「国家を持たない世界最大の民族」といわれるクルド人少女を追ったドキュメンタリー映画「マイスモールランド」が公開中だ。主人公は埼玉県に住む17歳のクルド人サーニャ。日本で同世代の若者と暮らしていたが、あるとき「在留資格」を失ってしまう。サーニャが「日本に居たい」と思うことは罪なのか。(石田 吉信・Lond共同代表)

クルドという国がどこにあるかわかりますか。

この質問にこの映画を観る前は恥ずかしながら答えることはできませんでした。私自身がそうだが、劇中の登場人物も同様の反応であった。みなさんはいかがだろうか。

「国家を持たない世界最大の民族」と呼ばれるクルド人。埼玉県には2000人ほどのコミュニティーが存在するが、クルド人が難民認定された例はこれまで「ない」に等しい。そして、本作の企画が動き出した2017年当時から、出入国管理及び難民認定法(入管法)を巡る状況は、悪化の一途をたどっている。

この現状を、17歳の少女の目線を通して描いたのは、是枝裕和監督が率いる映像制作者集団「分福」に在籍する新鋭・川和田恵真監督。イギリス人の父親と日本人の母親を持つ監督が、成長過程で感じたアイデンティティへの想いをもとに、理不尽な状況に置かれた主人公が大きな問題に向き合う凛とした姿をスクリーンに焼き付け、本作を企画段階からサポートした是枝監督の『誰も知らない』(04)の系譜に連なる「日本の今」を映し出した。

17歳のサーリャは、生活していた地を逃れて来日した家族とともに、幼い頃から日本で育ったクルド人。現在は、埼玉の高校に通い、親友と呼べる友達もいる。夢は学校の先生になることだ。

父・マズルム、妹のアーリン、弟のロビンと4人で暮らし、家ではクルド料理を食べ、食事前には必ずクルド語の祈りを捧げる。「クルド人としての誇りを失わないように」そんな父の願いに反して、サーリャたちは、日本の同世代の少年少女と同様に「日本人らしく」育っていた。

進学のため家族に内緒ではじめたバイト先で、サーリャは東京の高校に通う聡太と出会う。聡太は、サーリャが初めて自分の生い立ちを話すことができる少年だった。ある日、サーリャたち家族に難民申請が不認定となった知らせが入る。

在留資格を失うと、居住区である埼玉から出られず、働くこともできなくなる。そんな折、父・マズルムが、入管の施設に収容されたと知らせが入る。(公式HPから)

クルド人は、中東に住む山岳民族。かつてオスマン帝国の領内に居住区があったが、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れると、居住区がトルコ・イラン・シリアなどに分断され、事実上「祖国」を失った。

トルコやイラク、シリアなどの中東地域に推定で約3500万人が暮らしているとされる。トルコやイラクでは分離独立を求め、政府との間で武力闘争が発生。一方で各国に逃れたクルド人も多く、日本では川口市など埼玉県南部にコミュニティーができた。しかしながら、在日クルド人の難民申請はとりわけ認定されづらいという。

 ■難民申請が不認定になり、仮放免に陥る

「仮放免」とは、外国籍の非正規滞在者が出入国在留管理庁(※略称・入管)への収容を一旦解除される措置のこと。現在の日本では、外国人がたとえ政治的な理由から日本に逃れてきたとしても、難民申請中を除き、難民認定されない限りは仮放免でいるか入管に収容されるかの二つに一つしかない。

近年の日本の難民認定率はわずか1%にも満たず、この状況を「非人道的」だと疑問視する声も少なくない。今回劇場長編映画デビューの川和田恵真監督はインタビューでこう語った。

「シリアで過激派組織ISISに抵抗して闘うクルド民兵組織の女性兵士たちの映像を見て衝撃を受けた。日本にもクルド人のコミュニティーがあることを知り、訪ねてみたことがこの映画の構想へとつながった」

2018年頃から本格的に取材を重ね、自ら手掛けた脚本でデビューを飾ることになった。

今作で劇場デビューとなった主人公のサーリャ演じる嵐莉菜はインタビューで、入管のシーンは私の実の父がお父さん役を演じたせいもあるかもしれないですけど、もし自分の身に起きたらと想像して、感情がすごく出て辛かったと語る。

この映画は難民の問題に焦点を当てつつも主演の嵐さんが演じる等身大の高校生が思春期の中、周りから浮かないように、日本人に近づくようにと生きる姿が描かれる。出生のアイデンティティを隠したり、拒絶したりという場面が印象的である。

