東北地方太平洋沖大震災で被害を受けた被災地に赴き、復興支援活動をした若者が現地に行って実際に感じた思いをありのままに語る座談会の特別編。

今回のテーマは「広田に集まる理由

語り手は岩手県陸前高田市広田町のコミュニティセンター事務局長、東京霞ヶ関で働いていたが地元のために仕事を辞めて広田に戻ってきた市職員、そしてその広田を支援している学生の三人による対談である。

三人それぞれの広田に対する思いを聞いて欲しい。

*語り手

 

 

 

 

藤田芳夫 広田町コミュニティセンター事務局長 S22/5/30

 

 

 

 







佐々木真之介 陸前高田市臨時職員 S57/6/10

 

 

 

 





三井俊介 法政大学4年 学生団体WorldFut共同創設者 学生非営利組織SET共同発起人 個人blog:生まれゆく光の中で twitter@shusuke_1223S63/12/23

聞き手

*池田真隆 オルタナS編集員

*岩手県陸前高田市広田町は沿岸部に位置する人口4000人ほどの町である。地域の縁が強く一体感を感じられる町である。今回の津波により亡くなった方は39人、行方不明者は44人、避難民は500人(5月5日調べ)



広田の好きなところはどこですか?

藤田「なんだろうな。自然がいいとか人がいいとかって言うのではないんだよな。良いところも悪いところもあるんだ。でもやっぱり自分が生まれたところだから、好きなんだよな。おれが定年退職して思うものは今の80代の人たちに育てられたってことかな。おれは漁港で漁師さんらが捕ってきた魚をAとかBとかランク付けする仕事してたんだけど、やっぱりAかBかで金額が一匹あたり3千円くらい変わってくる。やっぱり漁師さんらとランク付けのことでは揉めるんだけど、最後には後ろにいる親方たちが藤田の決めた通りに従えって揉め事をまとめてくれる。そうやって若い自分に自信を付けてもらってたな。」

佐々木「いろんな人に育てられたって感覚は強いよね。家の近所のおっちゃんおばちゃんたちにも普通に気をつけて帰れよとか、元気か、とか声かけられるし、子供たちにとってもそれが当たり前だからいろんな人から見守られてるって思いながら育つよね。」

藤田「ここでは誰の子供かわからない子はいないな。なんらかの会合には子供の頃から親と一緒に顔出してたから。いまのおれには小学校3年生の友達いるからな。」

三井「おれは茨城の筑波で育ったんだけど、そのような近所付き合いはなかったですね。授業参観で親たちが顔を合わすくらいでしたね。」

佐々木「そのほうが自由でいいんじゃない?学校サボってもばれないでしょ?」

三井「そうですね。学校さぼってもばれないですね。(笑)」

佐々木「こっちは学校さぼったり何か悪さするとすぐにばれるからね。」

藤田「そう。おれはお前たちの年くらいの頃なんて毎日パチンコしてたよ(笑)。勉強もしてなかったし。だから広田に残ったんだよ。おれの子供の頃は頭いい人は東京行けだ仙台行けだって言われて、どんどん優秀な人はいなくなる。気づくとここに残ってるのはバカばっかりだよ(笑)」

佐々木「そうそう(笑)」

藤田「だから子供にはあんまり勉強させるなって言われてたんだよ。」

佐々木「おれの同級生も成績上位の人たちはここにはいないよ。下の人たちはたくさんいるけど。」

藤田「だから勉強させるなって言ってるんだな。」

佐々木「でも、バカのほうが広田好きだよね。」

藤田「そりゃどこも行くところがないからだよ(笑)。でも、彼らも大工や漁師を一生懸命やって立派に稼いでる。確かに頭は悪いんだけどしっかり自分の専門分野を持ってるからただのバカではないんだけどね。」

三井「だからおれらと広田の人たちは合うんですね。おれらもバカだから(笑)。」

(そのへ続く)