2017年に世界銀行と世界保健機関(WHO)が発表した報告書によると、世界人口の半数にものぼる人々が予防接種などの基本的な医療保健サービスを受けられていないといいます。「世界の医療格差をなくしたい」。医師が中心となり、ブラジルの医療過疎地に暮らす人たちに、健康で安全な生活を届けるために活動するNPOがあります。(JAMMIN=田中 美奈)

制度・設備の面から医療崩壊が起きているブラジルの医療過疎地

現地での活動の様子。森部先生が日本からの協力を得て2003年5月に開業した「ギアロペス医学診断センター」は、近代的な診断装置を導入した診断検査機関。この地域で唯一、上部下部内視鏡を実施できる施設として周辺7都市の12万人の地域医療に貢献している

高知を拠点に活動する認定NPO法人「BRIDGE(ブリッジ)」。「世界には、日本のように十分な医療を受けられない地域がたくさんあります」と話すのは、ブリッジ代表であり医師の関博之(せき・ひろゆき)さん(63)。

「私たちが活動するブラジルには、『SUS(スス)』と呼ばれる公的な医療保険制度があります。日本の国民医療保険のようなもので、憲法によって教育と医療は無料と定められています。しかし医療に対する国の予算が十分に確保されていないので、公立病院で診ることのできる患者数に限りがあり、医療にかかりたくてもかかれない人たちがたくさんいるという現状があります」

「国の予算が限られているため、患者の数が定員に達すると病院が診療を締め切ってしまいます。そのため何年も何年も順番を待ち、本来治るはずの病気やケガで命を落としてしまったり、医者にかかった時にはもう手遅れという方も少なくありません」と話すのは、医師としてブラジルで慈善法人を立ち上げ、現地で活動してきた森部玲子(もりべ・れいこ)さん(56)。

お話をお伺いした関先生(写真左から二人目)、森部先生(写真左端)

「日本でも昨年、新型コロナウイルスに感染した妊婦さんが、病院をたらい回しにされた挙げ句に自宅での出産を余儀なくされ、新生児が亡くなったニュースが大きく報道されましたよね。実はブラジルでは、コロナ流行以前よりこのようなことが日常茶飯事で、帝王切開で出産できたはずが、病院に受け入れてもらえずに赤ちゃんが亡くなるということが起きています。骨折しているのに、適切な処置をされないまま放置される患者さんもいます」

国の制度だけでなく、医療設備が十分に整っていない点も課題だと二人。

「同じブラジル国内でも、リオデジャネイロのような大都市と地方では医療的に大きな格差があり、地方の病院は設備がないために重病患者を受け入れることが難しかったり、地域によっては、近くに病院自体がなかったりすることもあります」

「私たちが活動している南マットグロッソ州のボニート地域では、九州ほどの広さに12万人ほどが住んでいますが、設備のない病院しかありません。重症の患者さんがなんとか時間をかけて州都の病院へ行っても、すでにいっぱいで診察もしてもらえない。コロナ前から医療崩壊が起きているんです」

医療を受けられない背景には地域格差や貧困も

現地の人たちの暮らし。「先住人であるインディオの村では現在も、竹の壁やシュロの葉で拭いた屋根の家で過ごす人もいます」

人々が医療を受けられない背景には、貧富の格差も関係しているといいます。

「富裕層は約5%で残りの約95%は貧困状態にあるといわれています。経済的に余裕のある方は民間の保険に入ることができるので、医療設備が十分に揃っている私立病院で医療を受けられます。また、たくさんお金を払えば、必要な時に医師に診てもらうこともできます。でも、ほとんどの人にそんな余裕はありません」

ブリッジが活動するボニート地域は世界自然遺産になっており、多くの人が観光業、もしくは農業に従事し、牛を飼ったり植物を育てたりして、ほぼ自給自足の暮らしをしているといいます。

