就職活動で、「ソーシャルビジネス」を決め手に会社を選んだ若者がいる。企業の知名度や規模ではなく、社会問題の解決に挑みたいと門を叩いた。彼/彼女たちはなぜ社会問題に関心を持ったのか。期待と不安が混ざった社会起業家の卵たちの素顔を追う。
この特集では、社会起業家のプラットフォームを目指すボーダレス・ジャパン(東京・新宿)に就職した若者たちにインタビューしていく。同社は、「ソーシャルビジネスしかやらない会社」と宣言し、11の事業を展開。若手社員の育成にも力を入れており、早い時期から裁量権の大きなプロジェクトを経験させ、新規事業には最低3000万円の投資を行う。
インタビューでは、社会問題に関心を持ったきっかけや、入社後に経験したプロジェクトのこと、そしてプライベートな質問まで投げかけた。
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第五弾は、新卒入社3年目の加藤彩菜さんにインタビューした。加藤さんは、ボーダレス・ジャパンに新卒で入社し、その年の10月から新規事業開発を始め、12月には単身ミャンマーへ渡航。途上国の僻地の村で暮らす人々のBOPペナルティ解消を目指す、BORDERLESS LINK社を立ち上げ、現在は社長を務める。
僻地の村では「生活必需品の購入にお金も時間もかかる」という問題がある。村の人たちは収入が少ないにも関わらず、都市部よりも食料品や生活用品の価格が高い。
加藤さんは、この「BOPペナルティ」の解決を目指し事業を行う。各村の商店に市場と変わらない価格で、食料品や生活用品を配達して「生活コストを削減」。
そして、都市部へ帰る復路のトラックには村の農産物を積む。都市部で販売することで「収入を向上させる」というモデルの事業を行っている。現在同社は、20カ所の村で暮らす5000人以上の人々の生活に、大きな影響を与えている。
大学生の頃から国際協力に関心を持ち、様々な土地を訪れ、ソーシャルビジネスの道を選んだ加藤さん。入社後、どんな仕事を経てミャンマーに向かったのか。また、プライベートの面では出産という大きな転機を迎え、「社長業」と「母親業」をどのように両立しているのだろうか。詳細を聞いた。
―加藤さんは、どんな大学生活を送っていたんですか?
加藤:大学生の頃は、自分の興味が湧いたものはなんでもチャレンジしていました。国内外の会社・非営利団体のインターンに挑戦してみたり、デザインの専門学校にダブルスクールで通ったり、ボランティア活動、webマガジンのライター、東南アジアへの一人旅。とにかく色んなことを経験して、色んな人に出会いたかったんです。その中で、自分が「本当にやりたいこと」を見つけようとしていました。
―自分が「本当にやりたいこと」を探し求める人は多いですが、加藤さんはとにかく行動し続けることで見つけようとしていたんですね。
加藤:そうですね。そんな中で私が国際協力の現場を初めて見たのは、大学3年生の時でした。大学を1年間休学して、途上国と呼ばれる国を10カ国ほど、バックパッカーとして訪れたんですね。
そこではストリートチルドレンの子どもたちから物乞いを請け、理不尽だと思わずにいられないような状況の人に多く出会いました。
大きな転機になったのが、インターンの一環で、インドの孤児院で生活した時です。子どもたちと寝食を共にしていたんですが、彼らはいつも一生懸命に勉強していました。それを見て、貧しい状況にある人たちはただ環境によって自分の力を発揮できていないだけで、機会さえあればどんな人も希望を持って頑張れるんだと思いました。
だから、私は「世界中の人々が、未来に希望を持てるような世界をつくる」、これに生涯を懸けようと決めたんです。
―なぜ、それをビジネスで実現しようと思ったんですか?
加藤:NPO、NGOのインターンをする中で、寄付が途中で止まって建設中のままになった学校や、村の人々が失望する様子をいくつも見たからです。この仕組みでは、自分のやりたいことを成し遂げるのは難しいと思いました。
寄付金を募ることに時間をかけるなら、違う方法で取り組もうと思って。現地の人の問題を現場で感じて、そこにいる人たちと共に解決方法を見つけ出して、寄付金に頼らない持続的な仕組みを作りたかったんです。調べるうちに、それを「ソーシャルビジネス」と呼ぶことが分かりました。
―起業という手段は考えなかったんですか?
