東日本大震災と福島第一原発の事故が起きて半年余りが過ぎた。3.11後の転換点にいる今、ap bankを通じてNPOや自然エネルギーへの支援を続ける音楽プロデューサーの小林武史さんに若者がこれから社会で生き抜くための考え方を伺った。(オルタナS編集長 猪鹿倉陽子、副編集長 高橋遼、撮影=福地波宇郎)
■脱原発への流れは強固
――東日本大震災、原発事故を経て転換点にいる日本は、今が変われるかどうかの最大で最後のチャンスだと思います。しかし、旧体制の人たちがしぶといので、もう一押し二押ししないといけません。
放射能については、女性の方が命のリレーを担っているので、敏感ですよね。その不安を払拭できるような情報はこの5年、10年、恐らく何百年入ってくるとは思えません。脱原発は国民世論の7割くらいと言われているその流れは思った以上に強固でしょう。
――普通に考えると原発の寿命は40年だから新設さえしなければ40年後に綺麗になくなるはずですよね。「徐々に」原発をなくすということは言っているのだけど、いつまでになくすかというのが非常に曖昧です。例えば、ドイツのように2023年まで、と年を区切るということが大事なのではないかと思います。
本当にそうです。そこを決めるためにも国民の意思がある程度反映されるような、国民投票みたいなものを望む声もあります。逆に負けることを恐れている人もいる場合もあるので、そこはもう少し確認が必要かなという気はします。
■日本に真の意味での民主主義を
―― オルタナ前号(25号、「ウランも原油も頼れない」)では「脱原発は民主主義のバロメーター」と書かれています。国民一人ひとりが原発問題だけではなく、さまざまな事についてきちんと自分の意見を言える社会にならないといけません。
そうですね。福島第一原発で甚大な事故が起きましたが、これにより、日本で初めて「民主主義」が機能する最大のチャンスが来たと思います。
今回の事故での情報公開の遅さには、電力会社や政治、原発を誘致する地域社会などの因果関係が背景にありました。
これは本来の民主主義ではないと(国民が)気付いたことが一つの大きな収穫でしたね。本来の「民主主義」を実現するための、明治維新、敗戦に続く3番目のパラダイムシフトであるのは間違いないです。
―― ですが、日本人の依存体質はいまだに変わりません。私たち日本人は「長い物に巻かれろ」という価値観を美徳にしているところがあります。
同時に、昔から日本人は自然界と共存して来ました。折々の四季は厳しい部分もあるけれど、人々は自然に対して敏感であり、さまざまな感性を磨いてきました。しかし、明治維新で競争経済が導入されて、そうした部分がだんだん薄れてきました。
―― 昔は八百万の神があり、自然が全て神という考え方でしたからね。
自然の厳しい部分を排除して、僕たちの感性は退化してきました。そして経済合理性がますます大きくなってきたのです。
経済合理性からいうと、同じようなものを大量に買ってくれる方が、作る側にとって楽です。でも、社会には同じようなものがあふれ、どんどん詰まらなくなっていきます。
詰まらないことに慣れてくると、ますます感性は退化します。バブル崩壊以降、この20年に顕著です。これが、本当に意味での民主主義の実現を妨げています。盲目的な保守主義です。
■生き抜くためにも創造力が重要
―― 私たちには「とりあえず隣と一緒だったら安心」との考え方がありますね。よく「空気を読め」「君はKY」という表現がありますが、空気など読んでいたら何も生まれません。
そうですね。自然に依存していた時からある、柔らかく優しい戒律というのが本来の「空気を読む」ということなのですけどね。
―― 経済状況が悪い中で、就活で「安定志向」を求める若者が増えています。「みんなと一緒が安心だ」という考えが強い中で、空気を読まないメリットは何でしょうか。
安定志向ということ自体は分からなくもありません。人間は生き物ですから、種を保存するという本能がありますし、この先の人間にバトンを渡さなきゃという気持ちになります。
―― 3.11まではそれでも良かったかもしれません。しかし、3.11で大きくパラダイムが変わってきました。
そうです。自分が生きている周辺環境が普遍的なまま変わらないことはあり得ません。3.11で大きくパラダイムが変わる中で、その変化に対応していく力が必要です。対応力・適応力が育たなければ、環境の変化についていけないリスクが出てきます。
そういう力を持つためには、クリエイティビティが必要です。「左のものを右に流してうまく稼ごう」とか、「安定した仕組みに乗っていればお金がもらえる」といった安易な生き方をしていると、しっぺ返しを食う確率がすごく高い。
自分をもっと鍛える、面白がるということが必要です。クリエイトしていくと同時に、サバイバルもしていく。人生や社会だってそこそこ危険なものですが、そういったリスクがあるから面白いのです。原発の危険とは違うけれど自然の中で生きて行くというのはそういうものです。
リスクを含めてバランスをとりながら、物事を良くしていこうという攻めぎ合いは面白い。前向きな方向を見据えながら、攻めぎ合うとなんとかなるものです。妥協では決してなく、積極的な姿勢を持って、自分たちが主体となって引き受けるということです。
■新しい倫理観を持った自由競争を
クリエイティビティを発揮していくためにも自由競争は大事です。自由競争ではあるけれど、同時にすべての人が共存・共生しています。これからは、新しい倫理観を持った自由競争社会を目指すべきですね。
―― 「新しい倫理観」とは具体的に何でしょうか。
基本的には「すべては循環している」というイメージを持つことです。例えば、僕たちが得ているエネルギーや食はどのようにして出来ているのかということを感じる。その方が楽しいですよ。
これから循環型社会を目指すのではなく、既に世界は循環しているのです。人々がきちんと生きている実感を得られるようにプラスの循環を回していく。
自分が好きなように生きることはとても大事ですが、誰もが他の人との関係の中で生きているわけで、その中で命をつないで次の世代にバトンを渡していくのです。
■エネルギーも人間も完全ではない
日本の電力・エネルギー政策はこれまで「絶対的な安定供給」が至上命題でした。でも、絶対の安定供給なんていうのは、自然の摂理からいうと不自然です。
―― すべてを解決する巨大なエネルギーがこれから登場するわけでは決してありません。太陽光、風力、バイオマスなど7-8種類のエネルギーを組み合わせるという「べストミックス」が大事ですね。
完全なものは最初からないのだと分かることが大事で、それぞれがベストな状態で機能すれば良いのです。人間もそうです。それぞれの単位の中で皆がクリエイティビティを発揮すればいいわけです。
そしてお互いが横のつながりをきちんと持ちながら、バランスを取っていく。少なくとも自分たちの世界がそういう風にして成り立っているという手触り感が実感できれば幸せです。