米国発のアウトドア・アパレルメーカーのパタゴニアは1988年に日本支社を立ち上げた。同社は、「社員をサーフィンに行かせる」ことでも有名な環境経営の元祖だ。日本進出に際して、創業者のイヴォン・シュイナードは輸入代理店に依頼せず、わざわざ支社を立ち上げたのはなぜか。辻井隆行・日本支社長に聞いた。(聞き手・オルタナS副編集長=池田 真隆)
――パタゴニアには、社員は勤務時間帯でも自由にサーフィンやトレッキング、スキーなどアウトドアスポーツに行くことができるという制度があります。
辻井:はい。周囲の理解が得られて、業務に支障をきたさなければ、基本的にはいつでもアウトドアスポーツに出かけてもよいことになっています。
――どうして、このような制度を設けたのでしょうか。
辻井:理由はいくつかあります。一つは、社内で取り扱っている製品の半分がアウトドアスポーツ用のウェアですから、アウトドアスポーツのスペシャリストが社内にいることはすごく大事になってきます。
たとえば、来店したお客さんから「アラスカにオーロラを見に行くのですが・・」とたずねられたときに、「アラスカには行ったことないんで、よく分かりません」なんて対応されたら困るじゃないですか。
たとえその店にはいなくても、別の店舗に、アラスカに行ったことがあるスタッフがいれば、電話して聞くことができます。まずは、「社員自身が一番の顧客になる」ということを大切にしています。
――接客対応に効果があるのですね。
辻井:接客にも効果が出ますし、社員の信頼関係を構築することにもつながります。アウトドアスポーツは天候に左右されるので、前もって計画を立ててもその通りに行くとは限りません。良い波が来たその日に、サーフィンをしたいとなれば、意識的に常に準備をしておいて、その結果、フレキシブルに対応ができるようになります。
周りの人を説得するのに、「今回は(スポーツに)行かせてもらうから、次回はおれがやっておくよ」などといったコミュニケーションが生まれます。また、急に社員が抜けても、会社としての機能が保たれるよう、他の社員の仕事内容を理解することも心がけてもらいたいと願っています。
それから集中力が高まる効果もあると思います「サーフィンに出掛けるためには、この課題は、この日までにやっておかないといけない」と思うと、ものすごく集中できるものです(笑)。
――辻井さんはどれくらいアウトドアスポーツに行くのですか。
辻井:ぼくはスノーボードが好きで、冬になると結構フィールドに出掛けます。去年は40日以上雪の上に立ったかも知れません(笑)。
平日の予定が少し空いた時に、急きょ群馬まで行ったこともあります。朝5時の江ノ電に乗り、東京駅から新幹線で上毛高原まで行き、そこからレンタカーで移動すれば尾瀬のスキー場に9時半ごろには着けるんですよ。2時間くらい滑って、昼の1時くらいに現地を出れば、3時半には東京で会議に参加できます!
締め切りが迫った重要な仕事が、スキー場への移動時間と重なることがあるんですが、新幹線の中での仕事は凄く集中できます。滑り出す前に終わらないといけないですから(笑)
――辻井さんは、パートタイムスタッフとしてパタゴニアに入りましたが、そのときは「アウトドアスポーツに行けるから」という動機だったそうですね。いつ頃から経営者になりたいと意識するようになったのですか。
辻井:「経営者になりたい」と思ったことは一度もありません。パタゴニアに入社したのも、「給料を頂きながら、好きなアウトドアスポーツにコミットできる」という理由が一番でした。
入社して8年目頃に、本社の副社長から日本支社長の打診を受けたのですが、そのときは、「できません」とお断りしました。経営なんてしたことがなかったし、自分の時間もなくなり、アウトドアスポーツにも行けなくなるだろうな、と・・・。
それでも、「じっくり考えてみたらどうか」と言ってもらい、それなら前向きに考えてみようと。特別に日本副支社長というポストを用意してもらい、10カ月ほど日本支社長の側で、経営者の立ち居振る舞いなどについて学びました。
――辻井さんは経営者への意識はなかったとのことですが、本社が辻井さんに目を付けたのはどのような狙いがあったのでしょうか。
辻井:もともと創業者のイヴォンは、日本支社は日本人がマネージメントするべきと考えていました。僕の前任者はアメリカ人で、その前はアイルランド人でした。ぼくが就任する前の11年間、外国人が日本支社をマネージメントしていたので、その状況を変えたかったと聞きました。
なぜぼくが選ばれたのかは推測でしかありませんが、ポテンシャルに期待してくれたことが大きいのかなと思います。
支社長になる前提として、本社が米国にある会社なので、本社での会議では英語が基本です。そのため、英語は話せないといけません。そして、2つ目は、アウトドアスポーツを熱心に行っている、もしくはアウトドアスポーツを大切にしている人の気持を理解していること。3つ目は、環境にも関心があることです。
