東日本大震災が発生して1年が過ぎた。復興庁が発表した調査によると平成24年3月22日時点で避難者は全国47都道府県1200以上の市区町村に所在し、34万人を超す。
日々、ボランティアの数は減少していき、現地の情報も少なくなっている。雇用問題をはじめとして被災地では今も課題が山積している。震災当初には、多くの日本人が課題解決の力になりたいと東北へ動いた。しかし、震災から1年が過ぎた今はどうだろうか。課題が残っているのになぜ、ボランティアの数は減っていくのだろうか。
震災当初から支援活動を続ける若者たちは今の現状をどう感じているのか。3人の若者に「震災当初と比べて支援活動をする意義をどう感じるのか」という同じ質問を聞いた。
■お互いの信頼関係に意義を感じる
岩手県陸前高田市広田町を中心に支援活動を続ける復興支援団体SET(セット)は、震災が発生して2日後の3月13日に数名の学生によって設立された。東京でシンポジウムやセミナーを開催し、自分たちが復興支援活動を通して感じた想いを同世代の若者へ伝えている。また、震災当初から広田町を継続的に支援しており、若者限定の広田町への現地入プロジェクトも組んでいる。ピンポイントで支援していることや、若者ならではの元気と素直さを全面に出して活動していることで現地の方との信頼関係を築く。
メンバーの煙山美帆さん(22)は「震災当初は支援の意義や価値なんて考える暇もなく、目の前にあったできることをひたすらやって思考を止めないようにしていました」と振り返る。
そう考えた理由としては、震災発生直後の3月は特に支援を届ける「相手」の顔を知らなかったこともあり、思考を止めると空想で頭がいっぱいになってしまい涙を流すことしかできなかったからだという。
その考えが変わったのが4月。初めて被災地に行ってからである。実際の町の様子を見て、地元の方々と触れ合い、空想ではない多くの真実を目の当たりにした。
「自分が東京から知らない誰かのために足を運ぶことで、地元の方々が喜んでくれることを知りました。また、彼らは若者に知恵や知識を教えること、東京の若者は知らないことを教えてもらうこと、その相互関係でお互いを深く知り合い、信頼し合い、今日まで活動を続けさせてもらってきたように思います。私は今、このお互いの関係に深い意義を感じています」と話す。
■一人でも多くの学生に震災を考えるきっかけを与えたい
被災した受験生へ学習教材を支援するために発足した学生団体「参考書宅救便」。4月から団体として活動を開始して、今までに1万冊以上の参考書の寄付を集め、2500冊以上を受験生の個人宅や地元の塾、NPOなどへ届けた。
代表の赤塩勇太さん(青山学院大学4年・22)は「震災当初は何かを考える余裕もなく、今この時代に生きているからこそ、少しでも誰かの役に立ちたいという想いで一杯でした」と語る。
活動に対する批判を受けたことや友人に笑われることもあったが、そんなことは全く気にもならないくらい「誰かの役に立ちたい」という心の底からくる素直な思いが強かったと振り返る。
今、支援活動をする意義をどう感じているのかというと、「震災支援活動を続けていくことで一人でも多くの学生に震災を考えるきっかけを与え、動きだす手助けになることに対して最も意義を感じるようになっています」と答える。
「震災から一年が経過した直後から遠くはなれた東京で暮らす僕には震災がまるで終結したかのように感じるようになりました。自分から意識的に震災に関する情報を得ようとしない限り得ることはできないし、周りで震災について話す人も極端に減りました。僕はこのことにすごい危機感を感じました。受動的にいたら情報が入ってこないし、考えることもしなくなったこの状況をどうにかしたいと想いながら支援活動を続けています」
■石巻の子どもは、石巻の人間が育てる
宮城県石巻市が地元である門馬優さん(早稲田大学大学院教職研究科・23)は震災後の5月、教育支援団体TEDIC(テディック)を設立した。毎週末教員志望の学生らと石巻を訪れて勉強を教え、進路相談にのっている。
門馬さんは、学習支援を通じて学力低下の課題を解決すること以上に、子どもたちと触れ合うことで避難所で感じていた緊張を解きほぐす効果があったと振り返る。
「昨年5月の立ち上げ直後は、まだ学校に通うことができない子どもたちが避難所にたくさんいました。石巻市は4/21に市内一斉に学校再開が指示されましたが、実際には始業式や入学式を行い、その後は休校という状況が続いていました。
2ヵ月間、学校に通うことができていない子どもたちの学力の低下、学習習慣の未定着を保護者の方々は心配されていました。僕たちは学習支援を通じて、まさにその課題に取り組んだわけですが、それらの課題解決以上に、チューターとの会話によって緊張した避難所から解放されるという意味もあったように思います」
石巻では昨年8月に避難所は解散され、仮設住宅での生活に移行した。学校も夏休みを経て、本格的に再開した。学校の再開が遅れたことに伴い授業スピードが急激に上がってしまい、学力的についていけずドロップアウトや授業に出なくなる児童たちも表れた。
そこで、テディックはドロップアウトした児童の学力向上にも取り組んだという。
「子どもだけではなく、先生たちも体調を崩していきました。子どもたちのことを必死に見守れば見守るほど、先生は倒れていき、その結果、ドロップアウトしていった子どもたちへの個別の支援が学校では難しくなりました。一方で、ご家庭でも経済的な事情から塾や予備校に通わせることに困難を抱えていました。そういった子どもたちの学力向上のため動き出しました」と話す。
現在ではこれらの課題解決に加えて、石巻市教育委員会や学校と連携し、仮設住宅生活のストレスなどから学校内での問題行動が目立ち、先生の手が付けられなくなった児童たちへの学習支援も展開している。
「個別の支援が必要という意味では同じですが、学力低下を解決するというよりは、学校で落ち着いて勉強することができない子どもたちに寄り添い、学習する機会を創ることに意味があるのではと感じています」と門馬さんは話す。
支援自体の社会的な意義も少しずつ変化をしているように感じているという。
「震災当初はとにかく人手が足りず、緊急支援として関東のチューターのみが活動していましたが、今では石巻市在住のチューターも活動をしています。石巻専修大学の教職課程と連携し、石巻市在住のチューターの比率を高めていく予定です。対処療法的に子どもたちを支える段階を経て、次はこれから10年、20年と震災に関わらず子どもたちを支えていくネットワークを作る段階にきていると感じています。僕たちの活動も、徐々に地域に密着していき、『石巻の子どもたちは、石巻の人間が育てる』ことができるということを目指せることに意義があるのではと思っています」と今後の活動へ想いを馳せる。(オルタナS副編集長=池田真隆)
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