2008年、「住み開き」を提唱しはじめた当時、アサダさんは大阪市の事業としてアートプロジェクトに取り組んでいた。

アサダワタルさん

「事業って実施年度が決まってるんですよ。僕らがわーっとやっても、時期が来て僕らが去った後に何も残らないかもしれない。何かやりたい人、市民の人たちが、つくり手になっていく仕組みをつくる必要を感じていました」。

時期を同じくして、アサダさんは「208」という場にかかわるようになる。みんなにとってのセカンドオフィスであり、セカンドハウスのような場。「リビングで打ち合わせをしていたら他のメンバーがパジャマで現れた」というエピソードに象徴されるように、プライベートとパブリックの中間ぐらいの感覚で、メンバーがこの場を使っていたという。

「208で何かイベントをやると、来た人の心のモードが、普通にイベントに来てるときと違うんです。誰がゲストで、誰がスタッフとか関係なく、みんながつくり手に近いような感覚。この感覚を、市の仕事でやってることに、持ってこれないかと」。

そんな思いから生み出された「住み開き」という言葉とライフスタイルは、じわじわと波及し、今や全国に広がった。子育てサロン、学びたいことを持ち寄って学ぶ大学、こどもたちが集まれる文庫、アーティスト集団のシェアハウスなど、それぞれの趣味や仕事、個性を生かしながら、自宅を開く人がどんどん現れている。

これまでつながらなかった人同士がつながる、というおもしろい現象

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