大阪・西成区の北西部で、こども食堂を開催しながら、こどもだけでなく家族も一緒に見守り、支援する団体があります。「こどものしんどさは、親のしんどさでもあります。本音でこどもや親御さんと向き合いたい。こちらが『やってあげる』のではなく『おかえり』『ご飯やで』『気ぃつけて帰りや…』、日常の何気ない、家族のような会話や関係性の中で支えたい」。たった一人で活動を始めた女性に話を聞きました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

お腹をすかせたこどもたちのために、こども食堂を運営

「にしなり☆こども食堂」のある日の献立。「こどもたちの大好きな肉じゃが、寄付でいただいたデザートのリンゴも大人気です。定番のメニューは皆、安心して食べてくれます」(川辺さん)

2012年から「にしなり☆こども食堂」を運営するNPO法人「西成チャイルド・ケア・センター」。家庭環境に問題を抱えるこどもたちが安心して過ごすことができる居場所を作りたいと、代表の川辺康子(かわべ・やすこ)さん(55)がスタートしました。

9年前、こども食堂を始めた当初は、荒れるこどもたちから「しばくぞ!」「死ね!」と罵られ、ひっくり返されたお皿や料理を泣きながら1人で拾うこともあったといいます。

「こどもたちは罵声を浴びせては、それでも毎回、食堂にやって来ました。私にはこどもたちの罵声が、『助けて!』と言っているように聞こえました。思いが伝わらないもどかしさを抱えながら思ったこと、それは『私が関わっていかなあかん。他人ごとではなく、自分ごととして関わっていかなあかん』ということでした」と川辺さん。

お話をお伺いした川辺さん。西成のNPO事務所で

2017年から関西各地のこども食堂と連携した「こども食堂ネットワーク関西」を作り、その拠点として交流やフードバンク的な活動も行うほか、2020年10月からは、こどもだけでなく家族全体を見守る支援がしたいと、滞在型の親子支援もスタートしました。

「食堂に来ている2〜3時間関わっても、家に帰るとその子にとっては何も変わらない、しんどい日常があります。そこを変えていきたいと思っていて、そのためにはこどもだけでなく家族全体、親御さんも含めた支援が重要です」

こども食堂立ち上げのきっかけとなった一人の少年との出会い

皆で手を合わせて「いただきます」。おいしい食卓を共に囲むひととき

もともと市民交流センターの職員としてこどもと関わっていた川辺さん。こども食堂を始める前は、市の事業の一つとしてこどもたちの居場所づくり活動をしていました。

「料理教室を開催していたのですが、参加には年齢制限がありました。そんな時、私が団体を立ち上げるきっかけとなった、当時保育所の年中(5歳)だったA君に出会ったのです。A君は年中だったので『小学生から高校生まで』いう参加条件に合いませんでした。さらに彼は血のつながっていない17歳の女性と二人きりで暮らしており、『未就学児の場合、親と一緒なら参加可』という条件も満たすことができなかったのです」

「なぜ、血のつながっていない未成年の女性と二人で暮らしているのか。最初はお母さんとその彼氏、お母さんの知り合いのこの17歳の女性と彼の4人で暮らしていたようです。しかし新しい彼氏ができたお母さんが家を出、その後に彼も家を出て、血のつながらない17歳の女性と二人きりで暮らすようになりました」

「17歳の彼女は親御さんとの関係がわるく家に帰れない事情があり、かといって一人で家を借りられる年齢でもなかったので、その家に住まわしてもらうかわりに、A君と二人で暮らしていたようです」

「出会ってから、私は彼のことが気になって仕方ありませんでした。こどもの成長と食とは、切り離しては考えられません。『このままのかたちだと、支援の網の目から漏れてしまい、支援できない子が出てしまう』と思い、気軽にご飯が食べられる場所を作りたい、と2012年にこども食堂を始めました。『にしなり☆こども食堂』の始まりです」

「俺はお前に恵んでもらうほど困ってないんや」

取材中、近くに住む、いつもこども食堂に来ているという男の子がふらっと遊びに来ました。この日はこども食堂の開催日ではありませんでしたが、学校が終わって宿題をするために来たのだそう。川辺さんに国語の教科書の音読を聞いてもらっています

しかしA君はなかなか心を開こうとしませんでした。川辺さんが「食堂始めるから食べにおいでや」と声をかけると、「何しにお前のところ行くのや」「なんでお前はいちいち俺にそんなこと言うてくるねん」と歯向かったというA君。

