就職活動で、「ソーシャルビジネス」を決め手に会社を選んだ若者がいる。企業の知名度や規模ではなく、社会問題の解決に挑みたいと門を叩いた。彼/彼女たちはなぜ社会問題に関心を持ったのか。期待と不安が混ざった社会起業家の卵たちの素顔を追う。

この特集では、社会起業家のプラットフォームを目指すボーダレス・ジャパン(東京・新宿)に就職した若者たちにインタビューしていく。同社は、「ソーシャルビジネスしかやらない会社」と宣言し、11の事業を展開。若手社員の育成にも力を入れており、早い時期から裁量権の大きなプロジェクトを経験させ、新規事業には最低3000万円の投資を行う。

インタビューでは、社会問題に関心を持ったきっかけや、入社後に経験したプロジェクトのこと、そしてプライベートな質問まで投げかけた。

第四弾は、新卒入社3年目、BORDERLESS FARM社長の田崎沙綾香さん。田崎さんは、入社4カ月で単身ミャンマーに渡り、事業を立ち上げた経歴を持つ。もともと貧困農家に課題を持っており、入社後はオーガニックハーブ商品を販売する「AMOMA」社に配属された。この商品のオーガニックハーブは、途上国の貧困農家からフェアトレードで仕入れている。

この事業を拡大するため、入社4カ月で、ミャンマー・リンレイ村に移った。この村の貧困農家からオーガニックハーブを仕入れ、収入向上につなげた。

いまでは同社は、「妊娠・授乳期特有の症状に悩む母親」のためのハーブティー・アロマオイルで年商10億円に迫る。

同社と契約を結ぶリンレイ村の農家数も95に増えた。そこで、ハーブだけでなく、もとからリンレイ村にある植物や、育てやすい作物なども作った方が収入の改善になると考え、今年8月、AMOMAから独立し、新たに「BORDERLESS FARM」社を立ち上げた。

このインタビューでは、学生時代の経験、プロジェクトの立ち上げから独立までの経緯、そして現在契約を結ぶ95の農家と何を目指すのか質問した。田崎さんは入社後、すぐに異国の地へ渡り、事業を立ち上げた人物。社会的課題を解決する新規事業を考えている人には必見のノウハウを聞くことができた。

 

—聞きたいことは色々ありますが、まずは「何を成し遂げたいのか」と、そう思うようになった経緯について教えてください。

田崎:私がやりたいのは、「途上国の農家が農業で食べていけるように、農業ビジネスで社会を変えること」です。中学・高校の頃に父と自宅近くのJICAつくばのイベントに通っていたことがきっかけで、高校2年の時にカンボジアへ10日間、スタディツアーで渡航しました。農村や病院、孤児院、ゴミ山などを見て衝撃を受けたんですが、農村の様子は特に印象に残っています。

「農家さんは食べ物を作っているのに、十分にご飯を食べられない」、そんなことがあって良いのかって思ったんですよね。その時から「途上国の人が農業で食べていけない状況を変えたい」と思うようになり、東京農業大学に進学しました。

—進学後は、ひたすら農業を学んでいたんですか?

田崎:はい、大学で学ぶだけではなくて、国内は沖縄から岩手まで、海外はインドなど、様々な場所で有機農業を中心に見てきました。有機農業に注目したのは、大学入学直前に母が乳がんになったことがきっかけです。

オーガニック食品を中心に行うゲルソン療法(牛乳や卵、肉、魚などの動物性たんぱく質を極力摂取しない食事療法)で元気になり、その時に有機野菜の素晴らしさを実感しました。

—休学もしたそうですね。

田崎:短期の実習だけでは土作りから収穫までという農業の一連の流れが分からなかったので、大学3年で休学して、インドにある日本のNGOへ「持続可能な農業」を学びに行ったんです。

日本人の大学生は私だけでしたが、インドやミャンマー、ネパールから研修生が来ていて、皆で一緒に暮らしながら農業を更に学ぶことができました。そこで、NGOは農業技術を教えるのは上手でも、農作物を売るのに困っていることを知ったんですよね。

安定した収入を得られて、継続的かつ大きなインパクトを出すために、「ビジネスで継続的に売れるようにしたい」と思いました。

インドでの農業研修時の写真。手前・左端が田崎さん

インドでの農業研修時の写真。手前・左端が田崎さん

—ボーダレスに入社したのはなぜですか?

田崎:すでに、AMOMA社が「貧困農家の収入向上のためにオーガニックハーブティー販売」をやっていたからです。インドから戻って就活をした時には、他にも有機野菜販売で有名な某上場企業とかも見たんですが、ボーダレスに決めました。

正直、ボーダレスが掲げる「社会起業家」という言葉にはあまりピンとこなかったです。でも、私がやりたい事業をやっている会社はなくて、それなら自分で早く事業をつくれるところに行こうと思って選びました。

—入社してからは、何をしてきたんですか?

