「生きている人たちに役に立たない施設は、後世でも役に立つわけがない」――こう言い切るのは、中越大震災の教訓を伝える稲垣文彦さん。震災を後世に伝えるために、被害を受けた建物などを残そうと提案したが、被災者からは「見世物ではない」と強い反対を受けたこともあった。「震災」を後世に伝えていくことの意義、その苦悩や葛藤について聞いた。(武蔵大学松本ゼミ支局=武蔵大学社会学部メディア社会学科3年・鈴木 華奈)

話を聞いた公益社団法人中越防災安全推進機構統括本部長の稲垣文彦さん

新潟県にある「中越メモリアル回廊」は、2004年の中越大震災の教訓を伝えるアーカイブ施設である。

2011年11月にオープンした中越メモリアル回廊は、「長岡震災アーカイブセンター・きおくみらい」、「おじや震災ミュージアム・そなえ館」、「やまこし復興交流館・おらたる」、「川口きずな館」の4館から成り立っており、それぞれの施設で展示のコンセプトが異なっている。今回我々は、4つの施設の中でゲートウェイ的な役割を果たす「きおくみらい」を訪ねた。

震災の翌年、2005年の3月には復興ビジョン、5月には復興計画が新潟県で策定される中で、震災アーカイブスとしてメモリアルパークの必要性が提言されてきた。

当時のメモリアルパークの構想には、阪神淡路大震災の教訓が生かされている。そこで提案されたのが「中越まるごとアーカイブ」というコンセプトだ。これは、阪神淡路大震災で被災した建物やモノをほとんど残すことができなかった経験をもとに、「震災を後世に伝えていくために、被害を受けた建物やモノを生の形でまるごと残していこう」という取り組みだ。

しかし、このコンセプトを実行するのは簡単なことではなかった。例えば、「水没家屋を残したい」と言っても住民は大反対だった。「私たちはここに住んでいたんだ、見世物じゃない」そう言われるだけだったと、稲垣さんは話す。

稲垣さんは、当時被災現場でボランティア活動を行っていたが、現場に長く入り続けることで徐々に住民との信頼関係を築いていった。復興やまちづくりを一緒に経験することで、住民の方々と打ち解けることができ、最終的に水没家屋を残すことに賛成してくれたという。きおくみらいには、稲垣さんが被災した住民からもたった、震災の時刻で止まったままの時計が展示されている。

きおくみらいに保存されている、中越大震災の時刻で止まったままの時計

「今生きている人たちに役に立たない施設は、後世でも役に立つわけがない」メモリアルパーク設立への思いを、稲垣さんはこう語る。「震災のことを自分たちの経験として、自分たちで案内してほしい。それが大事」。

そのために、どんな施設にしたらいいか、どんな展示にしたらいいか、数年間かけて被災した住民と議論を重ねてきた。東日本大震災よりも後にオープンした中越メモリアル回廊には、アーカイブスや復興活動などを学ぶために東北から多くの人が訪れ、稲垣さんはこの施設の意義を強く感じていた。

長岡アーカイブセンター・きおくみらいの展示スペース

施設運営のための今後の課題について、稲垣さんは「資金問題」を挙げた。中越メモリアル回廊では入館料を一切取っていないため、新潟県が設立した中越大震災復興基金を財源としている。

しかし、この基金は2020年で事実上の打ち切りが決まっているため、それ以降の施設運営が難しくなる。そこで中越メモリアル回廊では、施設内でのカフェの運営や防災グッズの販売、展示スペースの企業貸し出しなどを行い、財源確保を進めているが、資金問題についての悩みは尽きないという。

入館料を作ることも考えたが、今さらそれも難しい。それでも稲垣さんは、前向きにこう話す。「世の中で必要・大切だって思われることに関しては、必ずお金は生まれると思っていて。基金は今より少なくなっても、ゼロにはならないと思いますよ」。


【編集部おすすめの最新ニュースやイベント情報などをLINEでお届け!】
友だち追加