「俺とお前の関係は何やねん。俺はお前に恵んでもらうほど困ってないんや」と言い放ちました。

「確かにそうやな、と思ったんです。同居する女性が、全く会話は無いながらも夜、仕事に行く前に彼のためにコンビニのおにぎりと唐揚げを置いて行くのだそうで、だから彼は食べるのに困っているわけではないんですね。憎まれ口を叩きながら、それでも彼は毎回食堂にやって来ました。声をかけようかな、と思うとヒュッとどこかに消えてしまう。なかなか関わりを持てずにいました」

その後、こども食堂と一緒に学習支援や太鼓教室も始めた川辺さん。A君は心こそ開かなかったものの、少しずつ落ち着いた姿を見せるようになっていきました。

「あんたの気持ちなんて、わかれへんわ!」初めて本音を漏らした時、関係性が変化した

餃子を包むこどもたち。「学習支援が終わった後のこども食堂では、みんなが一緒に食事を作るお手伝いをしてくれていました」(川辺さん)

こども食堂でご飯を食べ終わると、時刻は夜の8時ぐらい。そこで川辺さんが、食堂に来たこども一人ひとりを家まで送り届けていました。A君の家は一番遠く、送り届けるのはいつも最後でした。

「こどもたちを順番に送って二人きりになると、彼はいつも自転車のスピードを遅め、毎回最初は『お前のとこ、おもろないねん。俺もう行くんやめるわ』という話から始まって『お前、俺のことどう思てんねん』と聞いてきました」

「毎回、二人きりになるたびに彼はそう問うのです。その度に私は『好きやし大事に思てるよ』とか『会えてよかったし、つながってくれて嬉しいよ』とか、今思うと教科書通りの答えを返していました。彼が自転車のスピードを遅めたのには、家に帰っても待つ人が誰もいない寂しさ、誰かといたい、自分の話を聞いてほしい、そんな気持ちがあったからやと思います」

半年が経ったある時、川辺さんに用事があり、早く帰らないといけない日がありました。

「しかし彼は相変わらずゆっくり歩き、つい私が『はよ帰らんと、おうちの人が心配するしな』と失言してしまったんです」

「そうしたら彼が『お前、俺の気持ちがわかるんか!』とものすごく怒って。『あの部屋で、一人で寝てる俺の気持ちがわかるんか!』と。その時に私は『ごめん』ではなく『わかれへんわ!』と返したんです。初めて、彼に自分の正直な気持ちを言った瞬間でした」

こども食堂、識字教室、(外国人向けの)日本語教室、地域の学校の先生たち、地域の方たちが参加したクリスマス会。マグロの解体ショーにこどもたちも興味津々

「彼は小学校に上がる前からずっと、自分の出す音とテレビの音以外は何も音がない部屋で、たった一人で夜を過ごしていました。その時彼は小学校3年生になっていましたが、幼いこどもが一人で夜を過ごすのはどれだけ不安で寂しいだろうというのは十分想像できます。けど、私はそれを経験していません。彼に対して、簡単に『気持ちわかるで』なんて言えなかったんです」

「『あんたの気持ちはわからん!わからんけど、これから先何かあった時に、一緒に考えるために私はあんたの隣におるんや!』と叫んでいました」

そうすると、A君はその次から「お前のところに行くんやめるわ」と言うのをピタッとやめたといいます。

「小学1年生の時には、学校に金属バッドを持ってきて『ここにおる全員、殺したる』というような子でしたが、私の失言がきっかけで彼の心の中で何かが変化し、私という一人の人間を信用してくれたんやと思います。その前の半年間、教科書通りのどんなきれいごとを言ってもそれは彼の心には届かなかった。このことは『相手と本音でつながっていかんとあかん』ということに気づくきっかけになりました」

「こどもも親御さんも、安心して依存できる居場所になりたい」

こども食堂にて、隣に座った小さなこどもにご飯を食べさせる小学六年生の女の子。支援する・支援されるという垣根を超えて、地域の「つながり」が生まれる場所でもある

自身も二人のこどもを育てながら、活動を続けてきた川辺さん。

「子育てをしながら活動を続けてこられたのは、家族の理解があったからです。帰宅は深夜を過ぎることも多く、クタクタの状態でたまに実家に帰ると、母親が『おつかれさま』と晩ご飯を出してくれる。座っていたらご飯が出てきて、何なら『いつも大変やから、あんたは動かんくていいよ』と労ってくれる。本当にありがたいです」