入社当時のぼくは、この中では、特にアウトドアスポーツをしっかりやりたいという気持ちを強く持っていました。でも、結果としてその思いが今の仕事に繋がっています。
パタゴニアに入る前はシーカヤックに多くの時間を費やしていました。バンクーバー島でのガイド業なども経験したおかげで、英語を話せるようになりましたし、ガイド時代に過ごした地域では世界でも最も劣悪な森林伐採が行われていたので、環境問題を知るようになっていきました。
入社後には、休暇をもらって45日間もグリーンランドに行かせてもらいましたが、海洋汚染による人的被害について知るきっかけになりましたし、南米のパタゴニアでは、入植者が持ち込んだ疫病の犠牲になったアラカルフ族という先住民族について学びました。
そうした経験から、アウトドアスポーツのフィールドになるような僻地で暮らしている人は慎ましやかに暮らしているだけなのに、都会で暮らす人の都合で悪影響を受けていると漠然と思うようになっていきました。
――2009年3月に日本支社長になりましたが、創業者のイヴォン・シュイナードさんから経営に関して教わったことで、印象に残っていることはありますか。
辻井:就任したとき、正直に言うと何をすればいいのか分からなかったので、まずはイヴォンの本を読んで、その本に書かれている、「正しいことをすれば良い。結果よりもプロセスを大事にするべきだ」というメッセージをそのまま社員に伝えました。
そうしたら一年目に、売上が前年比で都内の小型店舗一店舗分に相当するほど下がってしまいました。丁度、各国のスタッフが集まる会議があったので、晴れない気分でカリフォルニアの本社に向かいました。
(イヴォンには)どうせ分かっているだろうし、こっちから謝ってしまおうと思って、会議が始まる前に「申し訳なかった」とイヴォンに伝えました。そうしたら、イヴォンは「何のことだ?」と、数字を知っていたのか、知らなかったのかは分からないのですが、「そんなことは気にしなくていい。それよりも、日本社会の10年後や20年後のために何ができるかを考えなさい」と言われたんです。
これは、ぼくにとっては大きな一言で、この言葉がきっかけで、仕事をする目的をより真剣に考えるようになりました。その言葉の意味を考えれば考えるほど、ビジネスとして成功させないと、ミッションとして掲げていることが、ただの絵空ごとになってしまうと強く思いました。
――辻井さんは日本支社長として、どのような会社にしていきたいと思い経営してきましたか。
辻井:支社長に就任して考えたことがあります。それは、何でイヴォンは日本に支社をつくったのかということです。
もし、ビジネスの目的が利益を得ることだったら、支社なんてつくらないほうがいい。輸入代理店に頼んだ方が、お金も、手間もかかりませんから。パタゴニアのビジネスマニュアルを渡して、「10年でいくらの規模にして欲しい」と契約をすれば済むはずです。
だけど、わざわざ人を雇って、小規模とはいえオフィスを日本につくったのはなぜか。それは、パタゴニアらしさを保ちながらビジネスを行いたかったからだと僕は思っています。
――パタゴニアらしさとは何でしょうか。
辻井:それは言葉で説明しようがないものなのですが、言語化するとすれば「環境や人権に配慮した責任ある経営」、「アウトドアスポーツや自然を愛する気持ち」、「社員や家族を大切にする」というようなことになります。けれども、それは文脈によって変化しますから、全てを言語で説明することはできない。そういう企業文化を醸成させることが大事だと思っています。
――パタゴニアでは、主に環境問題への啓発活動を行っています。
辻井:日本支社では、環境問題を解決するための活動を支援したり、活動そのものを行うことを奨励していますが、働いている480人全社員がアクティビストになる必要はないと考えています。
――今は、長崎・石木ダムへの啓発活動を行っています。
辻井:石木ダム建設に反対している地元住民や支援団体の方々をサポートしています。ダム建設の必要性に関する議論が十分にされておらず、関係する情報が開示されていないにも関わらず、多額の税金が投入され、貴重な自然が失われ、今現在も暮らしている方々の生活基盤が脅かされているからです。
この問題のステークホルダーは数多くいますが、26万人の佐世保市民には必要な情報が行き渡っていないと感じています。石木ダム建設の目的の一つは、佐世保市の隣に位置する川棚町の小さな集落を沈めて、佐世保住民に水を供給することです。
