大阪・住之江区で「自分らしい暮らしを送りたい」と願う障がい者を応援してきた団体があります。20年前に団体を立ち上げたのは、当事者の一人の男性。「皆、自分らしく生きたい。私が自立生活を応援したいと思うのは、その気持ちだけです」。障がいのある人の自立生活への思いを聞きました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

障害当事者が運営を担いながら仲間の自立生活を応援する「自立生活センター」

お話を聞かせてくださった「自立生活夢宙センター」代表・理事長の平下耕三さん(写真左)。隣は、兄で副理事の平下泰幸さん

大阪市住之江区にある自立生活センター、NPO法人「自立生活夢宙(むちゅう)センター」。代表の平下耕三(ひらした・こうぞう)さん(55)には、3万人に一人の難病といわれている先天性骨形成不全症という障がいがあります。

34歳の時に自立生活夢宙センターを立ち上げた平下さん。「人生は一度きり。人としての大変なこともあるし差別もあるけれど、障がいに関係なく、一人ひとりがその人らしく生きられる暮らしを応援したい」と話します。

自立生活センターとは、1986年ごろから始まった自立生活(Independent Living、IL)運動を端に発する、センターを運営する代表や理事の過半数を障がい当事者が担いながら、厳しい状況にある仲間を応援する場所。現在、全国に114の自立生活センターがあります。

「障がいのある人が地域でいきいきとした生活を送るという社会モデルを浸透させながら、社会の側にあるバリアを取り除いていくのが私たちの役目」と平下さん。自立生活夢宙センターには現在、32人のメンバーと、それを支える60人以上のスタッフが在籍しています。

「ずっと施設におったから、雨に濡れた経験がないねん」

夢宙センターを通じて自立生活を始めた二人。「僕は、いろんな人からチカラを貸してもらって、社会で生きている」(写真左・坂口さん)。「自立しようって腹くくるのは、勇気がいったけどね」(写真右・岡前さん)

「家族の都合で施設にずっと入所していたり、自宅で天井だけ見て過ごしたりしました。障がい者、特に重度の障がい者は、環境による生きづらさを抱えていることが少なくありません」と平下さん。遡ること19年前に自立を応援した仲間の一人は、「脳性麻痺のため30年間、24時間365日、ずっと施設で天井を見続けて暮らしていました」。

「私が自立生活センターを立ち上げたことを聞きつけて『自立したい。応援してほしい』と連絡をくれたんですね。彼が自立生活を始めたある日、ヘルパーさんと一緒に外出していると、大雨が降ってきたそうなんです。ヘルパーさんが『カッパを着ますか』って尋ねたら、彼は『ちょっと濡れたいねん』って」

「『ずっと施設の中におったから、雨に濡れた経験がないねん』って言ったというんです。

『雨に濡れる』という、人として生きていたら当たり前のような経験さえも、施設にずっといたら、経験できへんことがあるんです。重度の障害を持つ人が置かれがちな環境を、まさに象徴している言葉やと思うんです」

他の障がい者の自立生活実現のサポートにも活躍した、「バケン」こと馬渡さん。「自らも人生をかけてやりたい事を見つけ、活躍の場所を変えて日々自分らしい生活を送っています」

「障がいがあるというだけで、周りの都合で施設に入れられる、管理される、施設から出たいけど出られないっていうのは、それは人間としての生活とは言えへんと思うんです。自立生活を始めると、しんどいこと、困ることもいっぱいあります。差別されることもあります。でも確実に、人生は豊かになる。ずっとずっと生きている実感を持てると思うんです」

「夢宙センターを利用している一人のメンバーさんは、高次脳機能障害があります。うどんが好きで、うどんばっかり食べています。ヘルパーさんに味付けを指示するんですけど、ヘルパーさんも、全員が料理が得意なわけではないから、薄い味になったりすることがあるんです」

「おいしくないうどんを食べながら、『次はもっとおいしく作ろうね』って(笑)。そういう、食べたいものがあって作るとか、行きたいところがあって行くとか、そういうごくごく当たり前のことが、管理された生活ではなかなか難しいですよね」