「私が死ぬか、子どもが死ぬか」。現地での出産経験が活動の原点

インディオの村で医療奉仕をした際の一枚。村の子どもたちと森部先生

ブリッジがこの地域で医療支援活動を行うようになったきっかけは、森部さんがこの地域で出産を経験したことにあるといいます。

「主人の仕事の関係で妊娠9ヶ月の時にこの地域へ引っ越してきた私は、1997年に第一子を出産しました。それが活動の大きなきっかけになっています。難産になり、帝王切開をすることになったのですが、病院には必要な何の設備もなかったんです」

「『ここで帝王切開をするなら、私が死ぬか子どもが死ぬかだな』と思いました。『それだったら私が死のう』と、覚悟を決めて出産に臨んだことを覚えています」

「その時に執刀医として子どもを取り上げてくださったのが、その後一緒に活動することになる外科医のホベルト・サラビ・ソウザ先生でした。ホベルト先生はお金がなく医療が受けられない人たちのためにあちこちを跳び回り、無料で診察や手術をしていました」

「命がけの出産の経験を通してブラジルの医療の現実を知り、『医師であり現地にいる私が何とかするしかない』と思っていた時に、ホベルト先生から『人々のために検査センターを作ってほしい』と相談を受けました。日本の医師の先輩方に相談し、たくさんの援助を受け、2003年に医学診断センターを開業しました」

ブラジルと日本を行き来し、日本で医師として出稼ぎをして、そのお金をブラジルの医療のためにつぎ込んだり借金をしたりしながら、個人で活動していた森部さん。それを知ったブリッジ創設者の菅沼成文さん(現高知大学医学部教授)が「ひとりでブラジルの医療を支えるのは難しい。支援する団体をつくろう」と、ライフワークとしてアジア、アフリカの国際保健医療支援を行っていた任意団体を土台とし、ブラジルの支援をするためにブリッジを立ち上げました。

志半ばで殺害されたホベルト先生

現地の方たちと協力しての医療奉仕。左から2人目が、BRIDGE創設者の菅沼成文先生

森部先生が現地で活動をするきっかけとなったホベルト先生は、2001年には市長となり、人々により良い医療を提供したいと活動していましたが、2013年に強盗に遭い、殺害されてしまいます。

「ホベルト先生はブラジルだけでなく、隣国パラグアイのためにも活動していました。ブラジルよりも劣悪な医療環境をなんとかしたいと、パラグアイで診療所を開設するためのお金を持ち歩いていた時に、それを察知したのか強盗殺人に遭い、首をナイフで斬られて亡くなりました」

「ものすごくすごくショックで、もう活動を辞めようと思いました」と当時を振り返る森部さん。

「でもその時に、菅沼先生や関先生が『辞めないで頑張ろう』と励ましてくださったんです。お二人をはじめ本当にたくさんの方に助けていただき、ホベルト先生の遺志を受け継いで、活動を続けてくることができました。日本の医師免許しか持っていなかったので、ポルトガル語も勉強しながら10年かけてブラジルの医師免許も取得しました」

「子どもたちがまだ幼かった頃、出稼ぎのためにブラジルを離れる時に『お母さんはどうして私たちを置いて、ブラジルの人のために日本に行くの?』と言われたこともあります。でも、頑張る後ろ姿をずっと見ていてくれたんですね。子どもたちも今はブラジルで医師の道を志しています」

「病気を診ずして病人を診る」

2017年、ギアロペス医学診断センターを訪問して無料診療をした際に、地元の保健課長より感謝状が贈られた


現地への資金的な援助を行いながら、コロナ前は毎年現地に足を運び、医療奉仕活動を続けてきたブリッジ。お二人に、印象に残っていることを尋ねました。

「私は耳鼻科が専門なのですが、現地の歯科の診療所をお借りして、日本から持っていった数少ない医療器具で診察をした時のことです。遠い日本からお医者さんが来るというので、現地の方たちは一張羅を着てオシャレをし、女性や子どもたちはうっすらお化粧をして診察に来てくれました」と関さん。

「地球の裏側から、まるで何でも治してくれる魔法使いがやって来たかのように、キラキラした期待を持って歓迎してもらったのが嬉しかったですね。日本だったら『また次回の診察で』と患者さんにまた来てもらうことができますが、ここではそれができません。一人ひとりに寄り添い、その人やその人の暮らしにとって、より良い方法を一緒に考えることを大切にしてきました」

