タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう
なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)
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◆バイエルンの村
彼女はアメリカの大学で環境学を学んでから、アメリカ合衆国環境保護庁に勤務した環境学のスペシャリストだった。慶介は敏夫が分かるように日本語に直した。日本のエコマークのようなエナジースターという政策の普及に携わっているうちに、アメリカが世界一の環境汚染国であることをどんどん実感するようになっていった。啓介が所々通訳をする。
ワシントンに勤務し、環境には全く関心がない男とワシントン郊外に暮らしていたが、暮らしているうちに、とても人生を共にするような気にはならなくなってしまった。
一緒になって4年が過ぎる頃、彼女のボスは海外勤務となり、新しいボスは彼女を余り必要としなかったから、彼女は新しい生活を模索せざるを得なかった。彼女は自分探しの旅に出ることにした。彼女の姓名はリズ、フィッシャー、ドイツ移民の末裔で、南ドイツ、バイエルン州のレッテンバッハ村の農夫の出身だと言う無き祖母の言葉を思い出して先祖の地を訪ねてみたいと思った。
そんな発想をするアメリカ人は当時、珍しくはなかった。しかし一緒に暮らしていた男はもちろんそんな旅には興味がなかった。行きたければ行けと言った。リズはしばらく別れるのも悪くはないと思うし、それっきりになっても良いと思った。ワシントンから鉄道でニューヨークに向かい、ルフトハンザでミュンヘンに飛んだ。そこからヒッチハイクでレッテンバッハに着いた。
小さな民宿に泊まり、その民宿の手伝いをして食いつないでいたが、通い始めた村の教会の牧師からソーラー発電施設を設置の手伝いをしないかと誘われた。
牧師の話では、その村は過疎化が進み、若者は皆出て行ってしまった限界集落一歩手前の村だったらしい。日曜日の礼拝も老人ばかりで、それも年々減って行くばかりだったそうだ。
この村の産業は酪農と僅かばかりの観光だったから、村の行政は村の乏しい財政を使って無責任に形ばかりの観光振興策を取っていたらしい。
だから、乏しい予算はそういう事情の他の村々と同じように、観光センターの設置費用や職員の人件費で消えて行き、村の財政は、ますます悪化していった。そんな時ロシアでチェルノブイリ事故が起きた。
アメリカのスリーマイル島から5年たっての悲劇だ。こんどは大西洋を隔てた新大陸のいわば他人事の話ではなかった。村の酪農も観光事業も風評で大打撃を受けた。
そればかりか村人は放射能をとても怖がった。アメリカ人が怖がるよりとても怖がった。雨が降ると濡れないように皆は家や教会に閉じこもってただ祈っていた。老人たちの多くは終末を覚悟していたそうだ。
そうした日々が続くある土曜の晩、若い牧師は教会の隣の牧師館で日曜日の説教の原稿を書いていた。明日の朝、信者にどういう話をして励まそうか考えていたが、良い考えが浮かばなかった。
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