環境省による社会起業家支援――省庁の起業家支援と聞くと、補助金を出したり、規制を緩和したりすることを連想するが、それらとは一線を画す取り組みが行われている。主催こそ環境省ではあるが、支援するのは公募した民間企業の経営者らだ。「いい環境は、いい社会の中にある。ならば社会づくりから始めよう」という仮説から生まれたプロジェクトを追った。(オルタナS編集長=池田 真隆)

福島第一原発から5キロ圏内にある福島県浪江町の沿岸部、かつて住宅地だったが集団移転により更地になっている

福島第一原発から半径10キロ圏内に位置する福島県浪江町。環境省が支援する社会起業家は、311の津波被害と原発事故による放射能汚染によって環境が甚大な被害を受けたこの地域で活動している。

菅野(すげの)瑞穂さん、福島県二本松市出身の彼女がそうだ。進学した日本女子体育大学ではセパタクローに熱中し、全日本選手権で入賞を果たした。大学卒業後の2010年には実家に戻り、両親から有機農業を教わる。翌年に、東日本大震災や原発事故を経験し、2013年には福島の農業の現場を普及するために、対面での対話にこだわった自然体験ツアーなどを行う会社を立ち上げる。

来月には浪江町に引っ越し、この地で事業を展開する予定の菅野さん

大地と人の心に希望の種を撒きたいという思いから、会社名は文字通り「きぼうのたねカンパニー」と名付けた。商機を見出すために、二本松市から宮城県南三陸に移住したが、このほど、福島に戻り、浪江町を舞台に事業を展開していくことを模索している。

都内から来たメンターらに浪江町の現状を話す菅野さん(写真奥)

浪江町は、帰還困難区域の避難指示が解除されて3年が経過したが、いまだに戻ってきたのは311前の人口の5%程度だ。もとは約2万人いたが、いまは1000人程度しか住んでいない。

浪江町の沿岸部にある請戸(うけど)小学校を襲った津波の高さは15メートルに及び、時計のある位置までに達した

菅野さんは浪江町を選んだ理由をこう話す。「浪江町から避難してきた人から、農業をできない辛さを聞いた。この状況を変えることが、いまの時代に農業を始めた私の使命だと感じた。有機農業を軸に、浪江町の関係人口を増やし、住民の笑顔をつくりたい」。来月には、南三陸から浪江町に引っ越す予定だ。

「なぜ浪江町で行うのか?」

1月25日、浪江町のゲストハウスで、ある会議が開かれた。出席者したのは、菅野さんに、東京から来た企業経営者ら6人。会議では、経営者たちから、「浪江町で住民が笑顔で暮らすために、何を解決したいのか」「いまいる1000人向けの事業なのか、それとも新たに呼び戻したいのか」という問いや、「なぜ浪江町にこだわるのか」という原体験を深堀する質問が相次いで出た。

これが、環境省が行う社会起業家の支援事業である。公募した社会起業家とメンターを、マッチングさせて、メンタリングを行う。議論を通して、自身の問題意識や事業の目的などを明確にしていくことを目指す。期間内にメンタリングを複数回行い、状況に応じて、メンターが企業の紹介なども行う。今年は、福島県と福岡県から2人ずつ社会起業家を選び、11人のメンターが各起業家に付いた。

菅野さんは環境省が選んだ社会起業家の1人だ。メンターには、Hotpepper beauty awardで3年連続売り上げ全国1位を記録し、従業員第一経営とCSRにも力を入れる人気美容室Lond(東京・中央)共同経営者の石田吉信さん、貧困や障がい者雇用など30以上の社会課題解決型の事業を展開するボーダレス・ジャパン(東京・新宿)で起業家支援を行う内山沙綾香さん、地元福島で復興ビジネスを支援する日本ビジネス・インキュベート協会理事の新庄榮一さん、ニュージーランド湖畔の森でサステナブルな自給自足ライフを営むグリーンピースと環境省アンバサダーを務める四角大輔さんの4人が付いた。

浪江町で行う事業について、方向性をすり合わせる

この事業の名称は、TJ ラボ。Tは、環境の変化に対応して、変形していくという意味のトランスフォーマーで、J はジャパンを意味する。同時に公募した社会起業家とメンターをマッチングさせる実験的な取り組みなのでラボとした。

そもそも、なぜ環境省が社会起業家を支援する事業を実施しているのか。ソーシャルビジネスの管轄は経産省だ。環境省は1956年に公式確認された水俣病という公害を原点に持つ。1971年に環境庁、2001年に環境省になると、廃棄物、リサイクル、自然保護、気候変動などの分野で規制づくりを行ってきた。

しかし、SDGsやパリ協定の採択によって、ビジネスのルールが脱炭素化へ変わると、環境と経済と社会のかかわり合いが重要視されるようになった。そこで、環境省では、従来の「規制」ではなく、ソーシャルビジネスの支援を通して、環境課題の解決へつなげようと考えた。

この社会起業家の支援事業は昨年度から始まったが、当時の民間活動支援室長が、当時の環境事務次官からの依頼に応える形で企画したものだ。当時の民間活動支援室長は、「いい環境は、いい社会の中にあるはずだ。ならば、いい社会作りを支援しよう」――という仮説を立てて、直接的には、環境問題に関わらないような、障がい者雇用やエシカルファッションなどの分野で事業を行う社会起業家の支援を始めた経緯がある。

菅野さんのメンタリングは25日を皮切りに、今年度中にあと2回実施される。今日メンターたちから菅野さんに出た宿題は、「なぜ浪江町で活動するのか」という自身の原体験を言語化することだった。次回までの間に、メンターからも菅野さんに自分自身を深堀するのに参考となる情報や経営者としての覚悟を決めた自身のエピソードなどを共有していく。

国は、今後浪江町を最先端のAI やIoT技術が結集した町にする計画を持っている。メンターからは、「国の施策を戦略的に活用することも有効ではないか」という意見も出たが、「だからこそ対面のつながり、人間らしさを大事にしたいんです」と、菅野さんらしさを貫いていた。

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