田崎:AMOMA社に配属され、まずはコールセンターでのカスタマーサポートや出荷業務を担当しました。産婦人科への営業もしましたね。5月の連休明けには「ミャンマー農家との提携スタート」が具体的になったので、リサーチのためにミャンマーに行って色んな村を見て、リンレイ村でやることにしました。

ここは250世帯・1,000人ほどが暮らす村で、どの農家もタバコ栽培で生計を立てていました。村の人の多くが、市場にアクセスしづらいが故に仲買人に農作物を安く買い叩かれ、栽培に必要な大量の農薬を買うために借金を抱えて苦しんでいました。タバコの葉を乾燥させる時に出る煙で病気になる人も多くて、一刻も早くタバコ栽培をやめる必要があったんですね。

このプロジェクトはまさに自分がやりたいことだったので、日本に帰国後、ミャンマーのハーブ栽培を進めるリーダーになりました。タイに農業研修に行ったり、ハーブ農家を訪問したりしながら栽培方法を研究して、その年の8月からミャンマーに行きました。

—入社4カ月でミャンマーに行くことになって、不安はなかったですか?

田崎:当初は2年行く予定だったので、彼氏との別れの危機がありました。(笑)

プロジェクトに関しては「やるしかない」と思っていたので、不安は特になかったですね。ただ、「ハーブ栽培を開始する」という漠然としたミッションしかなかったので、行ってからが大変でした。

まずは紹介してもらったミャンマー人数人とヤンゴンで面接して、オイスカで農業を学んできたチココラさんにメンバー入りしてもらい、ホテルに泊まりながらオフィス・家探しを始めました。と言うより、”リンレイ村探し”から始まったんです

—リンレイ村を探す? 5月に1度行きましたよね?

田崎:たしかに1度行った場所ですが、その時はミャンマー人にアテンドしてもらったので、場所を理解していなくて(笑)

チココラさんとバイクでリンレイ村を探しながらやっと見つけて、村の人と会い、村長と話すことができました。今まで栽培してきたタバコとハーブは全く違うので、「急に転作なんてできない」と反対されることを覚悟していました。

ですが、実際は思ったよりもスムーズに話が進みました。リンレイ村の人たちも、借金までしながら農薬だらけのタバコを栽培するのは嫌だったんだと思います。タバコの乾燥に使う薪を取るために森林伐採もしていたので、村の水は昔よりも少なくなってきていて。今までと違うやり方に変えたい、という気持ちもあったと思います。

バイクで移動中の1枚。運転手はチココラさん

バイクで移動中の1枚。運転手はチココラさん

—どうやって栽培に入ったんですか?

田崎:村長の畑を借りて、テスト栽培を始めました。「この村で本当にオーガニックハーブが栽培できる」ことを確かめつつ、同時に、村の人が本当に何に困っていて、どういうモデルでハーブを栽培したら生活が良くなるかを、100以上の農家にインタビューして検証しました。

結果、最初は「栽培したハーブを全量適正価格で買い取り保証する」というモデルで始めることにしました

—その後はどういう風にプロジェクトを進めましたか?

田崎:実は、そのタイミングで日本に戻ることを決めました。

—随分唐突な話ですが、なぜでしょうか?

田崎:ミャンマーにいる必要はないと思ったからですね。チココラさんは農業のプロで栽培方法や灌漑についても詳しくて、「自分がプロジェクトリーダーとしてミャンマーで何をすべきか」が分からなくなったんです。

今の実力でできることはほとんどないし、農業のスキルを高めても事業をつくれるようにはならない。なんとかしたいという気持ちが空回ってプロジェクトのスピードが落ちたことを社長の田口にも指摘され、帰国することにしました。

自分がどこで何をするべきか悩みましたが、シンプルにやりたいことを見つめ直すと、やっぱり「途上国で農業ビジネスをやること」に辿り着いたんですね。それなら、ビジネスで重要な「マーケティング」の力をつけて、お客様のマインドを徹底的に理解する必要があると思いました。

なので、ハーブティーのECショップを運営したり、Web広告を運用したり、ランディングページを作成したりと、商品のマーケティングにがむしゃらに取り組みました。「どう伝えたら相手は動くか」をひたすら検証しながら、ECのマーケティングを一通りやりました。ミャンマーのことは一旦、チココラさんに託して、そこだけに集中しましたね。

—今年の6月にミャンマーへ行ったのは1年半ぶりだったんですね。

田崎:そうですね。リンレイ村のハーブの出荷体制が整ってきた頃でしたが、送られてきたハーブをお茶に加工したら、今まで販売していたものと味が全然違って、美味しくなかったんです。

様子を知るためにミャンマーに行ったら、大変なことになっていました。AMOMAと契約を結ぶ農家は95まで増えたんですが、作れるだけ作ればいいという状態になっていたんですよね。

チココラさんも計画的に仕事することがあまり得意ではなくて、感覚に頼るのが当たり前になっていました。作るからにはきちんとお客様に届けられる品質のハーブでなければ意味がないので、生産体制を整えて帰ってきました。

—AMOMA社からBORDERLESS FARM社が独立した経緯を教えてください。

田崎: AMOMAの販売量に対して、農家の数が多くなりつつあります。また、AMOMAに出荷するハーブだけを栽培するより、様々な農作物を育てる可能性を模索していった方が、農家の生活水準が早く向上すると考えて、事業としての独立に至りました。余談ですが、私の結婚・転勤も重なったんです。

—再度、8月末~9月中旬にもミャンマーに行っていましたが、その時は何をしてきたんですか?

