2014年、一人の女性が左足を切断しました。その際に彼女は「私は行けるところではなく行きたいところへ、自分の足で行くんだ!」と決意し、高級店でハイヒールを買います。片足でも凛と立つフラミンゴのように。同じように義足ユーザーとして悩みを抱えていた女性たちの「ハイヒール・フラミンゴ」と名付けられた集まりは、2020年に彼女が亡くなった後も遺志を継ぎ、活動を続けています。(JAMMIN=山本 めぐみ)

義足の女性が集える場を

2018年2月、義足で履くためのハイヒールをみんなで選んで試着。「生まれて初めてハイヒールをさわった人もいました」(青木さん)

女性の義足ユーザーのためのコミュニティを運営するNPO法人「ハイヒール・フラミンゴ」。「女性義足ユーザーの思いや悩み、情報を共有する場を作りたい」と活動のきっかけを作ったのは、高校教師だった故・髙木庸子(たかぎ・ようこ)さん(享年53)でした。骨肉腫(悪性軟部肉腫)と診断され、2014年に左足を切断した髙木さん。同じように義足でも自分らしくいきいきと生きる女性に会いたいと願ったものの、当事者の女性同士が出会える場がなかったといいます。

現代表の野間麻子(のま・あさこ)さん(51)は、福祉用具専門相談員として働く勤務先のイベントで髙木さんと出会いました。

「義足ユーザーの方向けに歩きやすさの向上や、走ることを可能にするための義足のパーツを試着するイベントを開催していましたが、参加される方の多くは男性。髙木さんが初めて参加した際の一言は『なんで女性がおらへんの?』でした」と野間さん。

髙木さんとの出会いをきっかけに「義足の女性には走ったり跳んだりできるようになりたいという思いとは別に、もっと他の悩みや生きづらさがあることを知った」と当時を振り返ります。そこで対象を女性に限定し、女性特有の悩みを共有できるイベントを企画、開催したのが活動のきっかけでした。

2019年8月、「ザ・ボディショップ・ニッポン基金」の授与式にて。おそろいのポロシャツで活動報告。左から亡くなった髙木さん、野間さん、副代表の松井さん、青木さん

「義足ユーザー同士が出会える場は少ない」と指摘するのは、団体副代表の青木千佳(あおき・ちか)さん(38)。

「退院後に義足のことで行く場所があるとすれば、メンテナンスや数年に一度義足の作り替えのために、まれに病院や義肢製作会社に行くぐらいです。自分の義足しか知らず、胸に苦しさやつらさを秘めたまま、おしゃれすることも、人とつながることも諦めている方たちがいたのです。義足女性たちが悩みを打ち明けられる場がないと知り、『私たちがコミュニティを作らないと』という使命感が湧きました」

2018年6月に、女性限定のイベントを初開催。

「参加者の皆さんがワーッとよろこんでくださって。皆それぞれに抱えてきた思いを語り合い、共有し、すごく盛り上がりました。その時に『ハイヒール・フラミンゴとしてやっていこう』という話になったのです」

当事者だった髙木さんの思い

2018年8月、横浜で開催された「アフリカ開発会議」のパネルディスカッションにて、ハイヒール・フラミンゴの活動を紹介する髙木さん

亡くなった髙木さんは、高校の教師をしながら、大学院でソーシャルイノベーションも学ぶアクティブな女性でした。

「団体の標語でもある『行けるところではなく、行きたいところへ行こう!』という言葉は、教壇に立つ彼女がいつも生徒たちに伝えていた言葉です。左足を失った後も、彼女はこの言葉を体現するように生きる、力強い人でした」と野間さん。

足を失った後、「足を一本失った。このままだとあまりにも悔しい。どうせなら今まで履いたことがないような、かっこいい靴を履こう!」と「ルイ・ヴィトン」を訪れ、ハイヒールの靴を購入したという髙木さん。その時のことを生前、後に彼女はこう回想しています。

