岡山県の長島にある、「長島愛生園」。日本初のハンセン病患者向けの国立療養所として1930年にできた施設である。当時は、ハンセン病に有効な治療法がなく、国の政策として強制的な隔離が行われていた。ハンセン病を発症した患者は大人子どもに関係なく、療養所へと連れていかれ、家族と引き離されて暮らすことを余儀なくされていた。(武蔵大学松本ゼミ支局=丸山 久瑠実・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)
愛生園で療養したハンセン病患者の多くは、10代から20代にかけて入所し、その後60~80年余りの生涯を園内で過ごした。若くして長島愛生園に入所した患者は、療養所を出ることが叶った年には、すでにもう身内はいなく、行く場所もないため、愛生園に留まる決断をした人は少なくないという。
歴史館では、実際にハンセン病患者が作った愛生園の全貌を見渡すことができる模型や、当時使われていた治療道具、入所者の生活の様子や歴史が展示されていた。1943年には、アメリカでハンセン病に有効な「プロミン」という薬が開発され、日本でも1947年から「プロミン」による治療が始まった。
しかし、薬で治るとわかっているにも関わらず、1953年に改正された「らい予防法」では強制隔離を続けられ、ハンセン病患者は療養所に強制収容された。療養所内での結婚は認められていたが、優生保護法により強制不妊手術を施され子どもを産むことは許されていなかった。
1996年に「らい予防法」は廃止された。1998年には、ハンセン病政策による人権侵害に対する責任を明確にするため、原告13名が熊本地裁に提訴した。支援の輪は全国に広まり、法廷では様々な人権侵害の事例が語られたという。その被害の大きさが改めて世間に公表された。
2001年には熊本地裁で原告勝訴の判決が出され、国は控訴を行わなかった。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で今までの国の強制隔離政策が憲法違反であったと認められたのである。今年4月24日には旧優生保護法により不妊手術を受けさせられた人への救済法が可決している。
安倍晋三首相は7月24日、首相官邸で原告らと初めて面会し、「政府を代表して心から深くおわび申し上げます」と謝罪した。
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