北海道帯広市に2016年3月、リノベーションホテルが開業した。「宿泊施設」、「カフェ&バー」、「イベントスペース」の3つの顔を持ち、世界と十勝、旅行者と地元の人、十勝で頑張る人と応援したい人が交流する場となっている。宿泊者の外国人比率は同市内にあるホテルの倍以上を誇る。(武蔵大学松本ゼミ支局=井島 由佳・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)
■「十勝でホテルをやってみないか」
「震災が起きるまで東京を離れるとは考えてもいなかった」―。ホテルヌプカ総支配人の坂口琴美さんは十勝でホテルを経営するきっかけをそう語った。東日本大震災が起きたとき、坂口さんは東京で古民家を改装したカフェを経営していた。
坂口さんは学生時代からサービス業に興味があり、かねてから宿を経営したいと考えていた。大学進学を機に東京に出て、飲食店経営の経験を生かして宿をはじめようかという時期に震災が起きた。
その時に帰宅困難者のために店を開けていたことで自分の存在価値を感じられたという。しかし同時に身寄りが近くにいない東京で生活を続けていくことに迷いが生じた。そんな中で同じ十勝出身の常連客から「十勝でホテルをやってみないか」という話が舞い込んできた。
北海道帯広市の人口は16万人。自然が豊かで、時間の流れが緩やかに感じられるこの地域にも少子高齢化の波は押し寄せている。商店街には人影もなく、シャッターが目立つ。
この街でホテル経営の話を持ってきたのは、地元を東京にいながら応援したいと考えていた十勝出身の仲間であった。十勝を離れたことで、魅力を再確認し、全国や世界中に発信したいと考えるようになったという。
しかし、すぐに決断はできなかった。坂口さんは東京で飲食店を経営しており、すぐに十勝に戻ることができなかった。ホテルのオープンは、この話がきた2014年の2年後となった。
ただ、開業までの2年間、何もしないでいたわけではない。街をよくしたいと考えている人が集まり、ホテルを活用した、様々なイベントが催された。
人が集まると音楽の演奏が始まる。旧宿の客室をアーティストに貸し出して展示会を行った。「第一歩目を踏み出すことで色々な活動をする人と出会うきっかけになる」と当時を振り返る。
オープンしてからの初年度客室稼働率は40%を下回った。二年目でやっと65%程度だという。稼働率から見るとまだまだだが、客層を見ると期待が持てる。
市内ホテルの外国人宿泊客が1.3%から1.5%に対してホテルヌプカは7%に上る。これはドミトリー形式をとっていることが大きい。当初予想していなかった道内からの客層が幸運なことに一定数あった。
定期的に行われているのが「とかちの楽しい100人」だ。これは、ホテルヌプカの立ち上げにも関わった柏尾哲哉さんを中心に集まった「とかちの楽しい実行委員会」が主催しているイベント。
十勝出身者や、十勝で頑張っている人をゲストに招き、活動内容や想いを話してもらう。同郷の仲間を身近に応援できるのが特徴だ
このイベントを通じて出会ったことで、共同で会社を立ち上げた参加者もいる。
坂口さんが立ち上げた十勝シティデザイン社では、ホテル経営以外にも、十勝の農家支援や十勝の食材を生かしたレシピの開発などにも取り組んでいる。
十勝の食料自給率は1100%を誇る。しかし十勝の食材は二次加工が必要な素材が中心であり、十勝の食の認知はまだまだ不十分。そこで北海道産大麦100%麦芽を使用したクラフトビール「旅のはじまりのビール」や、十勝の食材を使った餃子をつくった。
これらの商品は気に入ってくれた東京の店に卸が決まりそうだが、ただレシピを教えて東京で作るわけではない。十勝で作って東京で食べてもらい、東京で食べた人に十勝に来てもらうという構図を作り出そうとしている。「世界一グルメな街になってほしい」と坂口さんは話す。
ネットや雑誌にホテルヌプカについての記事が掲載されたことにより、興味を持ってくれる人は多い。しかし、降雪によって客足が遠のいてしまうことや、空港からの交通の面など課題も山積みだ。プロジェクトが自走していくことが理想だ。
課題は多く残っているが、ホテルヌプカは確実に地域の交流の場として人々に認知されてきた。この取材の最中にも、カフェを訪れた家族の笑い声がこだましていた。
ただの客とスタッフではなく、名前で呼び合う関係がそこには存在していた。宿泊するためだけの施設ではない、人のつながりを生み出すホテルヌプカを、そして、地域に根付いたホテルヌプカから作り上げられる帯広という街に注目していきたい。