「私も施設にいたことがありますけど、朝食は6時で、夜食は16時と決まっていました。献立も決まっていました。すべての施設がそうだということではないでしょうが、そこには挑戦とか、希望とか、そういうものはありませんでした。人として、いろんな機会も、力も奪われていくような感覚がありました」

「そんな生活を、人間は望んでいるでしょうか。管理された中で、人間らしく生きられるでしょうか。皆、自分らしく生きたい。それだけやと思うし、私が自立生活を応援したいと思うのは、その気持ちだけです」

「うちの子には無理」「施設の方が安心」。当事者の家族が、壁となって立ちはだかることも

「夢宙センターを今後引っ張っていく若手メンバーたちです。地域で自分らしい生活を実現するために、自立生活の先輩障がい者メンバーの力を借りながら、自己選択・自己決定・自己責任を成長の糧に、夢宙センターで躍動しています」

2019年には、障がいのある人の自立生活のムーブメントを一人でも多くの人に知ってもらいたいと、ドキュメンタリー映画『インデペンデント・リビング』を制作した平下さんたち。

映画を観た人から「障がいのある人が自立生活を送れるなんて知らなかった」「こんな選択肢もあるなんて知らなかった」「障がい者が障がい者を応援するしくみがあるのを初めて知った」という声をもらうこともあるといいます。

「『障がいのある人も、自分らしく生きることができるねんで』っていうことが、まず情報として知られていない」と平下さん。また一方で、「それを知ったとしても、親御さんがなかなか、その選択肢を選ばないということもある」と指摘します。

「時代的な背景も関係していると思いますが、『うちの子には自立なんて無理』とか『施設の方が安心』『外には迷惑かけられへん』というふうにおっしゃって、結果として当事者が、施設や家に閉じこもってしまうようなことがあります」

映画『インデペンデント・リビング』の完成を記念した集まりで。「この映画によって、外部の方々になかなか伝えづらかった自立生活センターの活動が分かりやすく伝えられるようになり、自分たちの映画ができたことで、活動が地域に浸透していく手ごたえを感じました」

さらには当事者も、「施設や自宅でお世話をしてもらう生活が長くなると、それに慣れて、自立したい、生活を変えたいというふうに思う人は少ないと感じる」と平下さん。

「親と子で共依存の関係になっていたり、あるいはご自宅で一緒に暮らしている場合、子どもがいることで受け取れる手当(年金や扶養手当など)が生活資金に回ってしまうことも多く、本人の権利が薄れてしまうこともあります」

「『あんたらに支援ができるの?』って、信頼してもらえないこともあります。我々の全力さを見せていくほかに、道はない」と平下さん。

「情報や知識は、その人の力になる。『こんな世界もあるで』って知ってもらって、一つの力にしてもらえるきっかけになれたら。少なくとも障がいのある子が生まれた時に、『どうしよう』とか『人生終わりや」って、悲観したり批判したりする時代は終わってほしい。障害があっても学べる、働ける、自立生活が送れるっていうことがもっと広がっていけば、社会も、環境も、変わっていくはずです」

障がいを持って生まれ、自己実現や自分の居場所を考え続けた

10代の頃の平下さん。「母親がいない、父も仕事でいないということもあって、家は仲間たちのたまり場に。よく近所から怒られていました」

先天性骨形成不全症のため骨が弱くて折れやすく、何度か手術を繰り返してきた平下さん。副代表として一緒に働いている兄の泰幸(やすゆき)さんにも、同じ障がいがあります。

「この障がいは遺伝性で、兄が生まれてから、母のお腹の中に私がいる時に、親父は酒を飲みながら『障がいのある子が生まれてくるんやから、子どもはもういらない』と言っていたそうです。しかし母は『産みたい』と言ってくれて、そのおかげで今、私が存在しています」

「しかし障がいのある二人の子育てに疲れたのか、母は私が小6の時に家を出ていきました。それからは親父に育てられましたが、ことあるごとに存在を否定され、殴られ、生きる力を奪われていきました」

そんな中で、平下さんはどのようにして生きる希望を見出していったのでしょうか。

「大変なこともあったけど、人生のタイミングでいつもキーパーソンと呼べる人と出会わせてもらったことが大きいです。居場所がなかった中学の時、いつも逃げ場にしていたのが、脊髄損傷を持った先輩の家でした。彼が、人の大切さや『人間は、他人と比較するものじゃない』ということを教えてくれたんです」

