「アフリカで働く。」
この言葉を聞いて、どういった職業をイメージするだろうか。
アフリカ・ガーナには、現在では約350人の日本人が住んでいると言われている。私は約2ヶ月半のガーナ生活を通じて、多くの日本人と触れ合い、彼らのこの国に対する想いを伺った。
読者の方々に、「想いをカタチにする日本人がガーナにいる。」ということを、純粋に知って欲しい。そんな想いでこの連載記事を始める事にした。
「ガーナで働く日本人」に焦点を当てていくこの連載インタビュー。是非、彼らの想いを少しでもこの記事から感じて頂けたら嬉しい。
そんな連載インタビュー第一弾では、ガーナに約1年半滞在し、村の学校で子ども達にそろばん教室や、移動図書室を開き、教育に向き合い続ける1人の日本人女性、国分敏子さん(スプートニクインターナショナル)にインタビューを敢行した。(聞き手・オルタナS特派員=宮坂和憲)
———ガーナに来られる前にはどういったお仕事をなさっていたのでしょうか。
国分:ガーナに来る前の日本での最後の仕事は学童保育所の指導員をやっていました。それをやる前は、博物館の案内係や高校卒業してすぐは観光バスガイドもやっていました。すごく人前で何かをする仕事が好きだったんです。それと同時に青少年活動もしていく中で、自分の中で「子どもの教育」に携わる仕事がしたいなぁと思ったのがきっかけですね。
とにかく子どもが大好きだと語る国分さん。7年間もの間、学童保育での指導員として勤めながら、なぜガーナという異国の地に踏み込んだのか。その理由を伺った。
———ガーナに来ることになったきっかけは何だったのでしょうか。
国分:もともと飛行機も嫌いで渡航するのがイヤでした。ところが行き始めたら面白くなって、場所はもっぱら南太平洋でしたが・・。住むなら南の島と決めていたくらい。そうした中、海外で子どもに関わるボランティアがしたいと思うようになりました。そう思っていた時、地球の歩き方の本で見つけたのが、スリランカにあるガールズホームでのボランティアでした。それが2009年1月のことかな。そしてこれが私と、今活動しているスプートニクインターナショナルとの出会い。その後にガーナでの活動もある事を知って、有給休暇を取って2週間行く事にしたんです。そして2010年1月にガーナのタマレという都市の中にある村で活動しました。
その後、一度は日本に戻ってきた国分さん。しかし帰国後の彼女の決断は仕事を辞め、ガーナに長期滞在することだった。何が彼女の心を動かしたのだろうか。
———その後、2010年9月にまたガーナに戻ってくる事になります。何が国分さんの心を動かしたのでしょうか。
国分:タマレの村での活動には、学童からもらったクレヨンを持って行ってました。そこで、「自分の将来を描いてみてください!」って子ども達に聞いてみました。すると突然、先生が「先生って描きなさい!」って言い始め、先生の絵を黒板に描き始めました。子ども達は先生が黒板に描いた先生の絵をそのまま画用紙に写し始めた。それを見て、「なんで子ども達の将来ってこうやって先生が勝手に決めてしまうんだろう。」って思いました。それに、ODAなどの日本の支援もどこに届いてるんだろうって。この国に必要なのは、お金でも食糧支援でもなく、“人が人を育てること”なんじゃないかって。子ども達の自立する力を、教育を通して作っていきたいと思ったんですね。
その後はガーナに滞在し、自分で作った日本の紙芝居を英語で行なう「読み聞かせプロジェクト」を行なったり、スーツケース片手に移動式の図書室「トシコライブラリー」を開くなどの活動をなさっていた、国分さん。
そんな国分さんはトーゴ寄りにある、アフィフェという村に拠点を置いて本格的に活動を行なっていったそう。
国分:最初はご協賛を頂いてる、お絵描きプロジェクトや工作の授業などもやりました。移動図書室で村落訪問もしました。お絵かき、工作、図書室とやっている中、自分がこのような授業をしていない時は、授業を見学することになります。そうした中、とても気になったことがありました。現地の算数の授業でした。先生が書いた文字、式をひたすら必死になってノートに書き写す子ども達。それに私でも分かるくらい、間違えたことを先生が教えてる。