田崎:生産体制を更に整えるためです。1農家がどれくらい畑を持ち、何を栽培し、どれくらい収穫できるかを明瞭にした他、ハーブ加工工場の整備、ミャンマーから日本への輸出代行会社を探したりしてきましたね。

畑を管理するメンバーと工場で働く9人のメンバーのミーティングをして、ボーダレス・ジャパンの考え方や、BORDERLESS FARM事業の意義を伝えました。

リンレイ村の農家に丁寧にヒアリングを行い、信頼関係を築いてきた

リンレイ村の農家に丁寧にヒアリングを行い、信頼関係を築いてきた

—田崎さんが初めてリンレイ村を訪れてから2年以上経ちますが、リンレイ村はどう変わってきましたか?

田崎:村にある250程の農家のうち、100農家がハーブ栽培を始めました。自分たちで有機肥料も作れるようになりましたし、安定した収入を得られるようになりました。

村の人から聞いて嬉しかったことはたくさんあって、例えば、「相手が喜ぶものを作れるようになった」という言葉です。タバコは喫煙者しか喜ばないし身体に良いものでもないけれど、オーガニックハーブはお茶として、辛い症状に悩むたくさんの妊娠・授乳期の母親に喜んでもらえる。収入も嬉しいけど、相手に喜ばれることが何より嬉しいって言ってくれました。

「出稼ぎに出ていた子どもと一緒に暮らせるようになった!」という話を聞いた時は、本当に嬉しかったです。その方のお子さんは17歳なんですが、家計を支えるために家族のもとを離れて、マレーシアまで出稼ぎに行っていたんですね。

でも、リンレイ村に残った家族がタバコからオーガニックハーブに転作して収入が安定したので、出稼ぎから戻ってくることができたそうです。今は家族みんなでハーブを栽培して、生計を立てることができています。

—これからは社長として、BORDELESS FARM社をどうしたいですか。

田崎:リンレイ村にはタバコ栽培をやめてハーブに転作したい人がまだまだいます。AMOMAだけに出荷しているともうすぐ買取のキャパを超えてしまうので、ハーブ以外の栽培にも着手して、販売先を開拓していきます。村の為に何を育てるのが良いのか。もとからリンレイ村にある植物や、育てやすい作物にするのか。また、育てたものをどこで販売するのか。そんなところを1つ1つ決めて、早く、農家の人たちの収入を上げていきたいです。

他にも似たような状況で困っている村があるので、そこにもBORDERLESS FARMのモデルを展開していきたいですね。例えば、メンバーのチココラさんの出身地は乾燥地帯で水が少なく、貧しい農家も多い場所です。

インドとか、違う国でも早くやりたいですね。販売先をきちんと開拓して農作物に付加価値をつけられれば、このビジネスモデルは世界中のどこでも展開していけると思っています。やっぱり農業は、人間の基本ですから。

今年9月にミャンマーに渡航した際に、農家の人と共に撮影した

今年9月にミャンマーに渡航した際に、農家の人と共に撮影した

—最後に1つだけ、新婚ホヤホヤの田崎さんに聞きたいのですが、旦那さんとはどこで出会ったんですか?

田崎:同じ大学です。彼は高校でも農業を学んでいて、大学進学前に沖縄で1年間農業をやっていました。一緒に道を歩くと「この花は何科だと思う?」なんて話題で盛り上がれる、貴重な人です。(笑)

—ありがとうございました。(笑)

次回は、新卒入社7年目、CORVa社 社長の中村将人にインタビュー予定です。今でこそ「社会問題を解決する」ために入る人が多いボーダレス・ジャパンですが、中村は「ビジネスで何か大きなことをしたい!」と意気込んで入社しました。その後、中村はどのような経験を経て児童労働をなくすための事業に辿り着いたのか、心境の変化を中心に聞きます。

聞き手:株式会社ボーダレス・ジャパン 採用担当 / 石川えりか

新卒では教育×ITのベンチャー企業に入社。営業→人事を経て、入社4年目の春、ボーダレス・ジャパンに転職した。1人でも多くの社会起業家を輩出するため、そして生き生きと働く社会人を増やすため、様々な会社を見てきたフラットな目線でボーダレス・ジャパンを伝える。

3度の飯より、ボーダレスとスワローズとロック。ひたすら追いかけて日本中を走り回る変人。結婚3年目、もちろん家庭が一番大切です。時間じゃない、気持ちだ!

◆「社会問題解決を仕事に」
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ボーダレス・ジャパン採用ページ

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