「ある時、『子どもたちを置いてまで日本へ行って出稼ぎして、ブラジルの医療のために無料奉仕して、どうして私はこんなことをしているんだろう』と思ったことがあったんです。それで近所の方に『私がここまでするべきなのかな』と相談したことがありました」と森部さん。

「すると彼女は、『もし私があなたのように日本の医師免許を持っていて、日本でお金を稼げるなら、私が代わりに日本へ行きます。世の中には食べるものに困っている人、学校に行けない人、着るものさえない人もいる。豊かな国に生まれて学校に行かせてもらったなら、社会のために尽くすのが当たり前』といわれたんですね」

「最初はムッともしましたが、考えてみたら確かにそうだと思うんですね。周りの人々が貧困と病苦で苦しんでいる中で、自分だけ豊かに幸せになることは不可能です。今回コロナ禍で私たちは地球村に住む運命共同体、地球家族であることが明らかになりました。世界中の人を助けることが、自分を助ける道でもあるのではないでしょうか

困っている誰かを勇気付けるために、一人ひとりの力で一歩を踏み出そう

「ギアロペス医学診断センターから車で3時間も走ると、世界自然遺産に登録されている世界最大の大湿原のパンタナールがあります。船に乗ってパラグアイ川を登っていくと手つかずの大自然があり、その感動は、行ってみないと言葉では表現できません」

「今後、地域の中核となるような病院をつくりたい」と二人。大自然を取り入れたメディカルスパを運営し、そこから収入を得ながら、一方で地域の方たちに医療を提供していきたいと話します。

「医療とは、患者さんに希望を与えることだと最近思うようになりました」と関さん。

「本人に『治そう』とか『治りたい』という力がなければ、病気は治りません。本人が持っている能力を目覚めさせる、そのための勇気を与えられることが、本来の医療なのだと思う。そうやって勇気づけてあげられる場所を、ブラジルにも作っていきたい」

「ホベルト先生は強盗殺人で亡くなりましたが、他人から奪わなければ生きていくことさえ難しい人たちがいます。きれいごとでは済まされない世界があるのだということをまず知ってほしい」

「そしてそんな人たちも豊かになれるように、一人ひとりができることや得意なことで、一歩を踏み出せたら良いのかなと思っています。私は医療関係者なので、医療の分野でお手伝いをしていますが、きっと皆さん一人ひとりに、与られた力、貢献できる何かがきっとあると思います」

「ブラジルは、日本の次に日本人が多い国です」と森部さん。


「その昔、移民として多くの日本人がブラジルに移り住みました。日本人としての誇りを胸に、必死に土地を開墾し、自分たちの食べるものは我慢してまでも子どもたちを学校に通わせて、地道な、血の滲むような努力と苦労の末に今の暮らしを築き上げてこられました」

「ブラジルには日系のお医者さんも多く、ブラジルの方たちは、日本人に対して、勤勉で真面目、正直で信用できるといった印象を抱いています。何もないところから築き上げてきた先輩たちの後を汚さないように、私たちも出来る限りのことをしていきたいと思っています」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、ブリッジと6/27〜7/3の1週間限定でコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が団体へとチャリティーされ、ブラジルでの医療活動資金として活用されます。

1週間限定販売のコラボアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもパーカー、バッグなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、ブラジルを代表する鳥・オニオオハシが聴診器を持つ姿を描きました。ただ医療を届けるだけではなく、国境を自由に越え、空を飛ぶ鳥のように、国の違いや課題を乗り越えながら、架け橋となって人々の健康と安全な暮らしを守るブリッジの活動を表現しています。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中。こちらもあわせてチェックしてみてくださいね!

医療にアクセスできない人たちにも健康で安全な生活と「生きる力」を。ブラジル・医療過疎地で現地の人々を支援〜NPO法人BRIDGE

「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は400超、チャリティー総額は7,000万円を突破しました。

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