婦人服、紳士服、子供服さらにはバッグまで取り扱う世界的なファッションブランド「アニエスベー」。流行にとらわれないシンプルなデザインが老若男女の支持を受けています。(オルタナS編集長=池田 真隆)
そんなアニエスベーですが、1975年の創業当初から社会貢献活動にも積極的でした。注目なのは、その取り組み方にあります。デザインと同じで、流行にとらわれることのない、独自のスタイルを社会貢献でも貫きます。
” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” class=””]アニエスベージャパンのローランパトゥイエ代表取締役社長に「どんなスタイルですか?」と質問すると、これまたデザインと同じくシンプルで分かりやすい、「常に自由でいること」という返事が返ってきました。
創業者で世界的なファッションデザイナーのアニエスベーは今の社会をどう見ていて、そして、企業の社会貢献活動をどう考えているのでしょうか。
アニエスベー本人とも頻繁に連絡を取るパトゥイエ社長によると、「アニエスはあまり話したがらないシャイな一面もありますが、彼女の目線には優しさを感じます。支援する人や環境を家族の一員として見ているようです」と述べます。
■デザインは「1秒で判断」
「agnès b.」――ファッションに詳しくない人でも、このロゴは、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
このブランドの創業者はフランス・ヴェルサイユ生まれのアニエスベー。78歳になった今もデザイナーとしてすべてのアイテムをチェックし、その服を世に出すかどうか、瞬時にデザインを見極める目は健在とのことです。
消費動向や時代の潮流によって、売上不振に陥ったアパレルブランドは多く、そうしたことを背景にM&A市場ではアパレル業界の案件が活況を呈しています。そんな中でも、アニエスベーはどこの傘下にも入らずに成長を遂げてきました。今では、フランスのほか英国、米国、日本など世界8カ国に支社を構えます。
「アニエスベーにとって、サステナビリティはブランドの土台にあります」と強調するのは、パトゥイエ社長。その言葉通り、長く愛されるタイムレスなデザインだけではなく、長年の現地調達、現地生産は、生産者とのかかわりをとても大切にし、輸送によるCO2排出量を抑えてきました。アニエスベーのアイコニックアイテムでもあるカーディガンプレッションは、1979年に生産されて以来、原材料の調達と生産はフランス、また、岡山県 児島産のアニエスベージーンズは厳選された長年のパートナーによる日本国内の現地生産にこだわっています。
■探査船の購入からHIV/AIDS啓発まで
アニエスベージャパンでは、サステナビリティ活動の「柱」と呼ぶ3つの活動があります。まず一つ目が、「タラ号プロジェクト」。タラ号とはアニエスベーが資金を出して買い取った海洋科学探査船を指します。
2003年から気候変動と環境破壊が海洋生物に及ぼす影響について研究を行ってきました。これまでに北極、南極、太平洋、地中海などで温暖化、プランクトン、サンゴ礁、マイクロプラスチックなど12の調査を施行してきました。
「アートがないと仕事ができない」と言い切るほど、アートへの造詣が深いアニエスベーがサポートするタラ号プロジェクト。タラ号にはクルーとしてアーティストも乗船します。彼らが海で体感したことをもとにつくった作品を発表する機会も提供しています。
二つ目が、「b. green」と呼ばれる環境活動です。この活動が起きたきっかけは、フランス本社で監査が行われたことにあります。ただ、この監査はアニエスベー本人の呼びかけによるものでした。
2006年にフランス本社で、環境における負の影響を洗い出すと、社員有志による委員会が結成されます。すると、「炭素排出量を測定すべき」「道徳基準を作りたい」「環境に優しいエコバッグを導入しよう」「ハンガーはプラスチックから木製に切り替えよう」――など、その委員会主導で社内から次々と改善項目があがったそうです。
アニエスベージャパンでも、「b. green」活動に注力。たとえば、今年7月からアニエスベー渋谷・銀座・名古屋各店のカフェで提供しているテイクアウトドリンクのカップ、カップの蓋、そして、ストローはすべてプラスチック不使用、リサイクル可能な紙素材のものです。
最後の柱は、アニエスベー本人が資金を提供するアニエスベー財団・基金を通じた社会貢献です。支援するのは、主に「人権・個の尊重」「環境」「文化・芸術」――の3領域で活動するNGOなどの団体。
中でも、HIV/AIDSの啓発活動は古くから続けてきました。1995年からは「ご自由にお取りください」という言葉を添えて、店舗でコンドームを無料配布し、季節に応じてコットンやウール素材で販売する赤いマフラーの収益はエイズ患者を受け入れる組織や病院に寄付しています。このマフラーの寄付は1988年から30年以上続けています。
■アニエスベーの原体験に貧しい生活
この3つの柱はすべてアニエスベー自身の考えから生まれたものですが、彼女の素顔はワンマン経営とは違うようです。パトゥイエ社長はこう述べます。
「困っている人やマイノリティーを支援することは当たり前だと考えていますし、アニエスベーは自身の影響力や資金力を、必要としている人とシェアをすることを前提にモノゴトを考えています」
彼女がマイノリティーへの優しい目線を持てるのは、波乱万丈な人生が起因しているのかもしれません。ヴェルサイユで裕福な弁護士一家に生まれますが、17歳で家を出る形で結婚をしています。
若くして子どもを産むもそのあと離婚をし、子どもを連れ、経済的にも難しい生活を送ります。こうした大変な経験があることで、彼女自身にマイノリティーへの優しいまなざしがより一層つちかわれたのかもしれません。
パトゥイエ社長は、「社会や環境課題を理解した上で経済を回すことが大事。そして、もっと大事なことはそのことを我々のスタイルで実施することです」と言い切ります。