2020年。テクノロジーの進化や経済のグローバル化によって人やモノの流れが大きく変わりつつあります。これまで当たり前とされてきた価値観が崩れつつある中で、人々の予測不能な未来への不安と希望とが同時に渦巻く、混沌とした時代でもあります。「ホームレス」という社会からの究極のドロップアウトを経験したおじさんたちで結成されたダンスグループ。この時代に、彼らの踊りが問いかけるものとは。(JAMMIN=山本 めぐみ)

「ありのままで生きる」踊りに込められた思い

ドキュメンタリー映画『tHe dancing Homeless ダンシングホームレス』(監督・撮影:三浦渉)。2020年3月7日に東京・渋谷「シアター・イメージフォーラム」ほか全国順次公開予定

「新人Hソケリッサ!(以下「ソケリッサ」)」は、ダンサーであり振付師のアオキ裕キさん(51)を中心に、路上生活者もしくは元路上生活者だったおじさんたちのメンバーで結成されたダンスグループです。人やモノ、情報が行き交う街で、彼らは精力的に活動しています。

「おじさんたちの踊りは、不ぞろいで統制も白黒もない不明確なもの。これは現代社会へのアンチテーゼ。不明確さや曖昧さがあっても良いのではないか。不明確さや曖昧さにも価値がつく世の中であっても良いのではないか。我々の踊りは、今の社会のあり方への問いかけでもあります」とアオキさん。

街中でパフォーマンスを披露(撮影:阪中隆文)

「今の社会は、一つの枠の中での競争や優越、白黒を明確につけてしまうために疲弊しているという現実があると思います。でも、この枠外のことに価値が見出されたら、そこから新たな希望が広がっていくのではないでしょうか。今の社会が完成形ではなく、様々なことがまだ未熟であって、そこを意識すると、また違った見え方ができると思います」

この3月には、ソケリッサの1年を追ったドキュメンタリー映画『tHe dancing Homeless ダンシングホームレス』(監督・撮影:三浦渉)が公開されます。「この映画を通じて、たくさんの人たち、特に若い世代の人たちが、今の社会のあり方を考えるきっかけになれば」とアオキさんは話します。

「不自由さ」を意識するきっかけに

東京・吉祥寺駅〜三鷹駅区間で街中パフォーマンス。2019年6月1日、アートプロジェクトTERATOTERA主催「駅伝芸術祭 リターンズ」新人Hソケリッサ!骨の路の踊りにて(撮影:阪中隆文)

「特に今の若い世代の人たちについては、自分たちの時代よりも言いたいことがいえず、批判されたり炎上したり、それが当たり前の時代になっていると強く感じる」とアオキさん。

「幼い頃から一つの正解を教え込まれ、優越や白黒つけること、枠からはみ出さないように育ってきた結果、笑ってごまかしたり本心を偽ったりといった『不自由さ』を当たり前としてとらえているように感じるのです」

「新人Hソケリッサ!」メンバーの皆さん。左から伊藤さん、アオキさん、山下さん、小磯さん、西さん、平川さん、横内さん、渡邉さん

「若者がダメというわけでは無く、ただ、次の世代が、何かその『不自由さ』を抱えた体で未来に挑んでいくことに怖さを感じるのです。僕はそれをこの世の中を構築してきた我々大人の責任としてとらえています」

「ネットでは匿名で簡単に人とつながることができる。写真を加工して、偽りの姿を投稿することもできる。でも生身の体は、それはできません。『こんな風になりたくない』でもいいんです。華やかで着飾った世界やバーチャルの世界の存在感が大きい若者たちが、僕たちの踊りを通じて何かを感じてくれたら嬉しい。当たり前と感じている『不自由さ』に対して、何かを感じてもらえたら」

「没頭できる何かを探し求めていた」ソケリッサのメンバー・西さんの場合

横内さんとアオキさんのシーン。心身より溢れるエネルギー。2019年6月19日、象の鼻テラス開館10周年記念展「フューチャースケープ・プロジェクト」より、新人Hソケリッサ!公演「Plaza ・Z(プラザゼット)」(撮影:河原剛)