しかし、佐世保市は全国の市町村の中で人口流出率が6位の地域で、90年代から続く水需要の低下はこれからも続くはずです。ダムを造るためには、関連設備費用も含めると540億円ものお金がかかると言われていますので、1世帯当たり十数万円もの負担となります。しかも、ダムや導水管を一旦作ってしまえば、その維持費は水道代として将来の世代が負担し続けることになります。
簡単に言えば、人口が減っているのに、水が増えて、維持費がかかるから、未来の子どもたちの水道代が上がるということです。本当に今、需要があるどうかを市民が中心になってきちんと話していくべきだと思います。
――辻井さんも頻繁に建設予定地に行っているそうですね。現地の住民たちの様子はどうでしょうか。
辻井:8月末、県によって、農地の一部が強制収用されました。現地には13世帯の方が暮らしていますが、そのうち4世帯の農地が収用されました。農地ではじゃがいもなどの農作物をつくっていましたが、県はその土地に「注意:無断での使用を禁止」という看板を建てました。
もし、収用されたのが農地ではなく家屋になると、その土地から引っ越さなくてはいけなくなります。
――どうして、このようなことが議論なく起きているのでしょうか。
辻井: このダム計画は、長崎県と佐世保市が事業主となり、2009年に国に対して事業認定申請が行われています。2013年に国が事業を認めたため、その後、事業主は公的なプロセスは終わったという立場を貫き、事業を申請した時とは、もっと言えば、計画が始まった70年代とは状況が大きく変化しているにも関わらず、客観的なデータや多角的な視点による議論を拒否しているのが現状です。
僕は民主主義の良い点は、多数決によって権力者を選ぶことではなく、プロセスの透明性にあると考えています。多くの市民がこの事業計画の中身を吟味した上で、決断が下されることを祈っています。
――最後に、働くことで悩んでいる大学生に向けてメッセージをいただきたく思います。辻井さんは、大学生の頃、就職活動をしないオルタナティブな道を選びました。
辻井:大学生の頃は、へそ曲がりで、就職活動をしませんでした。サッカー部に入っていたのですが、そのころ就職活動は売り手市場で、体育会ということもあり、同級生たちは内定を続々と取っていました。内定を4つ5つもらうことが、珍しくない時代です。内定を沢山もらえるということは能力があるということだから素晴らしいことなのですが、僕自身は、商社・銀行・広告代理店と異なる業種で次々と内定をもらう仲間を見て少し混乱していました。「結局、何がしたいのだろう?」という想いが強かったんでしょうね。
当時のサッカー部は厳しくて、1年生のときは大学の授業も1・2限しか取ってはいけない。練習が15時からなので、グラウンド整備をするためです。3年生以上になると3限も取ってよくなる。それで、練習開始ギリギリに来るようになる。
そんな厳しい部活生活を送っていたのに、「就職活動」という理由だと簡単に休める。就職活動が免罪符のように使われるのが腑に落ちなかったこともあって、へそを曲げました、(笑)。それに、有名な会社に入ること自体には興味がありませんでした。
今、振り返ると、運が良かっただけかもしれませんが、そのときそのときに集中したことがすべて生きています。パタゴニアに入る前は、カヤックショップでアルバイトをしながら、大好きなシーカヤックのガイドをするためにバンクーバーの無人島でひと夏を過ごしたり、冬は長野県でスキーパトロールの仕事をしたりしました。
バンクーバーではカナダ人スタッフやお客様に囲まれて、英語の基礎を学ぶことができましたし、カヤックショップが閉店して、また職を失った時に入った大学院で環境問題を研究したことも、今のベース造りに役立っています。
就職活動で悩んでいる大学生に言いたいことは、「自分の心の声をゆっくり聴く時間を持ってほしい」ということです。今の世の中は、心の声を聴く時間はなかなか取れませんよね。せっかく心の声を聴いても、現実との乖離や世間の目があったりして、それを閉じ込めておこうとしてしまう。
瞑想(メディテーション)と薬(メディシン)という言葉の語源は同じだと、尊敬するインド人に教わりました。その人が教えてくれたのは、自分自身の内面に矢印を向けて、自分の状態をしっかり聞くことが大切だということです。頭が痛くなったら、すぐに薬を飲もうとするのではなく、なぜ頭が痛くなったのか原因を考えてみる。この一カ月、睡眠はしっかり取れたか、人と言い争いはしていないか、自分の心の状態を聴くことが大切です。
シャワーを浴びながらでいいし、一日30秒でもいいので、できるだけそういう時間を取るようにすること。イライラしたり、不安になる原因が分かると、気分も軽くなります。そして、自分が本当に生きたい人生を生きるにはどうすれば良いかを考える。学生の人にも、是非そういう時間をとってほしいですね。
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