オルタナはこのほど、別冊「72組織 わがパーパス」を発行しました。省庁・自治体・株式会社・非営利組織(大学や病院を含む)など72組織のトップに、パーパス(存在意義)を執筆していただきました。その一部をご紹介します。
金融庁発の「対話」の連鎖でCSV(共通価値の創造)めざす
日本の金融システムが危機に直面した1998年、金融庁は大蔵省から分離して発足しました。金融庁の最初のミッションは、いわゆる不良債権問題への対応です。
テレビでは、銀行と検査官の争いが戯画的に描かれますが、実際は、検査官の資産査定により、わが国金融システムは落ち着きを取り戻し、不良債権問題は、2000年代半ばに収束しました。
その後、銀行が優越的な地位を濫用して中小企業にデリバティブを販売する、保険会社が適切に保険金を支払わない、といった金融機関のコンプライアンス問題も続き、金融庁は業務停止命令などで厳正に対処しましたが、「金融処分庁」などと揶揄されました。
このままでいいのか? 金融庁は金融機関に強権を振るうだけの存在なのか? 国民、日本経済のため、どんな役目を担うべきなのか? 金融庁の存在意義に関する議論が2000年代後半から始まりました。
2010年代に入って人口減少・高齢化の潮流が顕著になり、超低金利の継続、金融デジタル化の進展といった環境変化が加わりました。こうした環境は金融機関の収益を圧迫します。
足元の利益を稼ごうと、顧客ニーズに沿わない金融商品で手数料を得たり、担保や保証を過度に重視した融資姿勢が目に着くようになりました。こうした金融機関に再度厳しく対峙するのが金融庁の取るべき対応なのでしょうか。
考えてみれば、金融機関が融資を決める際、経営者の人物や思い、ビジネスの将来性を見極める目利き能力が後退し担保や保証を重視するようになったのは、金融庁の厳しい行政対応にも一因があるのです。
相手を非難するだけでなく、なぜそういう状況になったのか考える。自分たちに問題はなかったか。もしそうなら、どう正すべきか。金融庁の存在意義についての議論は深まりました。
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◎金融庁