もっともっと子どもに分かりやすく授業しなくちゃいけないって思い始め自分で教材を作り、先生が不在で授業が行われていないクラスで授業をやり始めました。そこで気づいたのが、子ども達がみんな揃って「繰り上がり・繰り下がり」の計算が出来ないということ。これをどう教えようかと考えて、始めたのが「そろばん教室」でした。
ある日、たまたま自分が持ってきていた1本のそろばんを学校に持っていったら、子ども達がすごく興味を持ってくれたんです。それがきっかけで、去年の7月にそろばん教室を開始しました。今では、このクレヨンプロジェクト、図書室プロジェクト、そろばんプロジェクトが私の活動の3本柱になっています。
———村に実際に自分で足を運んで、国分さんはガーナの教育に何を感じましたか。
国分:ガーナの学校は全校集会を大切にしているなぁという印象を受けました。毎週金曜日の朝は体操の時間があったり、掃除の曜日がきちんと決まっていたり。伝統的な踊りをみんなで踊った日もあれば、Our Dayと呼ばれる終了式では、美男美女コンテストがありました。(笑)伝統行事を大切にしながら、みんなで行なう全校集会を大事にするのは良いなと思いました。
日本にももっと広がればいいのになぁなんて思ったりします。あとは逆に、先生の給料が安いせいなのか、先生たちにやる気が無い部分があるのかなぁということも感じます。生徒に問題を出したら、先生はご飯を食べに行ってしまう。子どもの小さなミスを先生が指導してあげられてない様子を見ると、とても歯がゆい思いになりますね。一方で子どもが授業中に何か間違えたことを発言したり、宿題で間違えていると、先生が木の棒でそれがしなるくらいに子ども達を叩く。木の棒じゃなにも解決にならない。どうして子ども達がこの問題を分からなかったのかを、もっと先生が見つめてあげなくちゃいけないんです。子どもが理解出来るように、先生も一緒になって勉強する。それが未だに学校で出来ていないのかなぁと思うと悲しいですね。もちろん、意識の高い先生もたくさんいるんですけどね。
———今後の活動の展望を教えてください。
国分:今までの自分の活動3本柱は大きく変える予定はないです。本を読む事も大事にしたいですし。8月末からは場所を変えて、北部のタマレから75km程のプリヤという小さな村で「みらいつながり教室」として活動していく予定です。
最後に、どうしてそこまで村に自ら足を運び、現場に向き合い続けるのか。彼女の教育の現場に対する想いを伺った。
———どうして、国分さんはそこまで自らの足で活動なさっているのですか。
国分:子ども達の明日が、今日よりも少しでも良い日であるように、「明るい日」と書いて「明日」。自分の力だけでは出来ないけれど、ガーナの子ども、日本の子ども、世界の子ども達の明日が本当に輝かしいものであって欲しいなぁって。そうしたことを少しでもお手伝いするのが大人の役割なんだなぁっていう想いで、活動を続けています。
【インタビュー後記】
インタビューを通じて、常に子ども達のことを考え、教育の可能性に向き合う姿が印象的だった、国分さん。教育に特効薬はないけれど、でも誰かがこうして教育と向き合っていかなければ、ガーナの子ども達の未来を切り開く事は出来ない。教育の現場に向き合い続ける彼女に、より一層の支援が届き、1人でも多くの子ども達が明るい明日を持てる日が来て欲しいと、心から思う事が出来た。
国分 敏子(こくぶ としこ)
一般社団法人 スプートニクインターナショナル ガーナ在住スタッフ
7年間勤めた学童保育所を退職し、2010年9月にガーナに渡航。その後、1年半に渡り、移動図書室、そろばん教室など、村での教育活動を行なっている。
【イベント情報】
PEACE QUEST 2012
6月17日(日) 11:00〜 原宿クエストホール
詳細はこちら:http://www.sputnik-international.jp/pqpdf/pq12ss.pdf
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