新卒で入社したITコンサルティング会社を1年あまりで退職し、「福島で自分の能力を活かしたい」と一般社団法人Bridge for Fukushimaに右腕として参加した加藤裕介さん(前編はこちら)。Bridge for Fukushimaでの活動を経て、2012年9月末には自ら福島で起業をしています。「みちのく起業」の事業創出プログラムに応募した経緯や現在の活動について、お話を伺いました。(インタビュー前半はこちら

相双地区・ツアー案内先の事前調査を行った時の様子

――9月末にはみちのく起業を通じて起業されました。起業の準備は、右腕の活動をしながらですか。

加藤:私の中では、起業は右腕の仕事の延長線上にあるもので特に切れ目のないものだと思っています。だから、「よし、起業するぞ」と意気込んで起業したわけではなくて、流れの中でやりたいことを実現するのに、みちのく起業の起業支援プログラムが活かせるのではないかと思ったんです。

――やりたいことが見えてきたんですね、右腕として動いているうちに。

加藤:見えてきたというか、こちらで活動している人たちにはおそらく共通の認識だと思うんですけれど、「母ちゃんはがんばってるけど、父ちゃんはどこにいったの?」という問題意識があって。イベントなどをやると、女性は参加してくれるんですけれども、男性は顔を出さないことが多い。男性を元気にするにはどうしたらいいんだろうねという話は、こちらに来てからいろんなところで聞くんですよね。

私が右腕の活動を通じて思ったのは、復興の具体的なスケジュールが立てられなくて、いつまで経っても産業が復興しないし、自分でやりたい仕事ができないからだろうと。そうであれば、彼らが元気になるような仕事を生み出さなければならない。

じゃあ仕事を生み出す手段って何だろう、と考えたときに、ビジネスマッチングツアーがいいのではないかなと思いついたんです。最初、みちのく起業に応募した時点では、医療ツアーとして企画していました。中国などから人を呼び込んで、福島県内の医療先進地域を活性化しつつ医療過疎の町にも医療で雇用を生み出せないかなと。でも、みちのく起業の審査過程で、審査員の方からアドバイスをもらって、最終的にはビジネスマッチングツアーに落ち着きました。

――どんなアドバイスを?

加藤:中国じゃなくて、まずは東京の大企業の意思決定権者を呼んできて福島でビジネスを作れるくらいじゃないとこんなプランは無理ですよと。それでビジネスマッチングツアーをやることに決めて、今に至っています。今は、Bridge for Fukushimaの仕事をこなしつつ、時間を見つけては浜通りに行って話を聞いたりしています。どちらも連続性のある、リンクしている仕事なので。

――右腕をやったからこそ気づけたこととか、みちのく起業の審査でアドバイスをもらったこととか、そういった「人のサポート」があったからこそ、より具体的な行動に移っていけたのでしょうね。

加藤:そうですね。本当に、人に恵まれて生きているなと思います。もとをただせば、ETIC.を通じてワーク・ライフバランスの小室社長に出会えたわけですし、あのときインターンをしていなかったら、きっとここにはいないはずですから。出会った皆さんの導きを受けて、なんとか生きてこれたという感じです。

――実際にビジネスを始めてみて、いかがですか。

加藤:9月26日に採択されてから2~3週間といったところなので、まだ本当に始めたばかりです。でも、企業の方や商工会の方たちの話を聞くうちに、自分がいかに難しいことをやろうとしているのかがよく分かってきたところです。いま、復興庁が石巻の商工会と組んで、「結の場」というまったく同じことをやろうとしているんですよ。

ツアーではなく、商談会「結の場」という形でやるらしいのですが、それですらうまくいくかは分からないわけで、それを福島でやろうという、その難しさをこの2~3週間でちょっとずつ感じ始めています。

――今、これから企業が福島に入っていく、というのは、企業にとってはCSRという文脈だけではそれほど予算もかけられないでしょうし、具体的な成果も描きにくい。商売としてちゃんと成立する、ということが見えてこないと難しいでしょうね。それに、企業が入っていくことを決めたとして、受け入れる側が「今さら来るの?」という態度ではなく、受け入れてくれるような場があるといいですよね。

加藤:ETIC.みたいな団体が存続していることからも分かると思うんですけど、コーディネートってやっぱりすごく大変で、その働きが見えにくいものかもしれないですが、それをちゃんとやる人が専任でいないと難しいだろうということは分かっているので、じゃあ私がそれをここでやれればいいのではないかと思っています。

――こういうマッチングがいいのではないか、という予感みたいなものって、すでに感じたりしますか。

加藤:まだ難しいんですけれども、南相馬市小高区は今年の4月16日をもって入れるようになったエリアで、再開している事業者さんが3~4つあり、その中にちょっと光るところもあったりします。昔のお客さんを呼び戻すことは難しくても、何か新しい分野で花開けばいいなと思っています。それから、浜通りの医療崩壊は深刻な問題なので、医療や福祉の分野で何か仕事が生まれればいいなと思っています。

南相馬・仮設工場にて行った金属加工業のリサーチ

――これから入っていこうとしている企業からすると、マーケティングリサーチをしておいてもらえると入っていきやすいでしょうね。それに、今後こういう展開がありえますよ、ということも含めてちゃんと伝えてもらえると、本当にコンサルティングですよね。

加藤:そうですね。でもまだ24歳なので、「コンサルです」という形で見せるのはまだダメなんですよ。ビジネスマッチングツアーのコーディネートをやっている者ですよ、くらいで自己紹介しています。これからいろいろと環境を作っていったりしながら、力をつけて、ゆくゆくはコンサルティングもありかもしれないなと思っています。