さて、ここからはソケリッサのメンバーの一人である西篤近(にし・とくちか)さん(41)に話を聞きました。西さんはどうして路上生活者となったのでしょうか。

「自分は両親と兄の4人家族で、東京で生まれ、小さい頃に佐賀に引っ越しました。親が好きに生きて苦労してきた人だったので、子どもにはきちんと勉強して良い就職をしてほしいという期待を持っていました。でも兄は小さい頃から『デザイナーになる』という夢があったので、親の進学への期待は弟である自分のもとへ来ました」

「期待に応えるために進学校に入り、地元の国立大学に進学しましたが、陸上競技をしたり音楽活動をしたり、競輪選手を目指したりと、いつも何か没頭できるものを求めていました。今思うと、幼い頃から『デザイナーになる』という明確な夢を持っていた兄への劣等感や焦りもあったかもしれません」

「次第に自分が何をやりたいのかがわからなくなり、なんとなく大学に通っていることにも窮屈さを感じるようになりました。そんな時に自衛隊にスカウトされ、入隊を理由に大学3年の終わりに退学しました」

働く中でぶつかった「組織」というしがらみ

「強制してないけれど、踊る足元は裸足が多い。地面に触れることで感じることは多いです」(アオキさん)(撮影:阪中隆文)

その後、13年間にわたって自衛隊で懸命に働いた西さん。しかし2011年に東日本大震災が起こり災害派遣された際に、理想と現実の大きな壁にぶつかったといいます。

「こちらも任務として覚悟して赴いていますから、たくさんの死体も目撃しましたし、過酷な現場はいくつもありました。自衛隊としての活動に限界を感じたわけではなくて、『組織のしがらみ』を強く感じたんです。中間管理職の立場にあったので、上からの要望と下からの要望の板挟みになって、続けていく自信を失ってしまいました」

「状況や体制を変えたいと思ったし、変えるためにうまく立ち回ろうとも思ったけど、あまりに無力でどうしようもなかった。かといって、自分に『革命を起こしたい』というほどの強い意志があるわけでもなかった。続けていく自信を失い、自衛隊を辞めました」

「のたれ死のうと思った」

ご自身の体験や思いを、熱く語ってくださった西さん

その後、好きだったミュージシャンと共に活動したいと、ミュージシャンの活動拠点だった沖縄でプロのダンサーを目指した西さん。しかし周囲から聞こえてきたのは、「あいつの踊りは我流だ」とか「プロとは名ばかり」といった批判だったといいます。

「すごく窮屈に感じて、ダンスは趣味にして別の仕事に就くことに決めました。
新たに事業をスタートするために見切り発車で借金をしましたが、やりたいことができないままその返済に追われ、次第にいろんなことがうまくいかなくなりました。借金が返せなくなり、勘当を引き換えに親が支払ってくれました」

「そこまで来ると、もう何もかもがおかしくなっていくんですね。勘当されたから親には頼れない。自衛隊の元仲間にも辞めた手前、頼れない。ミュージシャンやダンサー仲間からはまだ期待されているからそこにも頼りたくない。一人で壁にぶち当たりました」

大阪・西成にある三角公園の夏祭りにて、ワークショップ参加者と共に圧巻のパフォーマンスを披露。2018年8月14日、釜ヶ崎芸術大学主催「ソケリッサ!on釜ヶ崎夏まつりステージ」より(撮影:矢野大輔)

「ある日、家賃が払えなくなってワーッとなって。『とりあえず消えよう』と無我夢中で家を出ました。成り行きで東京に来て、公園や24時間営業の店で過ごし、3日にいっぺんぐらい食事する。『今日を生きられたらいい』という感覚でした」

「その日だけを生きているから、不安もない代わりに希望もない。淡々と生活を続けているうちにどんどん疲弊していきました。どうしようと思って、でも飛び降りて死ぬようなパワーもないし『じゃあ、食事をとらずにのたれ死のう』と思いました」

そして何も食べずに3週間、街中の人がたくさん行き交う場所で座り続けた西さん。「心のどこかで『何かあるかもしれない』という期待もあったかもしれない。でも、声をかけられるわけでもなく、何も起こらなかった」と当時を振り返ります。

そして3週目に入り、幻覚のようなものを見るようになりいよいよ死を覚悟した矢先、それまで寝ることだけはできたのに突然眠れなくなり、過ぎていかない時間が西さんに大きくのしかかったといいます。

