精神科医として、長野県でクリニックを開いている戸田真さんにインタビューした。印象に残ったのは「非常識な価値観を大切にして」患者さんと日々向き合っていること。学生時代に感じた、「人との違い」が今の仕事に活きていると胸を張った。
今回戸田さんにインタビューを申し込んだのは、異色の経歴を持つ戸田さんの人生における選択の基準が一般的ではなかったからだ。「いきぺでぃあ」では、理想の生き方を実践するロールモデルに直撃取材を行ってきた。「その生き方に不安はないのか?迷いはないのか?」と質問を投げかる。
戸田さんの異色の経歴はこうだ。浪人生活3年→美大→4年間フリーター→医学部→精神科医(現職)。人生の分岐点で、何を選択の基準にしてきたのか、戸田さんに聞いた。
戸田さんは医学部を目指し3年間浪人。それにも関わらず急遽美術大学に進学。美大での4年間について尋ねると、「サンバに身を捧げていましたね」と笑う。
卒業後、4年間のフリーター時代を過ごす。酒の勢いも加わった状態で医者になると公衆宣言。決意後、わずか2年で医学部に合格した。皮膚科の医者となるも、精神科への移局を経て今に至る。
そんな様々な経験の中でも、美大に進学したことである大きな気づきを得たという。それは、芸術大学にいたからこそ、得ることができたものだ。
「美術をやる連中って面白いんです。絶対に人と同じような生き方をしたくないっていう人が揃っていました。例えば、自分が着ている服も既製品を買うのではなく、自分で作っちゃう人もいました」
今の生活と学生時代とのつながりについて尋ねた。
「精神科の仕事は、心を病んだ患者さんたちのお話を聞かせていただくものです。多くの患者さんは、世間の常識やルールの中で生きていこうとしても、生きづらいと思って悩んでいらっしゃるんです」と前置きし、軽快にこう続けた。
「だから、むしろ逆転の発想や非常識な価値観を持ちながら、患者さんの話を聞かせていただくこと。それが精神科医にとっては非常に大事だと思うんです。芸大での経験は、『柔軟な発想をしても良いんだ」と学ばせていただいたという点で、今の自分の中の非常に大事な基礎になっていると思います」
美大では、周りに当たり前の様に「人と違う」人がいた、そんな環境にいた戸田さんだからこそ患者さんの気持ちに寄り添えるのだろう。
話は少し遡るが、医学部を3年も浪人していた人がなぜいきなり美大に行ったのだろうか。
理由は2つ。1つは元々絵が大好きだったから。もう1つは、3回目のセンター試験の結果が出て、もう絶対医学部はどこも無理だとわかったからだそう。
「自分が次にしたいことはなんだろうと考えました。本当に憧れていた医学部がダメならば、好きな美術の道に行こう、ただそれだけの単純な発想ですね」
皮膚科で2年間医者を務めていたが、どうしても外来の患者さんと話し込んでしまう戸田さん。皮膚科の診察は30秒程度で終わるのが普通。でも戸田さんは、患者とのコミュニケーションを密にしながら、診察する方法が向いていると気づき、精神科に移局した。
今後のビジョンについて聞くと、戸田さんらしい答えが返ってきた。
「あまり大きなビジョンは持っていません。ただ、できるだけ患者さんの一番近くで寄り添えるような精神科医でいたいです」
*この記事は、HONKI Universityが運営する「いきぺでぃあ」から一部編集して掲載しています。全文はこちら
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