東京大学大学院で公共政策を学ぶ桑原悠さん(25)が2011年10月、大学在籍中に地元である新潟県津南町の町議会議員選挙でトップ当選を果たした。1144票を獲得し、2位に500票以上の差をつけた。全16議員の平均年齢が約60歳という環境のなかで、「20年30年後の津南町を考えて行動していきたい」と熱い思いを語る。(オルタナS特派員=坂下可奈子)

■ 震災を機に故郷への思いが強まる

――桑原さんが町議選に立候補しようと思ったのはなぜですか。

決定的だったのは、2011年3月12日に発生した長野県北部地震です。3月11日に起きた東日本大震災の翌日に、長野県北部で大地震があり、津南町は栄村のすぐそばで震度6弱を観測し、大きな被害を受けました。

生まれ育った自分の故郷をなんとかしたい、津南の抱える少子化や過疎化などの問題に対して何か役に立ちたいと思いました。そんなときに、町議選があるのを知って立候補を決意しました。

――出馬を決意したとき、ご家族の反応はいかがでしたか。

家族はみんな最後まで反対でしたね。「何考えているんだ」と言われ続けました(笑)。当選する最後の最後まで反対でした。でも、当選してからは背中を押してくれるようになりました。

――現在、大学院2年生ですが、就職活動はされなかったのでしょうか。

大学院1年生の冬には就職活動をしていました。新潟には帰りたいと思っていたので、業種を定めず就活をしていました。そして新潟の卸売市場に内定を頂いていました。

ですが、震災直後に出馬すると決めてから、2011年の夏には内定先にもお断りをして、選挙の準備を始めました。地元で今まで選挙に関わってきた人たちにアドバイスを求めたり、父の友人に助けてもらったりしました。地元中学の同級生たちは、スタッフとして応援演説を買って出てくれました。

――現役の学生ということで、当選してから批判もあったようですね。

「社会経験がない人が議員になっていいのか」という批判は確かにありました。私は社会経験がありませんが、やるときはやります。ハンディにはなるかもしれないけど、これからキャリアを積むという覚悟があるので、あまり気にしていません。

家族や地元中学の友人らの協力もあり、トップ当選を果たした桑原さん(中央)

■ 議員の合意を得るプロセスに苦労 

――2011年11月に任期が始まりましたが、実際に議員として働いてみていかがですか。

他の議員の合意を得られないとできないことが多いと痛感しています。変えたいことがあってもすぐに変えることは難しく、プロセスを踏むことに苦労しています。

例えば、3月の議会で、ユーストリーム中継をしようという計画を進めています。町民はやはり議員が一体何をしているのか、よく分からないと思うのです。若い人にももっと身近に感じてもらえるよう、提案しました。

しかし、議員の中にはインターネットをやらない人もいるため、すぐには理解が広がりません。ですから、今は、ユーストリーム中継をするために何が必要かを調べ、メリットを提案して協力者を得ていきたいと考えています。

――普段は議員としてどんな仕事をしているのですか。

実は毎日どこかに出勤しているのではありません。私の場合は自宅が事務所なので、家で議会のための資料を作成したり、町民に「困っていることはありませんか」と話を聞きに行ったりしています。先日、大雪が降ったので様子を見に町民を訪ねたりしました。また、他の自治体はどのような活動をしているのか、町外に調査に行くこともしています。

今は毎週月曜日に大学院のゼミに出るために、新幹線に乗って日帰りで東京に行っています。ゼミでも資料を作らなければいけないときもあるので、休みがあるようでない感じですね。

■ 町民の農業所得を向上させる

――議員の任期である4年間のうちに実現したいことはありますか。

一つは、町民の所得向上です。津南町の主要産業は農業なので、農業所得を上げたいと思っています。津南ポークや雪下にんじん、アスパラなどの名産品がありますが、大きな収量も、担い手もいない状態でブランド化が難しい状況です。

大きな収量が得られないのは、集荷会社がたくさんあり、分散していることも原因にあります。そのため、出荷する品種や品質がバラバラになることもあります。さらに、どこかに出荷するのではなく、直販をしている人もいるのでなおさらです。これを解決するためには、津南の農業を一つにまとめることができれば津南農業は発展すると思います。

あとは、他の産業をおこすこと。津南町には、大きい会社がなく、個人事業主が多いです。その中で若者が働ける場所をつくっていきたい。若者が起業したいときに、支援できる体制も作りたい。そのために財政的にバックアップできるよう、財源を確保しなければなりません。

――若者ならではの意見ですね。過疎化の進む地域で重要なのが、やはり「働く場所」ですね。

そうです。もっと津南町が若者にとって可能性ある街にしていきたい。20年30年後の津南町を考えて行動していきたいのです。

――新しいことを始めようと思っていても、なかなか動き出すことができない若者も多いです。

「飛び込む勇気」が大事だと思うのです。「でも」という言葉をたくさん使うのではなくて、思い切ってやってみる。私は大学生のときに留学もして、院生1年のときに休学して箱根の旅館で住み込みをして働いていた時期もありました。

これまで勉強ばかりしてきたので、今は働きたい、体を動かしたいという思いが強いです。私自身も今年からは祖父と父と一緒に、実家の田んぼと畑をやります。今から楽しみです。地味に地道にやっていきたいですね。




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