台風15号、19号が各地で猛威を振るった令和元年。大きな被害を受けた地域では冬の寒さが到来している。長く孤立していた宮城県丸森町では避難所から仮設住宅へと住民が移り始めた。自然災害への支援を続けている日本財団が「日本財団災害復旧サポートセンター」を被災地4県5か所で開設、その第一号となる災害復旧サポートセンター丸森町が開設の準備に入り、車両や資機材の提供が行われた。(寄稿・福地 波宇郎)

大量の土砂が流れ込んだ丸森町竹谷地区、生活の基盤もすべて流出した。

宮城県丸森町では台風19号による災害に伴い死者10名、行方不明者1名と市町村単位では最大の犠牲者を数えた。各地で支流が決壊、山間部では孤立状態も続き、平野部では山から流れ込んだ雨と土砂による被害も大きく今も手付かずのままの状態のところも残っている。

3か所開かれていた避難所も年末で閉鎖、仮設住宅が町内6か所に開かれ避難していた人たちは仮設住宅、みなし仮設に引っ越しがはじまっている。

住宅を修理して住み続ける人、壊れた1階を直しながら2階に住むような在宅避難者の人たちも多く、ボランティアとともに復旧活動にあたっている。

過去の大規模災害では日本各地からボランティアが集まり作業が進んでいたが、今回の災害では被害範囲が広く、経験豊富なボランティアや災害支援団体も各地へと散りアクセスの悪い丸森町ではボランティアの数も思うようには集まらなかった。

ボランティアとして活動する本職の大工を中心に復旧活動。

宮城県石巻を本拠地とする緊急災害支援団体「OPEN JAPAN」は佐賀豪雨の被災現場に入っていたが、地元宮城県の被災に伴い10月15日に佐賀から丸森町入り。

社会福祉協議会と連携して通常のボランティアでは対応外となっている重機・大工案件の対応を中心にボランティアセンター運営や避難所支援、炊き出しなどのサポートにあたっていた。

被災した家屋では濡れてカビが生え、破損した床や壁を撤去しても業者不足や様々な事情から業者へ頼めなかったりする人たちもおり、東北の厳しい冬の中外気が吹き込む環境で暮らしている人たちが多数いる。

家に押し寄せた土砂を撤去する重機ボランティア

そのような中でOPEN JAPANは被災家屋の対処法や消毒に関する講習会を住民向けに開催し、自分たちでできる範囲の作業は自力でできるよう必要な資機材の貸し出しも始めている。

これに伴いLINE株式会社がおこなう「LINE SMILE+PROJECT」で宮城県出身のフィギュアスケーター、羽生結弦選手が監修した「羽生結弦3.11SMILEスタンプ」の購入費全額を日本財団の「災害復興支援特別基金」に寄付、またタレント「新しい地図」の3名が今回の豪雨・台風支援のために呼びかけ、日本財団に設置した「ななにー基金」からの財源により日本財団が軽トラック3台、軽バン3台、ほか発電機や送風機、電気工具など必要な資材を提供し「日本財団災害復旧サポートセンター」を立ち上げた。

贈呈式にて、右から保科町長、肥田副代表、前田専務理事。

27日に贈呈式が丸森町災害ボランティアセンターで行われ、日本財団前田専務理事、丸森町保科町長、OPENJAPAN肥田副代表が席を並べ「地域の復興のために活用していただきたい」と車など一式が引き渡された。

今後、資機材が必要な住民への講習会や相談会、自分では対応が難しい人たちへは大工系プロボノボランティアによる作業などのサポートを行い、冬の寒さへの対応を急務としながら息の長い支援、そして地域の自助力による復興へと引き継いでいけるようにサポートセンターを活用していく予定となっている。

同財団では同様のサポートセンターを栃木県宇都宮市、栃木市、茨城県水戸市、長野県長野市でも引き続き設置し、被災各地での支援活動を行っていく。



[showwhatsnew]

【編集部おすすめの最新ニュースやイベント情報などをLINEでお届け!】
友だち追加