オルタナSでは若者の被災地への支援を追っています。今回は、被災地へ自転車で行った大学生より被災地での感動体験を寄稿していただきました。
自転車で仙台へ向けて出発
3月11日、日本を襲った東日本大震災。その日、僕はネパールにいた。一瞬で色あせた旅に終わりを告げ、日本に戻った。そして、僕は自転車に乗り仙台へと向かった。理由は簡単で、仙台にいる従兄弟たちに元気をあげたかった。ただ、それだけ。ほんの少しでも元気を。それだけのつもりで僕は旅に出た。
交通手段に自転車を選んだ理由は、ガソリンを使いたくないということから始まった。自分という人間がどこまで被災地で力になれるのか、自分ひとり分のガソリンを消費してまで行く意味はあるのか。考えたらキリがなくなってきて、気が付いたら寝袋と食料を持って自転車に乗っていた。
地割れにはまり、転倒!―見ず知らずの人から助けが
茨城も抜けていわきに入ったとき、雨の降る夜の暗い中を僕は自転車を走らせていた。道路はまだ修繕されていないところも多く、地割れだらけ。雨宿りをしたかったけど出来るようなところもなく、前に進むしかなかった。走っていると突然僕の体は前方に投げ出された。後ろを振り返ると自転車は地割れに突き刺さっている。体も痛かったけど、そのままゆっくりしている場合でもなく大きくフレームの曲がった自転車を手で押しながら再び前に進んだ。
なんとかコンビニまで辿り着き、そこで雨宿りをした。そこで、twitterで転んだことや自転車が壊れたことをいわきのハッシュタグを付けて書き込んでいた。すると、ひっきりなしにいわきの人から返信がくる。「大丈夫ですか?」「雨に濡れていないですか?」いわきに友達や知り合いはひとりもいないので、もちろん全員知らない人だ。僕のことを心配してくれていて、尚かつ東京から自転車できてくれたことに感謝する返信も多かった。僕は雨に濡れた冷たい体で、あたたかいコトバに触れて涙が出そうだった。
僕のツイートに対しての返信にさらに返信している中で、ひとりのおじさんが車から僕の名前を呼ぶ。返事をすると車から降りて来て、ビニール袋を僕に手渡す。中身はヘッドランプと飲み物や食べ物だった。東京からありがとう、これをもらってくれ、とだけ言って、僕に断る間も与えずポケットに1000円札をねじ込み、その場を去って行った。僕の感動メーターは完全に振り切り、うまくコトバにも出来ず、ただただ頭を下げた。(2へ続く)
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- 自転車で被災地へ―僕の方が救われた(1)