タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆焼け跡の春

のぶちゃんが怪人Zの突撃の日を心待ちにしていたある日、怪人Zの住家に警察官が四人訪れた。いっちゃんとのぶちゃんは放課後、怪人の住家から50メートルほど離れた、グラブとバットの隠し場所に行ってそれを見た。のぶちゃんは、兵隊と巡査が協力して突撃するのだといっちゃんに言った。のぶちゃんは銃身に剣を付けた鉄砲を構えた兵隊が左右にピストルを構えた巡査を従えて、突進する隊列を頭に描いた。

いっちゃんはどう考えても巡査がその兵隊を住家から退去させようとしているとしか思えなかった。やがて四人の巡査と一人の兵隊は煉瓦塀の壊れたところから、小学校の方に歩いて行って二人の視界から消えた。その後その兵隊は二度と戻ってこなかった。のぶちゃんの頭の中の突撃のシーンはだんだん茫洋としたものになり、やがてそれは殆ど頭から消え去ってしまった。

夏になってイナゴや渡りバッタが跋扈するその草原は大蔵省の持ち物だった。北は永田町小学校、北西はジェファーソンハイツ、南西には日比谷高校、そのさらに南には比叡神社があった。そして東は国会議事堂の偉容があった。

南は遥か霊南坂教会まで建造物が全くなく、その赤い煉瓦を遠く眺めながら坂を下りるとそこは参議院の敷地で、その南の平地は衆議院、さらに南進すると総理府の土地だった。総理府の敷地の横にはコンクリートで固められた、大きな蒲鉾のような陸軍の基地の跡も残っていた。

つまり草原となったその土地は全て役人の住居地で、そこは議事堂が従える城下町だったのだ。
B29といえども、原爆でも落とさない限り、コンクリートの建物を破壊するのは易しい事ではなかったし、放射能で汚染してしまっては占領も出来なくなるから、爆撃は焼夷弾に限られた。だから木造の役人の官舎は全て跡形なく焦土にされてしまったのだ。

しかし焼け跡にも春は巡って来ていた。それどころか、人々の傷心に挑むように春は押し寄せた。礫の間の灰から双葉が芽吹き、緑の盆地を作り上げていた。そして怪人Zが退去したその頃になると、その盆地はあらゆる生命の再生の地となっていた。

地には蛇トカゲの爬虫類、2つあった池には鮒やタナゴがいた。池の一つは山王さまの池、もう一つは大野さんの池と呼ばれていた。爆撃を免れた木々は傷つきながらも小さな森を形成し新芽を再生させていたから、夏には様々な甲虫の憩いの場所となっていた。

昼間でもカナブンや玉虫が色々な色に光りながら草原を飛び交い、シオカラトンボやムギワラトンボなど、当たり前すぎて、少年たちの捕獲の対象にもならなかった。様々な珍しいトンボや蝶トンボもなど、昆虫学者なら目を丸くしそうな昆虫だって、子どもたちに止まるほどいた。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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