大脳から脊髄にいたる運動神経が進行的に障害する100万人に一人の確率で発症する難病PLS(原発性側索硬化症)。同じく運動神経の疾患であるALS(筋萎縮性側索硬化症)よりも進行は緩やかだとされているものの、治療法は見つかっておらず、やがては寝たきりになると言われています。9年前にPLSを発症した一人の男性。「未来は明るい」と発信を続けています。(JAMMIN=山本 めぐみ)

PLS発症から9年
外に出続ける理由

落水洋介さん。「おっちーハウス」をバックに。今後は生活拠点をここに移し、誰もが集まれる「医療と福祉のかけこみ寺」を作っていきたいと話す

9年前、会社員だった時に、何もないところでつまずく、転ぶといった症状が出始めた落水洋介(おちみず・ようすけ)さん。ALSを疑いつつも診断はつかず、その2年後には、自分の力で歩くことができなくなりました。その頃にPLSと診断がつき、幼い二人の娘を抱え「職を失いたくない」と必死になるも、もがけばもがくほど周りと比較し、絶望の淵に立たされました。

そんな時、「自立している人とは、相互依存関係が高い人のこと。頼り合える仲間がいればいるほど、自立できる」という言葉に出会い、また、出会ったばかりのITの専門家だった知人から「落水くんは、できないことが今後増えていくけれど、その時はできる人にやってもらえばいいんだよ。ITで困ることがあれば、その時は僕がいるよ」と声をかけられたといいます。

「僕はずっと、『何でも自分でできなきゃいけない』と思っていた」と当時を振り返る落水さん。

入浴する落水さん。「介護をしてもらうことに、当初は恥ずかしさや抵抗感がありました。でも少しずつ体は動かなっていく。ヘルパーさんに頼ることで、ヘルパーさんの生活を支えているという考え方を知り、頼り、支え合って生きていく覚悟ができました」

「PLSになって、『何もできなくなる自分なんて生きている意味がない』ってずっと自分を否定していたけど、この時初めて、そんな考えもあるんだと思えました。暗い未来しか見えなかった僕の心の扉が開き、仲間を探しにいこうと思ったんです」

PLSと診断がついて7年。今は一人でシャワーやトイレに行くことが難しくなり、昨年の秋からはヘルパーに日々の生活をサポートしてもらっているといいます。また、話すことも難しくなってきたため、口や舌の動きに改良を加え、相手に聞き取りやすいよう心がけていると落水さん。

「僕と同等レベルのPLS患者の方は、引きこもって寝たきりの方が多いと聞きます。でも、外に出て行って人と接することが確実にPLSのリハビリになっているし、安心できるコミュニティがあることで、おだやかな充実感を得られています。こうして安心を感じられることもまた、PLSの進行を遅らせることにつながっているのではないかと思います」

明るい未来を信じられた時、検索ワードが
「難病 自殺」から「寝たきり 幸せ」に変わった

こちらの質問に、一つひとつ真剣に、丁寧に答えてくださった落水さん

「こういう病気になると、暗い未来しか待ち受けていないと、潜在的に思い込んでしまうんですよね。僕がそうだった。まだ起きてもいないことに悩んで、暗い未来を見ようとして、自分を苦しめていた」と振り返る落水さん。当時、落水さんが検索していたキーワードは「難病 自殺」「難病 寝たきり」「難病 安楽死」といったものばかりだったといいます。

「でも、病気があっても明るく生きている人に実際に会いに行って、明るい未来があるのかもしれないと思えてからは、検索ワードが『難病 仕事』『寝たきり 幸せ』に変わりました」

ALSの中野玄三さんと。「中野さんとの出会いは、寝たきりの未来は暗く最悪と考えていた僕の意識を変えてくれました。寝たきりでも楽しく過ごし、バリバリ働くこともできるという明るい未来を見せもらい、僕も明るい未来を作るんだと思わせてくれました」

「寝たきりでも超幸せそうな人がいるという明るい未来を見せてもらったので、僕も、誰かの明るい未来になれたら嬉しい。『おっちー(落水さんのニックネーム)だから明るくいられるんだ』って時々言われるけど、そうじゃない。僕は歩けないし、寝たきりになるし、才能もない、ただの凡人です。ただ運が良くて、いろんな人に出会い、つながれた」

