タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう
なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)
◆負け戦
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この女はいつでも身ぎれいだ。啓介は自分のビール臭い体を嗅いでみた。
「朝から飲む暇があったらメールの返事くらい出しなさいよ」
「えっ、メールなんかきてないよ」
啓介が携帯電話を確かめだすと由美子はIPADをHと書いた金属製のブランドが付いているハンドバッグから取り出してタッチし始めた。
イーメールを出したと言う証拠を示そうとしているのかと思ったら、そうではなかった。
画面にはニュースが流れていた。
管首相がヘリコプターで福島と東北のイースト
コーストを視察しているらしい。画面からゴーッという不気味な音が聞こえてくる。山田が寄ってきて覗き込んだ。啓介も覗き込んだ。
昨日よりさらにリアルな東北の海岸と福島の原発の画像がそこにあった。
「すげえな」「すごいです」「すごいわね」
平井も出社してきた。「どないなってんのや」と
頓狂な声を上げている。啓介の様に近状で世を
過ごしたものは早々と出社してきている。
定時近くなっても出社しないものは自宅に問題が起きているのだろう。そして階上の中国人エンジニアたちのように、そしてアメリカ人シニアスタッフたちのようにもう出社しないであろう者たち。社内の空気がとても不安定だ。山田が平井に尋ねた。
「会社は莫大な保険金を払うのでしょうね」
平井が鼻で笑った「何言うてるんや。天災は免責やないか。当社は痛くも痒くもあらへん」
「でも地震保険の分は?」啓介が聞いた。
「それは払うことになるんやろうな。落ち着いたら地震保険の加入者がごっつ増えるで」
それより仙台支店の人たちはどうだろうか?電話が鳴った。由美子が出た。事故報告だ。また鳴った。山田が出た。続いてまた鳴った。
するとまるで蝉しぐれのように電話が鳴りだした。ほとんどが事故報告だ。事故報告をできる人はまだ幸せな人だ。亡くなった人、大けがの
人、通信手段のない人は事故の報告すらできないのだ。そんな大事に本国へ逃げ帰ろうとしている人がいるとは何ていうことなのだと啓介は憤慨した。電話機を両手に持ちながら「少々お待ちください」とか「すみません」とか言いながらフロアを見渡すと、必死で応対するいつもより少ないスタッフのフロアはまるで味方を失った負け戦の戦場の様だった。由美子が戦っている。啓介より手際が良い。平井も左手で受話器を持ち、目配せをしながら、顔の前で右手を左右に振っている。平井は相手を選んで戦っているのだ。でもわが軍の大将はどこにいるのだろうか?
文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。
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