東京から車で約2時間、都心に近い立地ながら、海や自然に囲まれ豊かな資源を持つ千葉県館山市。今回私はこの館山市で「地域おこし協力隊」としての3年間の任期を経て、南房総最大のフルーツパッション農園を営む梁寛樹さんのもとを訪れ、話を伺った。(武蔵大学松本ゼミ支局=内田 夏帆・社会学部メディア社会学科4年)
館山市は、千葉県の南端に位置し、34キロの海岸線を有しており非常に気候が温暖で過ごしやすい地域である。そのため、その特徴が生かされた農業が盛んに行われているが、農業の担い手、後継者(若者)が不足している現状がある。
そこで市は、農業の担い手となってくれる「地域おこし協力隊」を2011年から募り始めた。これまで※「農業振興」の分野においては、梁さんを含む5人の地域おこし協力隊を受け入れ、このうち3人が館山に定住し、農業に関わり続けている。(そのほか1人はイチゴ生産農家、1人はレストラン経営をしている)※館山市はそれぞれの課で地域おこし協力隊を募集している
■「地域おこし協力隊」になった経緯
今回お話を伺った、梁寛樹さんは2012年~2015年までの三年間、館山市の農業振興の分野で地域おこし協力隊として活動した。現在は館山の地に定住しパッションフルーツ農園を営んでいる。
梁さんは大学卒業後4年間企業に務めたが、かねてから日本の農業に対する危機感があり、仕事において、どこか「やりがい」が感じられなかったことなどから、館山市の地域おこし協力隊の話を聞いたとき、これまでの仕事の経験(マーケティングや広報)も生かせるのではないかと考えた。
■地域おこし協力隊の活動
OBの梁さん、自治体の植木さん、ともに口をそろえて、「館山市の地域おこし協力隊は自由に活動ができる」と話す。地域おこし協力隊の任期は3年間。
その後、館山に定住し、農業の担い手となってもらうことを目標としているため、隊員はその3年間のうちに任期後のビジョン(どのように生計を立てるのか)を定めなければならない。
そのためには、自治体が細かく口を出したり、縛ったりするのは違うということだそうだ。実際、梁さんは広い枠組みの中で、自分のやりたいことを探すことができたようである。
梁さんの3年間を伺ったところ、1年目には、様々な農家を訪れ、話を伺ったり、作業を手伝ったりするなど、館山の地で農業について肌で実感した。なかには、着ぐるみに入るなどの活動も経験したという。
そして2年目には、師匠と仰ぐある農家に出会ったことで、自身も農業をやっていく決意をした。
「もともと日本の農業が高齢化し、大変なことになっていることは知っていた。いざ入ってみると、自分のように若い世代は本当にいない。近所のおじいちゃんおばあちゃんと話していると、あそこはもう続けらんないよという会話とかよくあって。実際住んでみるとさらに危機感を感じることはある。一方で、日本の農家は、儲からないとか、政府の方針とかに搾取されて、貧しくてかわいそうだって見方もあるけれど、やることやって自分でお客さんを捕まえる努力をしている人は食べていけているし、やり方次第で日本の農業はよくなっていくと思う」
「まったく農業に無縁だった自分が、ゼロの状態から、農業で生計を立てていくことができれば、それがロールモデルになるはず。追随する若者が出てきて、社会的な意味はあるのではないかと思っている。日本の農業、社会を変えていけるのかもしれない」
■地域おこし協力隊の魅力
梁さんは、地域おこし協力隊になることで、3年間しっかりと(移住・自立への)準備をすることができると述べた。農業技術はもちろん、3年間、その地域にいたという事実が地域の人々の信頼につながっていき、ビジネスにもつながっていくという。
受け入れる側の植木さんは、外から来る人が持つ「新しい視点」は地域を変える要素として大きいと話した。従来の農業ではなく、それまでの個人の経験やキャリアというものが新しい農業の仕組みやあり方をつくり、それが今後、地域を変えていくのかもしれないと期待する。
■今回の取材を振り返って
館山市の地域おこし協力隊(農業振興の分野)は非常に成功しているケースだと感じた。というのも、やはり、地域おこし協力隊の難しい点として、行政の関わり方や隊員の任期満了後、自立して定住できるかという点がある。
それらの点において、館山市は一貫して「農業の担い手として定住してもらうこと」を重要視しているため、隊員が自由に活動でき、必要なサポートもきちんと受けられる。
梁さんのような若い力が地域の農業、そして、地域、社会を変えていくのではないか――。「地域おこし協力隊」は大きな可能性を秘めていると感じる。
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