──人生において切断は衝撃的です。「もう何もかも終わった。もう元の自分じゃない…」と感じてしまう。でも下肢義足は、自分でできることがほとんど残っています。切断の衝撃で自分らしい人生まであきらめてしまう必要はどこにもありません。たった足一本、私の人生はそれよりずっと重いのです。──

関わるごとに女性がどんどん輝いていった

2019年8月、義足でペディキュア体験。「全員が足へのジェルネイル初体験!義足の方の爪はネイルチップを自分で作成しました。出来上がりを見せあっているところです」(野間さん)

初のイベント開催後、草履が履きやすい義足をつけて着物で京都の町を散策したり、靴屋を訪れて義足のためのハイヒールを選んだり、ペディキュア(足の爪のマニキュア)を塗ったり、海辺を散策したり…、義足でもおしゃれや人生を楽しむイベントを多数開催してきました。同時に、月に1度の交流会「フラミンゴ・カフェ」もスタートし、女性の義足ユーザーが集まる場を広げていく中で、野間さんと青木さんは、参加女性たちの変化を目の当たりにします。

「特に女性の場合、義足であることで外に出ることが減り、社会とのつながりがより希薄になりがちだった部分があります。しかし、皆さん参加する度にどんどん元気になり、キレイになっていきました。『50代だけど、今、自分の人生を生き直している気がする』『もっと早くハイヒール・フラミンゴのような場に出会いたかった』と言ってくださる方もいました」

2018年11月、京都で紅葉&ランチの会。「着物を着て、義足に草履を履きました。着物を着る事をあきらめていた女性が『夢のよう』と笑顔を見せてくれました」(野間さん)

「義足であることを人に知られたくない、見られたくない…。それまでは一人で外出したり、おしゃれを楽しんだり、チャレンジしたりすることを諦めがちだった女性たちが、回を重ねるごとに自己肯定感が上がり、幸福感が生まれ、どんどん輝いていったんです」

「ある女性は、それまでと同じものではなく、息子さんがデザインした生地を使って新たに義足を作られました。『何度も義足を作ってもらっているのに、こんなにうれしいのは初めて。義足を撫でたり、歩くところを鏡に映したりして眺めています』と言われて、こちらも胸がいっぱいになりました。

『義足であることを隠さなければいけない』と思っている方はたくさんいます。この女性も以前はそうでしたが、女子会で交流を深める中で、義足を隠さずにおしゃれの一部として楽しみたいと思われるようになったのです」

「変わっていく女性たちを目の当たりにしていると、一見わかりづらい障がいであるからこそ、見逃されていた部分があったんだと感じました。一つひとつは小さな悩みでも、こんなにも悩んでいたんだ、すごく我慢していたんだ、という事実は、私たちにとっても衝撃的でした」

「野生のフラミンゴを見よう」、亡くなった髙木さんの義足と共にアフリカへ

2020年2月、髙木さんが亡くなった後に訪れたアフリカにて。「ナイロビ空港に到着したときの一枚です。髙木さんの義足を機内でもずっと座席に座らせていたし、サバンナでも、ホテルでも、レストランでも髙木さんの義足と一緒でした」(青木さん)

2020年2月、「野生のフラミンゴを見よう」とアフリカに飛んだ「ハイヒール・フラミンゴ」のメンバー。しかしそこに、髙木さんの姿はありませんでした。

「アフリカをフィールドに活躍する動物カメラマンの方から片足で凛と立つフラミンゴの写真を贈っていただいたことがきっかけで、髙木さんと野生のフラミンゴを見に行こうという話になりました。彼女の信念、『行けるところではなく、行きたいところへ行こう!』をかなえるためにも。しかし、ちょうどツアーを計画していた2019年10月、髙木さんの全身にがんが転移していることがわかったのです」

翌年から抗がん剤治療を始めることが決まり、主治医の先生から「1日でも早く行きなさい」と言われ、可能な最も早い日程だった2020年2月28日の出発でチケットを予約した野間さんたち。しかし出発日を待たずして、髙木さんは2020年1月26日、この世を去りました。

