宮城県の中央部に太平洋に突き出た半島がある。その名は、牡鹿半島。ここには小さな漁村が点在しており、牡蠣や海苔の養殖を中心とする水産業が盛んに行われている。2011年3月11日、そんな牡鹿半島を東日本大震災が襲った。最大8.6m以上の津波が押し寄せ、死者や行方不明者は3500名以上にのぼったとされている。この未曾有の大災害により、多くの漁師は資材や作業場を失い、漁を辞めるという決断を迫られた人も少なくなかった。今回は、そんな中で漁を続ける覚悟を決めた、牡鹿半島在住の二人の漁師からお話を伺った――。(早稲田大学高野ゼミ支局=米山 知奈津・早稲田大学国際教養学部4年)
◆「牡鹿の漁師」第一話~漁師の魅力~
「もしもし。菅野さん、本当にすみません。寝ぼけていたのか、誤ってかなり手前でバスを降りてしまいました。本当に申し訳ないんですが、小竹浜まで迎えに来てもらえませんか……?」
菅野さん:「おぉ(笑)。今から車で迎えに行くからそこで待ってろ?小竹浜だな?」
「はい、そうです。本当にごめんなさい。ありがとうございます。」
こうして今回の取材は始まった。一日に二本のみ走るバスに乗り、お世話になる菅野さんのもとへ行くはずだったのが、最終バスで誤って下車したがために彼に迎えに来させることになってしまった。初日の最初から、とんだへまをしてしまった。
そんな申し訳なさを吹き飛ばしてくれたのは、車から降りて来た時の彼の笑顔だった。いつも元気いっぱいで優しさに溢れる菅野さんは、牡蠣の養殖を長年行い、東日本大震災以降に定置網漁も始めた漁師さんだ。
そんな彼はいつ頃から漁師を志したのか、聞いてみた。
――菅野さんは、小さい時から漁師になるって決めていたんですか?
菅野さん:多分な。おれは兄弟の中で男一人だから、必ずうちは継がなきゃいけねえなっては思ってっちゃ。
――他の仕事に就く可能性は考えてなかったんですか?
菅野さん:ん。多分ないな。昔はほれ、長男はうちを継がなきゃいけねえってのがあったんだ。ほとんどの人はそうだったよ。
――物心がついた時から漁師の道だけを見据えて歩んできたんですね。これまで漁をしていて辛いことはありませんでしたか?
菅野さん:あぁ、色々あるさ。やっぱ若い頃は毎朝早く起きる時だって風が吹いた時だって、そげん時はしんどいなって思っちゃ。
――なるほど……。でも、どうしてそれでも漁をやめようとは思わなかったんですか?
菅野さん:あぁ、やっぱここにいる限りは漁師やるしかねえんでねかなって思ってたしさ。んでやっぱほれ、漁師っていう魅力ってのがあるんだ。
「漁師っていう魅力」。この言葉が引っ掛かった私は、質問を重ね、その核心に迫った。菅野さんは、漁師には二つの魅力があると言う
まず一つは、自由に働けること。
「漁師ってのは一人ひとりが経営者なんだ」と言う菅野さん。会社に勤めていると、休む日を自分で決めることはできない。
しかし漁師は、自分が休みたい日を休日にすることができるため、自由な働き方ができるのだと言う。だからこそ、仕事をしている時は全力で取り組めるのだそうだ。
そして二つ目の魅力は、毎日の頑張りが目に見えること。
「自分が頑張れば頑張った分だけちゃんと稼ぎになるんだ」とその魅力を語る菅野さん。会社員には毎月月給が支払われる一方で、漁師に月給などというものはない。
例えば牡蠣の出荷の時期には、その日自分が必死で剥いた分だけ、その日のうちに稼ぎになって返ってくる。毎日の頑張りが目に見えるからこそ本気になれるんだと、教えてくれた。
――あ、そういえば、今日剥いた牡蠣がいくらで売れたかはいつ頃分かるんですか?
菅野さん:んー、だいたい夕方五時頃だな。いつも。
――え!じゃあもうすぐですね!
菅野さん:「んだな!」
家業を継ぐべくして漁師になった菅野さんだが、仕方無しに漁を続けてきた訳では決してなかった。寧ろ、彼の力強い言葉の節々からは、漁に対する大きなやりがいと強い情熱が感じられた。
*「牡鹿の漁師」第二話~あの日の記憶~ はこちら