就職活動で、「ソーシャルビジネス」を決め手に会社を選んだ若者がいる。企業の知名度や規模ではなく、社会問題の解決に挑みたいと門を叩いた。彼/彼女たちはなぜ社会問題に関心を持ったのか。期待と不安が混ざった社会起業家の卵たちの素顔を追う。
この特集では、社会起業家のプラットフォームを目指すボーダレス・ジャパン(東京・新宿)に就職した若者たちにインタビューしていく。同社は、「ソーシャルビジネスしかやらない会社」と宣言し、10の事業を展開。若手社員の育成にも力を入れており、早い時期から裁量権の大きなプロジェクトを経験させ、新規事業には最低3000万円の投資を行う。
インタビューでは、社会問題に関心を持ったきっかけや、入社して学んだこと、そしてプライベートな質問まで投げかけた。
■「戦争なくす」シェアハウスとは
第二弾は、新卒入社4年目の青山明弘さん。学生時代にカンボジアで地雷除去に携わる人々へインタビューし、紛争の理由として聞いた「貧しかったから相手を殺すしかなかった」という言葉に衝撃を受け、戦争をなくすと決めた。戦争に繋がる偏見、貧困問題を解決すべくボーダレス・ジャパンに入社。
青山さんが担当するのは、多国籍シェアハウス事業。事業の名称は、「BORDERLESS HOUSE(ボーダレスハウス)」。
このシェアハウスは、日本、韓国、台湾の3カ国に118棟あるが、特徴的なのは、一つのハウスに現地人と外国人が半分ずつ入居していること。あえて、異なる文化を持つ者どうしを一緒に住ませることで、異文化交流を促進するのが狙いだ。
青山さんは、2年目にシェアハウス事業の台湾拠点責任者として単身渡航した。(当時の取材記事)その後、2年近くが経過し、5人のメンバーを率いて、次のステージに向かおうとしている。入社から今までの道のりと、「戦争がない社会」をつくるための展望を聞いた。
――入社後はBORDERLESS HOUSE(国際交流のための多国籍シェアハウス事業以下BH)社に配属されたんですよね?
青山:はい。まずはシェアハウス運営の基本を叩き込まれ、5月末からはFREE HOUSE EXCHANGEプロジェクトを任されました。これは、「BH入居者は海外にあるBHならどこでも無料で宿泊できる」という企画で、ターゲットや細かいルール決め、Webページ作成など一通りやって8月にローンチしました。
当時は日本と韓国だけでしたが、今は台湾も含めた3カ国が対象です。成功すれば「実際に異国の地を見る」機会をより簡単に提供できますし、集客的にも売りになるので、シェアハウス運営と並行して必死にやりましたね。9月からは、シェアハウスの日本人大学生の集客を担当しました。
――卒業してまだ半年ほどですし、大学生の心理は想像しやすかったんじゃないですか?
青山:それが…全然だめでした(笑)。Web広告運用、留学エージェントや大学相手の営業など色々やりましたが、結果が出なくて。一生懸命やったつもりでしたけど、振り返ると、施策の数・優先順位付けとか、ビジネスの基本ができてなかったですね。どうしたら結果を出せるのか夜な夜な考え続けていたら、お恥ずかしい話、朝起きられなくなったんですよ。元々朝は強い方なんですけど、知らない間に自分で何度も目覚ましを止めていて、遅刻を繰り返したことも…。
――そうだったんですか(驚)
青山:それを注意されてまた落ち込む負のスパイラルでした。その頃はBH社の同期が新規事業に配属されたり、もう1人の同期のAMOMA社のタカシは韓国赴任が決まったりしていて、焦りがありましたね。
――結果が出ない+ライバルの活躍というダブルパンチ、どう乗り越えましたか?
青山:変なプライドを捨てました。FREE HOUSE EXCHANGEを入社2カ月で任されて形にできて、調子に乗ってたんですよね。学生集客もできるという驕りがありました。それを自覚したので、全然結果を出せていない事実をちゃんと認識して取り組むようになりました。
――入社2年目はどうでしたか?
青山:4月から物件調達を担当しました。BH社は物件調達→集客→日々のシェアハウス運営が基本なので、これで事業全体の仕事を経験できました。こうなったのは、海外でシェアハウスをやりたいと伝えていたからだと思います。海外拠点を立ち上げるなら、業務全てを把握している必要があるので。
――なぜ、海外でやりたいと思ったんですか?
青山:戦争・紛争を解決するために早く海外で事業を立ち上げなければ、という意識は常にあって、そのためにも1度、文化も言語も違う土地で事業をやる経験を積みたかったからです。あと、FREE HOUSE EXCHANGEがある中、BH社として海外拠点を増やすことが入居者に絶対必要だと思ったことも理由です。
4月にBH社 社長の李と韓国に出張したのも転機でした。この事業に携わることが本当に自分の目標に繋がるか疑問で、ぐちぐち悩んでいたんです(笑)。でも、韓国にいたタカシやBHのメンバーと話し、異国の地でも衝突を乗り越えて家族のようになっていく入居者を見て、このコミュニティビジネスは戦争の解決手段になるって強い確信を持てました。その後はぶれなかったです。すぐにでも俺に海外立ち上げやらせてください!って。