「『日本の動物園にいるフラミンゴは助走する距離が無くて羽ばたくことが出来ない。アフリカのフラミンゴは群れを成して大空に羽ばたいているよ』と聞いて見に行ったケニアのボゴリア湖。本当にたくさんのフラミンゴが大空に羽ばたいていました」(野間さん)

「年末にお見舞いに行った際、がんは肺にまで転移していましたが『全身転移のことをまだ皆には言わんといて。絶対復活するから』と、最期まで彼女は諦めていませんでした。アフリカツアーは目的地を最小限に絞り、髙木さんができるだけゆっくりと寝ていられるようなスケジュールを組んでいましたが…、現地でフラミンゴを見る前に亡くなりました」

「私たちは髙木さんの義足と共にアフリカへ渡りました。生きている間に一緒に行くことはできなかったけれど、見守ってくれていたと思います。子どももいなかった彼女は生前、『何かを残したい』と言っていました。『私は生まれてから何も残せていないから、生きた証をこの活動に残したい』と。この1月でちょうど彼女が亡くなって丸1年になりますが、本当にたくさんのものを遺してくれたと感じています」

「髙木さんの遺志を継いで、誰もが自分らしく生きられる社会をつくりたい」

野間さんと青木さんが勤務する川村義肢株式会社の協力のもと、同社内に「ハイヒール・フラミンゴ」の一角がある。髙木さんが生前履いていた靴やフラミンゴの写真や置物が展示されていた

大学院で学び、「社会的課題をコミュニティで解決するために何ができるか」を亡くなる直前まで研究していた髙木さん。

「彼女が残してくれたメモには、彼女がこの世を去った後、活動を続ける中で気づいたことも、すでに書いてあるんです。活動を続けるための設計図を遺してくれたのだと思います。

『つながることで癒され、幸福感が社会の変化を引き起こす』。義足の女性が集まるだけですが、それが結果として誰しもが生きやすい社会、誰もが制約なく自分らしく生きられる社会につながればと願っています」

「昨年のコロナの流行によってリアルなイベントの開催は難しくなりましたが、一方でオンライン化が進み、それまでつながることのなかった全国各地の方たちとつながることができるようになりました。閉鎖的な地域に行けば行くほど、本人だけでなくご家族も義足であることを隠していたりして、自由に自分の人生を選択することが難しい女性がいます。現実にそんなことが起きているので、活動を通じて、髙木さんの思い、情報やつながりをいろんな形で届けていくことができればと思います」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「ハイヒール・フラミンゴ」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。

1/25〜1/31の1週間、JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が「ハイヒール・フラミンゴ」へとチャリティーされ、現在団体が進めているピアカウンセリング事業立ち上げに必要な資金として活用されます。

「希望が見えず、一人で悩んでいたり困っていたりする方がつながり、自分らしく生きる力を引き出せるような場をどんどん増やしたい。つながりの中で思いをいっぱい吐き出して楽になって幸福感を感じることができるようになったら、次は誰かの話を聞き、受け止め、勇気づけられる人を増やしていきたい。そのために私たちなりのピアカウンセリングを確立できたらと思っています」(野間さん)

「JAMMIN×ハイヒール・フラミンゴ」1/25〜1/31の1週間限定販売のコラボアイテム(写真はスウェット(カラー:杢ホワイト、価格は700円のチャリティー・税込で7600円)。他にもTシャツやパーカー、トートバッグやキッズTシャツなど販売中

コラボデザインに描いたのは、オアシスに集まりくつろぐフラミンゴの姿。つながりによって豊かになる価値観や人生を表現しました。

チャリティーアイテムの販売期間は、1/25〜1/31の1週間。JAMMINホームページから購入できます。JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

「行けるところではなく、行きたいところへ行こう!」。義足でも自分らしく生きるための、日本初の女性義足ユーザーコミュニティ〜NPO法人ハイヒール・フラミンゴ

山本 めぐみ(JAMMIN):
JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2014年からコラボした団体の数は300を超え、チャリティー総額は5,000万円を突破しました。

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