化が進んだとき、今、シャッター通りになっているような商店街が活性化する潜在的なニーズがあります。
松永:宇都宮市がライトレール、つまり、一昔前の市電のような交通機関をつくっています。その効果は別として、このような都市に、次の最先端技術が投入されやすい環境があるという見方があります。熊本や長崎や富山等、市電がある都市は、ある意味では、高密度化しなかった都市です。先ほどのミラノもストックホルムも歩く街をつくろうとしています。東京は高密度化し過ぎています。都内であれば、近くにコンビニが4店舗も5店舗もあります。そこには、一日、多ければ一店舗で4~5回、商品が配送されることになります。ミラノは、都心を歩く街にすることにより、このような物流のムダの排除も検討しています。ストックホルムのロイヤル・シーポートにもカーポートがあり、そこからは自宅までは、基本的には、自転車に乗り換えて移動するという機構です。必ずしも、先行した都市が次のモデル都市になるとは限りません。
高速と低速の対極的なモビリティを共存させ、知的につなぐことで、最先端の都市になる可能性が満ちているのではないかと考えます。
◆ビジョンがあれば、方法はいくらでもある
~組み合わせを変え、繰り返せばよい~
吉田:先ほどの、近代の都市機構の逆の思想のものをやるという考え方は確かに「あり」なのかもしれませんね。
松永:教育も同じではないかと思います。塗り絵のようなものを渡して、みんなが合格である必要はないのではないかと思います。できる子とできない子がいてもいい。金子みすゞさんの詩ではありませんが、私は空はとべないけれど、地べたを走れるといった世界観で協調し合う仕組みを考えてもよいのではないかと思います。ビジョンが必要なので共鳴も大切です。
吉田:ビジョンがあればできるのではないかと思います。
デンマークも百年前は、ドイツとの戦争で土地を失い、残されたのはユトランド半島しかなくて、そのときは荒地でどうしようもなかった土地をモミの木がいいらしいということで、ノルウェーのモミの木を植えていったそうですが枯れてしまう。一様性で枯れてしまうということがわかって、何かと組み合わせていったらいいかもしれないということになり、いろいろ研究する。そして、スイスのモミの木を植えたら上手くいったのですが、こんどは、スイスのモミの木が大きくなり過ぎ、ノルウェーのモミの木が大きくならないので、途中で抜いてしまう工夫をしたそうです。50年間で倍の緑地が生まれ、100年経って今のような農地と森になったんですって。
本当にこうしようというビジョンがあれば、方法はたくさんあって、どうにでもなるはずなんです。それが生きていく知恵だと思うのですが、ビジョンがないので日本はどこに行くのかわからない。子どもたちについても、生きていく知恵がなくなってしまい、困ったら誰かにいえばといいというのであれば、頼める人がいなくなったら何もできなくなってしまいます。
池田:一番、二番を決めないで、手をつないでゴールをすればいいという教育もありました。それをつくっているのは、子どもたちではなく、子どもたちはそういう教育を受けざるを得ない犠牲者でもあります。
吉田:子どもたちではなく、教える側に目を向け、やり方を変えることを試みることも必要だと思います。たとえば、英語もこれだけ時間をかけているのにしゃべれません。海外の人たちは外国語として普通にしゃべります。英語の先生になる人はみな1年間の留学をしてもらうとか、100年の計を考えるのなら、お金がかかっても、そういうことに使うことも考えてもいいのではないかと思います。
◆『パラリンピックの選手をお茶に呼ぼう』
~ホスピタリティが2070年の日本をつくる~
吉田:「パラリンピックの選手をお茶に呼ぼう」というプロジェクトを呼びかけています。現在、自宅に住んでいる方には、貴重な学びになります。まず、選手村から自宅まで、どういうふうに公共機関を使うのか、調べて考えなければなりません。次に家に招こうというときに、車いすの人であれば、家に入れる入れない、トイレはどうか入れる入れないといったことを判断することになります。そして、さらに、視覚障害の人や切断の人の場合には、階段についてはどうなのかといった、いろいろな状況を想定して考えることで、自分が年を取った時、障害を負った時、あるいは、となりのおばあちゃんが車いすになった時きてもらえるか等々、実践的に、そして、自分のため、自分の家族や地域のためにいろいろ気づくことができます。このような体験は、社会にとっても貴重な学びになります。
強い選手は、忙しいのですが、そうでない選手は時間ができるので、今、英語を勉強している視覚障害者の人や、また中学生以上の一般の学生も交えて、日本の住宅にパラリンピックの選手を招くというプロジェクトです。中学生はコミュニケーションのために英語を勉強しなければなりませんし、パラリンピックの選手も日本の住宅に招かれるという記憶に残る貴重な経験ができます。
少人数からはじめても良いのです。今回のパラリンピックで、そのようなホスピタリティに溢れた経験が交換できれば、50年後の2070年の日本に波紋が広がります。超高齢社会を素晴らしいものにデザインした課題先進国、そういう日本の姿が期待できるのではないかと、このようなプロジェクトを考えています。
池田:人や社会とのコミュニケーションの中で学ぶことが少なくなっています。学校の授業は、グーグルに聞けばよいとか、授業の黒板は、写メればいいと、ある意味では合理的な考え方と捉える人も多いのですが、しかし、感覚的に何か重要なものが抜け落ちているのかもしれません。
吉田:体で覚える感覚は大事です。社会については、状況がちがうので、私たちと同じ道をいくということではないと思います。やはり新しい方法を模索しなければいけないと思いますが、基本は、自分の感覚で捉え、自分で考えられるかどうか、工夫できる知恵があるか、そして、50年後、100年後の時代を、先ほどのビジョンや共鳴の話にあったように、皆で響きあって創っていくことなのではないかと思います。