10代の時に先輩からもらった40年前のメモを、「今も持ち歩いている」と取材中に財布から取り出して見せてくださった平下さん。メモには「『他者と共に営む生活と孤立無援の思惟との交差の仕方、定め方、それが思想というものの原点である。さて歩まねばならぬ』という高橋和巳さんの言葉を大切にしております」とある

障害者職業訓練校を卒業した後、納得した仕事に就きたいと、直談判して車椅子販売の営業の職についた平下さん。そこで出会ったお客さんから、「それぞれの障がい者が置かれているリアルな環境や、生活をたくさん垣間見せてもらった」と話します。

「納品先のお客さんのところに行くと、『外出は2週間に1回のデイサービス利用の時だけ』とか『歩けたら、もっと外に出たいのに』とか。そういうのを見た中で、『自分ができることは何か』を考えていたのかもしれないです。あの頃は昼も夜も、『自分の居場所ってどこやろう』『自己実現って何やろう』っていうことを考えていたかもしれません。

アメリカでの出会いに、背中を押されて

アメリカ・ノースバークレーの街中で、偶然に会った障がい者リーダーのマイケル・ウインターさんと。マイケルさんの言葉もまた、平下さんの人生に大きな影響を与えた。「同じ障害を持つ方で、影響力が大きかったです」

その後、20代後半で自立生活運動の視察にアメリカを訪れた際、アメリカの団体のリーダーを務めていた、同じような障がいを持つ人から「一人の子どもが生まれた時、アメリカはその人を『一人の人間』として見るけど、日本は『障害をもった子ども』として見る。日本とアメリカの違いは、そこなんや」と言われた平下さん。

「生まれてずっと、自分の存在が否定されていると感じてきたし、自分自身でも障がい者であることが受け入れられずにいた時もありました。でも、彼のその言葉を聞いて『ああ、親父や母親や、まして障がいを持って生まれてきた自分のせいやなかったんや。日本がそういう環境やったからや』って思えたというか。そう思った時に、スッと腑に落ちて楽になって、そこから自信を持てるようになりました」

夢宙センターは、海外からもたくさんの研修生を受け入れている。「夢宙で研修した海外の方たちが、学んだことを自国に持ち帰り、還元するサイクルが生まれています。仲間を大切にし、おもしろい場所にパワーが生まれる!夢宙ファミリーは世界にも広がっています」

「自立生活運動に関わる中で出会った仲間の『人生は一回や。人を小手先で笑わすな。人生かけて笑わした方がおもろいで』という言葉も心に残っていて。『自分が思い描いた居場所を作ろう』と思って、34歳で自立生活夢宙センターを立ち上げました。ここには、私が追求してきた思いの全てが詰まっています」

「いろんな人が出会い、人生が交錯しながら、それぞれが自己実現をかなえていく、確かな居場所がここにあるんです。居場所とは、安心できて、力が奪われず、そして自分が楽しくなる場所。そのためには、一人じゃないっていうこと。仲間がいるっていうこと。同じ方向を目指しながら、それぞれの人生を、互いに豊かにしていく相手がいるっていうことなんですよね」

「障害手帳を持っているかいないかにかかわらず、生きづらさを抱えている人を応援したい。障がいではなく、一人の人として、その人らしく生きられる人生を、私もたくさんの人に出会ってそうしてもらったように、応援したいと思っています」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は10/24〜10/30の1週間限定で自立生活夢宙センターとコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が団体へとチャリティーされ、誰もが住みやすい街をつくっていくために、簡易スロープを購入し、各所に設置してもらうための資金として活用されます。

1週間限定販売のコラボデザインアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもバッグやキッズTシャツなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインに描かれているのは、無限に広がる宇宙空間で、思い思いに、好きなように、縦横無尽に行き交う人たち。人は元来自由であり、その可能性は無限であるという思いを表現しています。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中。こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

障がいは個性。「こんな生き方もあるで」、その人が自分らしく生きられる、楽しく豊かな人生を応援したい〜NPO法人自立生活夢宙センター

「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は400超、チャリティー総額は7,500万円を突破しました。

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