――「右腕をやりたい、東北で起業したい、でもどうしようかな…」と思っている人に対して、何か言っておきたいというようなことってありますか。

加藤:自分の都合を押しつけちゃいけないと思うんです、あくまでも被災地の復興のために働くわけですから。でも、自分の夢は追いかけてもいいんじゃないかな、とは思います。これをやっているから自分は楽しいんだ、という部分もやっぱり持っていたいですよね。自分も楽しくて、被災地のためにも何かやりたいというのであれば、そういう人は、もう、ぜひどうぞという感じですね。

――「とりあえず、こちらに来て働きたい」という人がいるとしたら、どう思いますか。

加藤:レベルがあると思います。「とりあえず来ちゃったから、何をやったらいいのか教えてくれ」、あるいは、「何でもやるから、やってほしいことを言ってくれ」というのはダメですよね。「とりあえず来ちゃいました、自分はこういうことができるから、こういうことをしましょうか?」という人だったら、すごく喜ばれると思います。

――震災直後に比べると、いま必要なのはマンパワーではないのかもしれませんね。加藤さんの個人的な思いとしては、具体的には、どんな人に来てほしいですか。いま関わっているプロジェクトでこういう人が必要だというのがあれば。

加藤:ITとかデザインに詳しい人で、かつ、プロジェクトの責任を持って回せる人がいたら活躍できるのではないかと思います。とりわけ、WEBを作れると、とてもいいかなと。情報の発信方法が分からない小規模な団体にすぐにアドバイスをしてもらえるでしょうから。

あとは、案件形成ができるコンサルタントとか、すごく専門的な会計をやってくれる人なども活きるのではないかと思います。こちらで活動している皆が感じていることだと思いますが、会計士などの士業の人たちを中長期のボランティア、いわゆるプロボノの世界に引き込めないかなと。会計が大変だと困っているNPOもありますから。

ただ、士業の人たちがフィーを得ながら専門的にやっているところを、どうやってボランタリーにやってもらえるのかという点についてはまだイメージがついていないです。

南相馬市小高区・原発10km圏境界付近

――彼らの商売につながるような機会をうまく作れればいいのでしょうけれどね、それこそマッチングというか。いずれにしても、いま現地に必要なのはもうマンパワーではないんだよということは確かなのでしょうね。最後になりますが、この「みちのく仕事」を見ている人たちに対して、何か伝えたいことがあったら教えてください。どんなことでもかまいません。

加藤:そうですね。福島の問題はそんなに分かりやすくないよ、ということですかね。そんなに目に見えて「うわ、これはひどい」っていうものばかりではありませんよと。さらに、よくよく考えてみれば、岩手も宮城もそうですよと。

沿岸部などに行くと「うわ、これはひどい」と分かりやすいというか目に見えやすいと思うんですけれど、そういう目に見えるところ以外の部分にも、復興のニーズがあったりするんですね。隠れているというか。だから、一見、ここは大丈夫なんだろうな、と思うようなところでも、つねに注意深く見てほしいというか、きめ細やかに見てほしいなと思いますね。

――きめ細やかに見る。

加藤:たとえば、小高から避難して仮設住宅に住んでいる人の話を聞く機会がもしあったとすると、高齢者は「早く小高に戻りたい」って言うと思うんですね。でも、ある年齢を境にして、「いや別に、戻る気はないよ」という意見の方がおそらく増えるんですよ。だから、一部の意見だけを聞いて、それが全体だと思わないでほしい。「本当にそうなのかな?どうなんだろう?」ってもうちょっと深く考えてほしいんです。

よく、仮設住宅を訪れる議員さんに向かって、高齢の方たちが「早く戻りたい」と訴えることがあると思うんですれけれども、全体で見れば、それだけが意見ではない。戻りたいと言っている人がいる一方で、別に戻らなくてもいいという人もいるわけです。私自身は、それを踏まえた上で、それでも戻りたいと言う人がいるんだから小高は復活させなくちゃいけないと思っているんですよ。

――私たちが見ていない、見えていない部分が、ほかにもきっとたくさんあるんでしょうね。知ったような気がしているだけで、本質的にはぜんぜん知っていないのかもしれない。どうしたらいいのでしょうね。

加藤:そこは私たちも努力すべき点だと思っているのですが、たとえば、私たちが発信する情報にアクセスしてもらうとか。ツアーを組んだりもしていますので、こちらに足を運んでもらい見てもらったり話をしてもらうとか。やっぱり、東京にいて、テレビや新聞だけでこちらの状況について判断できるものではないと思うので。

先ほどの話で言うと、他にもたとえば、上下水道の問題、下水を流すことが禁止されている場所でお店を再開しているケースもあるんですけれど、首都圏から見れば「復興の美談」でも、現地住民の間では「ルール違反して、下水を流しているんじゃないの?」と噂がたてられていたりするわけですよね。

上下水道だけじゃなく、ガスとかゴミ焼却といった、インフラの整備に関してもまだ合意形成ができていない。そういったことが、今後何年にもわたって、さまざまな場所で起きていくんですよ。

だから、それは小高だけの問題ではないし、今に限った問題でもない。それを分かった上で、それでもやっぱりそこに住みたい、戻りたいという人は絶対にいるし、じゃあ、その人のために何かしたいと思ったときに、どういうことができるだろうと考えられる人なり企業なりにこちらに来てもらって、それが社会起業家という形をとってくれれば嬉しいですね。

――本当にそうですね。ありがとうございました。

*この記事は、「みちのく仕事」から転載しています。