落水さんは現在、同じように難病や障害、家庭環境などで不安や悩みを抱えている人が、運頼みではなく、いつでも人や情報とつながれる「福祉や医療の駆け込み寺」を作るべく、福岡県北九州市で「おっちーハウス」を開放しています。

「すべての経験に、意味がある」

化粧品メーカーでバリバリ働いていた営業マン時代の落水さん。「双子の片割れとのツーショットで、私は左側です」

新卒で化粧品メーカーに就職し、朝から夜中まで働き詰めの毎日を送っていたという落水さん。その後、先輩が起業する際に声をかけてもらい転職。すると今度は給料の未払いが続き、「会社のために僕も必死だった」と振り返ります。

「(住んでいる)福岡から営業のために夜行バスで東京へ行き、どうにか契約にこぎづけて、年内はなんとか会社は潰れずに済むと思っていたら、そのお金もすべて、先輩の借金の返済に消えました。すでに結婚して二人の子どもがいたので、すごくしんどかった」

もうこれ以上続けることはできないと先輩の会社を辞め、安定を求めて転職した直後、足に違和感を覚えるようになりました。PLSの症状が出始めたのです。

「先輩はその後、亡くなりました。そして転職した会社で、当時はまだPLSと診断はついていませんでしたが、病気のために体が思うように動かない僕は、いじめに遭いました。すごくつらかったけど、それらの経験も今、すべて生きています。人の痛みをそれまで以上に知ることができるようになりました」

「PLSの症状が出る前、思い返すと予兆だったのだろうということはありました。先輩の会社にいた頃、夜寝ている時に、ふとんがびしょびしょになるぐらい汗をかいていました。尋常ではなかったし、あの当時のことは、今思い出してもすごくしんどい。確かに健康体ではあったのかもしれない。だけど、今よりもずっとずっとしんどかったんです」

「本当の自分」と向き合った時間

講演会にて、客席にいる一人ひとりに向けて語りかける落水さん

ついに歩けなくなった落水さんは、会社を辞めざるを得ませんでした。その時、長女は小学1年生、次女は保育園。症状のあまりにも速い進行からして、あと3年で寝たきりになると思っていた落水さんは、「寝たきりになるまでに、子どもたちのために何かを残さないとマジでやばい」と焦りました。

ちょうどそんな時、宮崎の病院に1ヶ月間リハビリ入院し、この時初めて、自分の時間ができたといいます。

「病院を出たら、娘たちのために働かなければいけない。寝たきりになる自分に何ができるのか、病気や就労に関することだけでなく、それこそ宇宙やスピリチュアルといった世界にも、映画や本を通してたくさん触れました」

「あれだけ本を読んだり映画を観て情報に触れた時間は、僕の人生で後にも先にもこの時だけです。『こんな生き方もあるんだ』『こんな考え方もあるんだ』…さまざまな知見や価値観に触れながら、自分自身を見つめ直していました」

宮﨑にある病院にリハビリのために入院していた頃の落水さん

「『こんな生き方ができるんだったら、僕もやってみたい』と思って、でも『この人、お金持ちだからこれができるんじゃん』『自分にできるわけないじゃん』とマイナス思考からスタートするんだけど、探せば何か道はあって」

「映画を観て、本を読んで、SNSで検索して…。それをずっと繰り返しながら、自分の心を整えていったんだと思います。あの入院の時間がなければ、今の僕はありません。本当の自分と向き合うことができた、とても大切な時間だったと今になって思います」

入院中、ノートを購入した落水さん。

「自分は何にワクワクするのか、何が好きで、どんなことに癒されるのか。夢は何で、どんなことをしたら心は喜ぶのか。…書こうとしたけど、全然わかんない(笑)。考えても何も出てこなかった」

「それもそのはずで、それまでの僕はずっと、ただ毎日に翻弄されて、『自分の幸せは何なのか』と向き合うことをしてこなかった。『自分の幸せ』は、ずっと置き去りにされていたんです。一番大事なことが、ずっと手つかずだったんですよね。だけどPLSになって、そのことに気づけたんです」