加藤:ビジネスについて何も知らないし、お金もないし、同じ熱量を持って取り組める仲間もいない、そんな私が1人で起業するなんて到底できないと思っていました。
なので、就職活動をすることに決め、その時インターネットでボーダレス・ジャパンを見つけて、エントリーしました。社会問題解決のためのソーシャルビジネスしかやらない会社なら、「社会問題を解決して誰かの助けになりたい」という私の志も成し遂げられると思って入社を決めました。
―入社してから、まずはBusiness Leather Factory社(以下、BLF社)に配属になったんですよね。
加藤:はい。BLF社は今でこそ、バングラデシュの工場で400人もの雇用を生む事業になっていますが、私が入った当時は、社長の田口(田口一成)が立ち上げて2カ月程が経ったばかり。メンバーは社長、プロダクトデザイナー、私の3人だけという、超スタートアップな環境でした。(笑)
―社長から、マンツーマンで業務を教わったんですか?
加藤:いえ、教わったという感覚は正直、あまりなくて…。入社当日に社長の目の前の席を用意されたんですが、何も教わることなく1日が終わりましたし。
学生の頃に想像していたような、座学中心のいわゆる「研修」というものは、なかったです。BLF社のこともビジネスのことも分からなかったんですが、それなら自分でやってみてできるようにすればいいやと思って。
まずはECサイトの担当として、サイト運用、顧客対応、出荷、在庫管理などの全てをほぼ1人で進めていきましたね。重要な決定の時だけ社長に相談して、その他は自分で考えて決断して業務を行うような感じでした。
―入社当初から、相当な裁量があったんですね。
加藤:そうですね。「どうしたらいいですか?」じゃなくて、「自分はこう思うけど、どうですか?」って、まずは自分が考えて決めてから相談する。それを毎日繰り返して、自分で考える力や決断して進めていく力がついたと思います。
日本で学んだビジネススキルが異国のミャンマーでそのまま通用することは、実際はあまりないと思います。でも、最初の半年で身に着けた「自分で決めて進める力」は事業を立ち上げて進めていくことにかなり役立っていて、自分の強みになっていますね。
―どういう経緯でミャンマーに行くことになったんですか?
加藤:行く前までは、限られた時間で最大限学ぶために、誰よりも仕事に集中していたと思います。休日も仕事のことしか考えていなかったくらいです。そんな中、夏期休暇のタイミングで、学生の頃にインターンしていたインドの孤児院を再び訪れることになりました。
子どもたちと触れ合っていると、やっぱり海外で働きたい!という思いが強くなって。その思いは帰ってからも増すばかりで、我慢しきれず、社長に言いました。「鉄は熱いうちに打て」という言葉があるように、自分の気持ちを無駄にしたくなかったんです。
―それに対して、社長は何て言ったんですか?
加藤:「そんなにやりたいなら、ミャンマーで新規事業立ち上げるか?」って。(笑)私の中ではインドに行きたい思いもあったんですが、その時ちょうど、同期の田崎(田崎沙綾香)がAMOMA社のプロジェクトでミャンマーにいたんですね。
私がミャンマーに行けばお互いに協力もできるということで、ミャンマーで事業を立ち上げることになりました。
ビジネスの実力が未熟だと自覚はしていましたが、自分の実力の範疇に留まるのではなく、事業を成功させて村の人々の生活を変えるためにどこまでも成長しようと心に決めて、ミャンマー行きを決意しました。
―ミャンマーに行ってからの事業の流れを教えてください。
加藤:渡航したのは2014年の12月で、翌日からスタッフを採用して、事業の内容の細かい部分を詰めていきました。翌年の2月にはまず4カ所の村への配達が始まり、7月には10カ所の村に配達ができるようになって、冬には20カ所まで増えました。
個人的な話にはなりますが、今年6月に出産したので、今は産休を取りながらミャンマーで生活しています。
―色々あったと思いますが、何が一番大変でしたか?
