私がおこなうビーチクリーンに、一人の女性が参加してきた。彼女は大学を卒業後、神奈川県藤沢市にある特別支援学校の保健室の先生になり、障がいのある子たちに囲まれていた。その後、フリーアナウンサーとして活動し、神奈川県スクールソーシャルワーカー、そして、任意団体「障がいのアナ」を立ち上げた小川優さんに話を聞いた。

「障がいのアナ」代表の小川優さん

障がいのアナは、社会の壁にアナを開けたいと思い、立ち上げました。取材をして記事を書く、それを読んでもらう、そんな活動です。

障がいのある子たちと学校で関わり、こんなに素敵な子たちがいることを地域の皆さんは知らなくて、それってすごく残念だなと思ったのです。

知ることは豊かさになる。「気づき」って、柔らかくて大切だなと思っています。意見の対立やどちらが合っているかという主張は、大昔から人はやってきましたが、どちらが正しいかでは、私たちはともに暮らせていない。

そうではなくて、私たちは同じであること、それとともに、どちらの意見も正解であり、どちらの見方をしても、「気づき」というアナがあれば、ともに生きることができると思っています。

すべての人に健康と福祉を

病気や障がいのある子たちと関わっていると「この子は生きているだけで価値がある」そんな言葉が自然と心から生まれます。

これはすべての命に共通して言えることです。doingよりもbeing、価値が変わってきている現代ですが、私たちは「いるだけで価値がある」と言ってもらえるでしょうか?

これは、私たちの大きな課題です。価値の転換が必要、それを子どもたちから教えてもらったように思います。「存在に価値がある」それは揺るぐことのない自己肯定感となり、人に心の平穏がようやくやってくる瞬間だと思います。

そう感じることができる社会こそ、『健康』という本質に近づけるのだと思います。

小川さんが話されたように、人間は本来誰しも「いるだけで価値がある」存在であるはずだ。筆者自身も頭ではわかっているつもりではあるが、どうしても実績や社会的な評価などを気にしてしまう。

実績や評価が高い方が生きやすいからだ。

しかし、本当にそうだろうか?
一元的な価値観に私たちは縛られているだけではないだろうか?


「組織」から「個」の時代へ、などと言われるようになって久しいが、それは評価される主体が変わっただけであり、存在自体に「価値」があるとまでは言い切れないだろう。

人間が人間を評価する、そのようなことが無くなった時に初めて、人としての平穏が訪れるのかもしれない。

有限会社シナプス代表取締役 福室貴雅
アニメーション動画などを制作する会社を生まれ故郷の湘南で営む。
「湘南ビーチクリーンforカエルデザイン」主催
一般社団法人日本クリプトコイン協会理事
株式会社クリーション(クイックまつげエクステ)COO
元レディースアパレルデザイナー