「私には全力で頼れる人がいます。けど、しんどい家庭の親御さんたちには頼れる人がいない。それはどうなんでしょうか」と問いかけます。

「こども食堂を始めた頃、『こどもからお金もらわんのはわかるけど、親からはお金もらいや』とか『親も(食事を)無料にしたら、親のためにならへんで。甘やかしたらあかん、依存するで』と言われることがありました」

「でも、甘えることの何があかんのでしょうか。依存することの何があかんのでしょうか。私も実家の母に頼りきりです。私は『よかったね』とか『がんばってるね』と言ってもらえるのに、一体何が違うんでしょうか」

キッチンに立つ川辺さん。「他人ごとではなく自分ごととして何ができるのか、自分自身に問い続けてきました」

「安心して依存できる相手や場所があって初めて、その人は力を発揮していくことができるんやと私は思います。『甘やかしたら依存する』とか『自己責任やろ』とか、本当にそんな冷たい世の中でいいんでしょうか。ある親御さんと一緒に区役所に行った時、担当の方に『親の代弁者はいりません』と言われたこともあります。おとなやから、全部自己責任なんでしょうか。でも、そうやって批判する方にも必ず、その人を支えてくれた人がいたはずなんです」

「だから私は逆に、こどもも親御さんも安心して依存できる居場所になりたいと思っています。私は私のできることを、言った限りは全力で、寝食を共にしながら、つないだ手を離さず責任を持って支えたい。そういう覚悟で向き合っています」

周りの「関わり」が変わった時、人は、変われる

「家でご飯を食べたり持参したりするのが難しい環境にあるこどもたちのために、月に1度、おにぎりを作って地域の中学校に朝食や昼食として提供しています」(川辺さん)

「過去に起きたことと人は変えることはできませんが、周りの『関わり』が変わった時に、人は変われると思っています」と川辺さん。

「その人が変われないのではなく、変われる環境にないだけなんやと思っています。考え方ひとつで、もしかしたら『あの時はしんどかったけど、今そのおかげでこれができるな』といったように、過去の捉え方も変えられるのではないでしょうか。だから、そんな関わりをしていきたい」

「私を活動に駆り立てている背景には、私自身が幼い頃、寂しくしんどい思いを経験したのもあります。こどもの頃は、『この世から大人なんていなくなったらいいのに』と思っていました。だからこどもたちのしんどさは想像がつくし、おとなになってシングルで子育てしていた頃、財布に200円しかなくて、区役所に相談に行っても軽くあしらわれ、塩を舐めながらご飯を食べたこともありました。あの時の自分に『大丈夫やで。先は明るいねんで』って言いたい気持ちもあるかもしれないですね」

「滞在型親子支援」を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「西成チャイルド・ケア・センター」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。

2/15〜2/21の1週間、JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が「西成チャイルド・ケア・センター」へとチャリティーされ、しんどい状況にある親子と共に過ごしながら日々の生活を支援する、滞在型親子支援の食費として使われます。

「ご飯を作って一緒に食べる、朝、台所から包丁の音が聞こえてくる、起きる時間になったら起こしてもらえる…、そういうごく当たり前の生活を経験してもらいたいのです。こども食堂の食材はありますが、食パンや牛乳など、一つの世帯が日々の暮らしの中で必要になる食材については団体の持ち出しで購入しています。チャリティーはこういった日々の生活に必要な食費として使わせていただきたいと思っています」(川辺さん)

「JAMMIN×西成チャイルド・ケア・センター」2/15〜2/21の1週間限定販売のコラボアイテム(写真はスウェット(カラー:ベージュ、価格は700円のチャリティー・税込で7600円)。他にもTシャツやパーカー、トートバッグやキッズTシャツなど販売中

コラボデザインには、仲良く一つのお皿に収まるパンや目玉焼き、トマトやベーコンなどのキャラクターを描きました。おいしいご飯を一緒に食べ、空間を共に過ごすことで育まれる温かな心、やさしさやつながりを「ワンプレート」で表現しています。

チャリティーアイテムの販売期間は、2/15〜2/21の1週間。JAMMINホームページから購入できます。JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

「こどものしんどさは、親のしんどさ」。生活困窮世帯のこどもとその親を、「自分ごと」として支えていく〜NPO法人西成チャイルド・ケア・センター

山本 めぐみ(JAMMIN):
JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2014年からコラボした団体の数は300を超え、チャリティー総額は5,000万円を突破しました。

【JAMMIN】
ホームページはこちら
facebookはこちら
twitterはこちら
Instagramはこちら