「気が狂いそうになりました。『なんとかしないと』と思い、ホームレス支援をしているNPO団体『ビッグイシュー』に電話をかけて助けを求めました。生まれて初めて、誰かに『助けて』という経験でした。翌日にはビッグイシューの事務所へ行き、そこでソケリッサを紹介してもらい、一緒に踊るようになりました」

「実は自分が、ものすごくとらわれていた」

ワークショップに参加した子どもたちと踊る。2019年9月21日、町田市文化プログラム まちだ〇ごと大作戦チャレンジ事業「杜のるつぼう」プレイベント新人Hソケリッサ!杜のダンスワークショップ(撮影:岡本千尋)

「ソケリッサで踊り出した当初は、自分が派手にやったらもっと盛り上がるんじゃないかとか、自分ががんばればもっと注目してもらえるんじゃないかとか、あざとい感覚がありました。メンバーのおじさんたちを完全にあなどっていた」と西さん。

「『やるからには綺麗に見せないと』とか『ちゃんと揃ったものじゃないと』とか、自分がものすごくとらわれていたんです。でも一緒に踊り続ける中で少しずつ考えが変わって、自分が解放されていくのを感じるようになりました。調子が良い日もあれば悪い日もあるし、しゃしゃり出なくていいし、『今日はどう踊るのか』、自分の中の反応を楽しめるようになりました。その時に改めて、ソケリッサの他のメンバーのおじさんたちはすごいなと感じました」

「『進化しなければ』とか『停滞や後退してはいけない』ではなく、ただ日々の流れの中に身をゆだねてもいいんじゃないか。今はそう感じます。
自分が『こう生きたかった』がソケリッサの中にあります。理想をかなえてくれるとかっていうことではなくて、自分自身の血が通った『もう一人の自分』、それがソケリッサです」

西さんのソロシーン。2019年6月1日、アートプロジェクトTERATOTERA主催「駅伝芸術祭 リターンズ」新人Hソケリッサ!骨の路の踊りより(撮影:阪中隆文)

「自分にとって、踊ることは生きること。今の社会、人は大きな流れの中で、よくわからないうねりや感情、その化け物に踊らされている。そんなのに人生が踊らされているなら、立ち止まって実際に踊ればいいんじゃないか。そんな風に思っていて、そんな提案こそ、ソケリッサのやっていることのような気がします」

「3月公開の映画を、試写会を通して見ました。観てもらったらいろいろ思うところもあるだろうし、腹が立つかもしれないし、鼻で笑ってもらってもいいんです。ただ、一人の人間が生きる姿を見てほしい。映画のラストシーンで感じたことが、その人の何か、流れの中の一つとして、断片の記憶として何かになったりならなかったりしたら面白いなと思います。ぜひ見てください」

映画公開に合わせ、ソケリッサの生の踊りを一人でも多くの人に届けるためのチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「新人Hソケリッサ!」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。「JAMMIN×新人Hソケリッサ!」コラボアイテムを買うごとに700円がチャリティーされ、映画の公開に合わせ、一人でも多くの方に生の踊りを感じてもらうため、イベント(写真展やダンスワークショップを予定)を開催するための資金となります。

「JAMMIN×ソケリッサ」1/20~1/26の1週間限定販売のコラボアイテム(写真はベーシックTシャツ(ホワイト)、価格は700円のチャリティー・税込で3500円)。アイテムは他にパーカー、トートバッグやキッズTシャツなども

JAMMINがデザインしたコラボアイテムに描かれているのは、太陽と月が描かれた手のひら。踊る人と観る人、一人ひとり歩んできた人生と経験が、踊りの空間の中で大きなエネルギーとなって共有される様子を表現しました。

チャリティーアイテムの販売期間は、1月20日~1月26日の1週間。チャリティーアイテムは、JAMMINホームページから購入できます。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

白でもなく黒でもない、その不確実性の中に価値を。不自由の時代に、自由を踊る〜新人Hソケリッサ!(一般社団法人アオキカク)

山本 めぐみ(JAMMIN):
JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2019年11月に創業7年目を迎え、コラボした団体の数は290を超え、チャリティー総額は4,000万円を突破しました!

【JAMMIN】



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