リオ+20という言葉を初めて聞いた方へ。
この特集では2012年6月20日から22日にかけて開催されるリオ+20について総力取材していきます。毎週月曜日と金曜日に更新します。【1時間目】は「リオ+20とは何か」というテーマで全体概要について、【2時間目】はリオ+20に向けての日本国内での動きをご紹介しました。【3時間目】は地球サミット2012JAPAN代表の佐藤正弘さんのインタビュー記事を掲載しました。【4時間目】はセヴァン・スズキさんの伝説的スピーチを紹介しました。

5時間目の今回は、1992年からの2012年までの20年間での変化(第二部)です。前回で紹介したセヴァン・スズキさんのスピーチはお聞きになりましたか。今回は、そのスピーチの中で述べていた「争い」に着目して20年間を振り返っていきたいと思います。

ここでは、1992年から2012年の20年間で起きた戦争の中から、1990年代に発生した争い事を取り上げて紹介したいと思います。次回の第三部では2000年代に発生した争いごとを紹介します。

世界中に衝撃が走ったルワンダでの大量虐殺

■改めて見直す、植民地政策の是非

・ルワンダ紛争(1990〜1993)
アフリカ中央部にあるルワンダにおいて発生した大紛争です。
犠牲者数は明らかにされていませんが、推計50〜100万人とされ、ルワンダの全国民の10%から20%と言われています。

この紛争が起こった背景には、先進国による誤った植民地政策があります。
この紛争は、ルワンダのツチ族とフツ族の内乱です。元々、同国では少数派であるツチ族が人口の9割を占めていたフツ族を支配していました。

しかし、ヨーロッパ的な封建社会ではなく、大変穏やかで限定的な支配だったと言われています。ところが、ルワンダを植民地支配していたベルギーとドイツは、この事情を知らずに、より封建的な支配へと変革させるように指示してしまいました。

そうして、フツ族はツチ族の支配に苦しむようになり、紛争の起因となりました。さらに、内戦末期には、フツ族によるツチ族の大量虐殺が起こり、これをルワンダ虐殺と言われています。

ルワンダ虐殺と紛争を合わせて、推計150万人以上の犠牲者が出ました。まだ幼い児童は強制的に少年兵として戦場に出され、少女はレイプ被害を受けました。
誤った植民地政策によって、穏やかな国を変えてしまったこの紛争は、これまでの20年間で絶対に忘れてはいけない事件の一つです。

当時の様子を勉強にするのに、適した映画があります。それが「ホテル・ルワンダ」です。

ルワンダ紛争によりフツ族過激派が同族の穏健派やツチ族を120万人以上虐殺するという状況の中、1200人以上の難民を自分が働いていたホテルに匿ったホテルマン、ポール・ルセサバギナの実話を基にした物語です。

過去を学ぶ映画として、オススメの映画です。

http://www.youtube.com/watch?v=q7F0l5BUVyA

以上で【リオ+20講座5時間目】1992年から2012年の20年間で起きた環境の変化(第二部)を終わります。次回は、4月30日(月)に更新します。内容は、1992年から2012年の20年間で起きた環境の変化(第三部)です。楽しみにお待ちください。