■勝ち負けの判断基準は「いかに周囲の人を喜ばせられるか」
――勝ち負けの判断基準はお金ですか。
僕ほどお金に興味ない人間はいませんよ。息子に無駄な遺産を残すと、駄目な人間になってしまうので、「お前に遺産を残さないように無駄な金を無くしにいってくるから」と言っているぐらいです。
僕の場合は、「何をすると一番嬉しいか、幸せか」と聞かれたら、「僕と触れあって楽しくなった」と言われることなのです。そのような人が1人でも多いと僕は嬉しい。「僕の会社に入ってよかった」、「お前と友達になって良かった」。何人の人間を喜ばせられるかが自分の喜びですね。結局、人間の喜びとはそういうことではないでしょうか。
勝つ、負けるとは周りを幸せにするということ。例えばこの会社でいうと、この会社が利益を出して良い会社になると従業員たちは幸せになりやすいのです。あくまで、「なりやすい」です。
俺を信じた人間、応援団は、僕が勝てば喜ぶ。「僕が」勝つとか負けるというわけではないのです。僕やこの会社の応援団のためです。応援されていると思うと自分も「やめられない」と思います。この会社を続けている理由はそれですよ。応援団がどんどん増えていくのです。勝つというのはビジネスなので利益を出すことです。
――大学に落ちた時にそれまでの価値観が変わったそうですね。
高校卒業まで、「自分は選ばれた人間だから、何の努力をしなくても勝ち組に入る」と勘違いをしていました。勉強しなくてもオール4くらいとれるし、特別に努力しなくても喧嘩は一番強かったし、柔道はいつもサボろうとしてたけれど、部内で一番強かった。
2回目に大学に落ちたときに「もしかしたら勘違いしているんじゃないか。努力しないと結果って得られないのか」ということに気づいたのです。
そこで、誰よりも厳しいことをしてやろうと決心しました。社会に出ると佐川急便やテレビ制作会社などの厳しい職場に入ったのです。
あのテリー伊藤さんが僕の家庭教師してくれたわけですよ。夜中の2時にわざわざ編集所へ来て自分が作った詰まらないビデオを見て、何がダメかを教えてくれて、最後に鉄拳としてボコボコに殴って蹴ってくれたのです。また朝の6時からロケをし直してこいと言われて。これを毎週してくれるのです。
これを「してくれた」と思うまで2年かかりました。ありがとうと思えるように成長したことに2年目に気づきました。同期の連中と格が違うくらいに自分のほうが優秀だったからです。
2年後に一緒に仕事したら、同期が使い物にならないのです。「お前こんなこともできないの?」という感じです。そのとき「あーよかった、伊藤さんに殴られて、毎週、訳が分からないことを言われて良かった」と思いました。
このような経験を積んだからこそ、いま声高に「リスクを負え。自分を磨いていけ。人よりも付加価値のある人間になれ」と言っているのです。「集団の中で勝て。金を儲けろ」というといやらしく聞こえがちなのですが、お金は副産物です。
僕にとって、金は「鉄砲の弾」です。自分が正しいと思う戦争をするときに鉄砲の弾なくして戦争はできません。自分が正しいと思う戦争をするには鉄砲の弾をたくさん撃たなきゃいけない。だから今、10億円を撃ちまくっていますよ。