加藤:日本ではあり得ないようなことが次々と起るので、言ってしまえばもう全てが大変なんですけど…。
例えば村の人が売上をくすねてしまったり、在庫管理ができていなくて商品がなくなったりすることもあって、そうなると話し合っても埒があかず、本当に困ります。あとは、村へ行く道が舗装されていないので、バイクや車での事故が怖いですね。
私ひとりでは本当に何もできなかったと思いますが、ミャンマー人スタッフの理解と協力があったからこそ、ここまで来られました。見ず知らずの日本人の話を聞いて理解してくれて、同じ方向を目指しながら、必死になって共に頑張ってくれています。
あとは、やってできないことはないと信じて、何があっても止まらずに、前に進み続けること。成功するまでやり続け、諦めないこともすごく大事だなと、改めて感じています。
―BORDERLESS LINKが関わる村の人々の生活は、どんな風に変化してきたんですか?
加藤:私たちが行くまで、村の人たちは収入が少ないにも関わらず、都市部よりも食料品や生活用品の価格が高くて、買い物をするために片道6時間もの悪路を歩かなければならないような状態でした。
事業が始まって2年近くが立つ今では、モノを届けている20カ所の村の5000人以上の人たちに、適正な価格で必要な物がすぐに買える状態をつくれています。
今までかかっていた生活費を10%ほど削ることができるようになった村もあって、その分を必需品の購入や、教育費に充てることができるようになりました。
例えばミンロン村の人だと、買物をしようと思うと5日に1回開かれる市場を待って、片道3時間かけて行く必要がありました。今では、私たちが村に開いた商店で好きな時に必要な物が手に入るようになったので、市場まで行くのにかかっていた時間を仕事に充てられるようになったんです。
また、ドントコウ村の人が行く市場は、都市部の町よりも物価が高かったんですね。私たちの商店では町と同じ価格で物を買えるので、市場に行く手間も省けて、町と同じ適正な価格で購入できて助かる、と言ってくれています。
―加藤さんが産休に入った6月からは、事業はどうなっていたんですか?
加藤:現場での仕事は当然、現地のミャンマー人メンバーに任せることになりました。私は日本で心配しているばかりだったんですが、結果的には私がいないことで、メンバーが自分で考えて行動できるようになって。信じて任せることも大事だと分かった、良い機会になりました。
とはいえ、事業の方向性や重要なことを決めるには社長である私の判断が必要なので、メンバーとは密に連絡を取り合っていました。好きな仕事と可愛い娘の育児で忙しいことは、私にとってはこれ以上ない幸せです。
ミャンマーでは子どもは宝物として扱われるので、現地に戻った今は、メンバーも娘の面倒をよく見てくれるんですよ。ご飯を食べる時などは娘をあずかってくれたりするので、本当に助かっています。
―最後に、これからBORDERLESS LINKでどんなことをしていきたいか、教えてください。
加藤:自分が母親になったことで、村のお母さんや赤ちゃんに、今まで以上に目を向けて事業を考えていけそうです。子どもに関する問題も色々ありそうなので、ヒアリングしながらできることを考えたいと思っています。
BORDERLESS LINKは、たくさんの村と繋がりながら信頼関係を築いてきました。その信頼関係があるからこそ、村人から様々な問題について相談を受けることがあります。
「農業を上手くやる方法は?」「道が悪いから直してほしい」など、できるだけ村人の声を聞いて、今のBORDERLESS LINKの事業モデルにこだわらず、彼らが必要とするサービスを提供しながらあらゆる村の問題解決に柔軟に取り組みたいと思っています。
貧困状態にある農村部では、村人が「自分たちの生活をなんとか良くしたい」と思っています。そこで、私たちが生活用品を適正な価格でいつでも手に入れられるようにしたり、村人が事業を行うための資金を融資したり、少しの改善で彼らの生活は変わっていきます。
私がボーダレス・ジャパンで成し遂げたいと思っていた「世界中の人々が、未来に希望を持てるような世界をつくる」こと。その実現に向けて、これからもミャンマーの村から少しずつ頑張っていきたいと思います。
―ありがとうございました!
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聞き手:株式会社ボーダレス・ジャパン 採用担当 / 石川えりか
新卒では教育×ITのベンチャー企業に入社。営業→人事を経て、入社4年目の春、ボーダレス・ジャパンに転職した。1人でも多くの社会起業家を輩出するため、そして生き生きと働く社会人を増やすため、様々な会社を見てきたフラットな目線でボーダレス・ジャパンを伝える。
3度の飯より、ボーダレスとスワローズとロック。ひたすら追いかけて日本中を走り回る変人。結婚3年目、もちろん家庭が一番大切です。時間じゃない、気持ちだ!
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ボーダレス・ジャパン採用ページ