コンビニでのバイト中、レジでおばあさんが「日本語がお上手ね」「ガイジンさん」「いつかはお国に帰るんでしょ?」と何気なく話をするシーンで、もちろんおばあさんに悪気はないが、こうしたアンコンシャスバイアス(無意識な偏見)からくるマイクロアグレッシブな言葉がけが難民の方やミックスルーツの人にかけられているのは実体験の中でも想像できる。

サーリャが、「ワールドカップで日本を応援したくてもできなかった」「クルド人ということを説明するのがいちいち面倒なのでドイツ人と言っている」など、当事者でなければわからないことにも気づかせてくれる。その辺りの描写も観賞していて学べる点があると思う。

「私は何者なんだろう…」という悩みは弟にも訪れ、「僕は宇宙人だ」と友達と言うシーンも同じ想いであろう。

お父さんがサーリャをいずれ仕事仲間のクルド人の青年と結婚させたいとほのめかし、ムッとしたサーリャがその場を立ち去るシーンがあるが、そういう民族間の違い、しきたりに関しても映画冒頭、知人の結婚式で手を赤く染めた染料を必死に落としたり、友人に聞かれてもごまかすシーンからも微妙な心理が読み取れる。

この映画のレビューを読んでいたらこんなレビューを見つけた。

「コンビニで海外の人が働いていたら、「どこの出身か?」と思います。簡単に「どこの国の人ですか?」って聞いていた。この質問に答えられない人がいる、それだけで傷つくこともあるのだと知ることが出来ました」

このようにフィクションであっても気づきをもらい学べることは多くあると思う。フィクションだからこそ監督が伝えたい「狙い」が効いてくる。

思春期でもがくサーリャに対する視点も学ぶことがあるが、やはり、難民申請が通らないと、在留資格がなくなる。仕事に就けなくなり、生活費がなくなるという難民問題の現実の状況が非常に分かりやすく描かれているので、その点は本当に心に刺さるものがある。

まだまだ自分自身難民問題に対して知識が乏しいが、調べたところ、世界中で、紛争や内戦による迫害や恐怖から逃れようとする難民の数は7080万人にも上る。2018年の統計によると世界の難民のうち日本の難民認定申請者数は10,493人。(出典:法務省「平成30年における難民認定者数等について」)

これら大勢の難民認定申請者数のうち、実際に日本で難民認定を受けることができた人は42人となり、認定率は0.4%。法務省によると「日本の難民認定数が少ないのはそもそも本当に難民認定が必要な人の申請数が少ないためである」と述べているようだが、0.4%という数値は世界の難民受け入れと比べてかなり低いと言われている。

日本では2010年に、すべての難民認定申請者に対して一律で就労を許可することにした。その結果、本当に避難生活を余儀なくされ支援を必要としている難民ではなく、出稼ぎを目的として難民認定を受けようとする人が急増。これらの状況から、2018年には一律での就労許可を廃止し、各国の大使館に周知することによって難民認定申請の門をさらに狭めた。つまり、日本は難民に対して厳しく、受け入れる姿勢がなっていないわけではなく、偽装難民の在留を防止するために厳格化しているということとしているようです。

(出典:法務省「難民認定制度に関する検討結果(最終報告)」)

日本が加入している難民条約では難民が定義されています。その定義によると、自国にいると迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れる人々が難民であるということです。しかし、この条約は政治亡命者を念頭に置かれており、現在の紛争や内戦による難民には当てはまらない点も多くあるという。

そのため、日本の法務省は紛争や内戦から逃れてきた人々を「難民」と認めないことが多くあるという。迫害を受ける可能性があるかどうかの証明が求められ、迫害の程度も判断基準の材料となるという。

このように、難民であるかどうかを判断する際の「難民」の定義が狭いため、難民認定申請を却下されてしまうことは少なくないと言われている。

(出典:出入国在留管理庁「難民認定制度」)

気候変動などの環境問題でも、選択制夫婦別姓など人権問題にしても、どの社会問題でも多角的な意見がある。難民問題も白黒つけられないところあると思うが、無関心じゃなく様々な意見を見て、聞いて、心が動いたらSNSで声をあげたり、支援団体に寄付をしたり、その問題を解決するためのマニフェストを掲げる政治家に投票したり我々にできることはあると思う。