「毎日ワクワクできたら、超楽しいに決まっている。それは誰でもそうなはず。でも『自分の幸せを見つけよう』という言葉はありきたりで、大切さに気づくことは容易ではありません。でも、やがて寝たきりになる僕が言えば、もしかしたら耳を傾けてくれて、心に響くことがあるかもしれない。『私もやってみようかな』って思ってもらえたら、すごく嬉しい」

「皆、本当は、自分の心が
100パーセント満たされる選択ができる」

仙台へ講演に訪れた際の一枚。「仙台に住んでいた時に行きつけで、お世話になった居酒屋の常連で顔馴染みだった方が、僕の講演会を仙台で主催してくださり、たくさんの方にお世話になりました。写真はその居酒屋前での一枚です」

「『PLSになる前に戻れるとしたら?』という質問をよくもらうのですが、僕はPLSになったから、本当に大切なことに気づくことができた。PLSは僕の武器」と落水さん。

「もしPLSになっていなかったら、今でもやりたくないことをやって生きているとしたら…。考えただけで恐ろしいです。人は皆、今を選択して生きています。皆、本当は自分の心が100パーセント満たされる選択を選べるはずなんです」

「なのに、『からかわれたらどうしよう』とか『変に見られるかも』とか、理由をいっぱい並べて、わざわざ心が満たされない方を選択して、さらにそれを繰り返している。僕がずっとそうだった。自分の心が満たされない選択を、あえてずっと選んでいたんです」

「『そんな自分を、自分で好きになれるわけないじゃん』と思って。小さなことから、自分の心を満たせる選択をするように意識を変えました。最初は難しいけど、心の声に従うこと。失敗してもいいんです。失敗したら、それでも逃げずにその道を選んだ自分を褒めてあげること」

「僕は、それができるようになって初めて、自分を認め、愛せるようになったし、どんなに小さくても良い、日々の生活の中で前向きな選択を繰り返すことで、目の前の景色が、ゴゴゴ…と劇的に変わっていきました」

「僕は寝たきりになるけれど、
明るい未来を見ると決めた」

九州市の子どもたちを対象に、心を耕し、希望の種を蒔く「夢授業」を行うボランティア団体「キャリア教育研究会」会長の木原大助さんと。「木原さんと出会い、夢授業と出会えたことで、はじめて役割をいただき、生きる力をいただきました」

進行性の難病であるPLS。今、落水さんに見えている未来を聞きました。

「漠然とだけど、周りに笑顔の人がたくさんいて、皆が楽しんでいる場面、それしか浮かばない。それしか見えていません。だけどそれを強く思い描くがゆえに、時間がないと焦ったり前に進めていないと自己嫌悪に陥ったりする時期が、正直コロナのこの2〜3年、ありました」

「楽しそうなことをやっている人を見れば見るほど、落ち込んだりして。でも、すぐにかたちにならないこともある。まずは今を楽しむこと。そして、楽しみながら、目の前のことを一つずつかたちにしていく。それ以外は、考えるのはやーめた!(笑)」

「僕は今、元気だった時には感じたことがなかった幸福感に包まれて、毎日を過ごしています。大変なことはたくさんあるし、ハッピーだけではいられないこともたくさんあります。だけど、とらえかた一つで物事は変わります。『とにかく全部がハッピーなんだ』って、自分の人生を受け止めて生きていきたい。僕は、明るい未来を見ると決めたから」

落水さんの活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、7/31〜8/6の1週間限定でTEAM PLSとコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円がチャリティーされ、落水さんの各地での講演のため、またおっちーハウスの運営費として活用されます。

1週間限定販売のコラボデザインアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもバッグやキッズTシャツなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、「PLS」、Peace(平和)、Love(愛)、Smile(笑顔)という文字をストレートに描きました。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!
こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

・治療法未確立、100万人に一人の難病PLSを発症。「やがて寝たきりになるけれど、未来は明るい」〜TEAM PLS

「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は400超、チャリティー総額は8,000万円を突破しました。

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