――創業は何年ですか。
吉田:1962年です。大阪の納豆工場ででっち奉公していた父が独立し、会社を立ち上げました。父は山形出身でしたが『商売の本場、大阪で挑戦してみたい』との思いから大阪に来たそうです。
創業当初、会社は大阪府門真市にありましたが、1972年に工場が火事になり、現在会社が位置する大阪府大東市に工場を再建しました。父はお客様第一に商売をしていました。阪神大震災の際、物流がすべてストップしましたが『納豆を楽しみにしているお客様に納豆を届けたい』その一心で自ら車を走らせ、神戸まで納品したこともありました。
――二代目を継いだ きっかけは。
吉田:当初は全く後を継ぐつもりはありませんでした。考えが変わったのは、父にがんが見つかってから。結局父は亡くなりましたが、続けるか手放すかを決断する際、父の思いや苦労が詰まった会社をここで終わらせたくないと思いました。
私には2人の妹がいますが、当時専務として会社に携わっていたこともあり、現実的に継ぐことができるのは私だけでした。経営のノウハウは全くありませんでしたが『畳みたくない、だったらやるしかない』との思いで、2007年に代表取締役に就任しました。
当時は会社の経営が厳しく、人件費削減のために 、現場で率先して製造作業に関わりました。そんな時『社長にしかできない仕事をしないと絶対に会社は成長しない』と先輩の経営者に言われたのを機に現場を離れ、経営者の自分にしかできない仕事を考え、取り組み始めました。
――どんなことに取り組んだのですか。
吉田:会社外部との関わりを積極的に持つようにしました。作り手の考えばかりを押し付けた商品作りを避けるために、社長として客観的な立場で会社を見る必要があると考えたからです。具体的には、同業種だけでなく他業種の人々が集まるセミナーや、市場ニーズを学ぶ勉強会に参加しています。また直売会では自ら売り場に立ち、お客様の声に耳を傾けています。自分たちが作りたいものだけでなく、周囲の声を取り入れた商品開発を心がけています」。