*この記事は、日仏 伝統職人技術交流国際ワークショップ2012 ものづくりが、国境を超えて「職人の心」を確かに繋げた日」からの転載です。(文・河野直)


この記事は、パリのある木工房
職人3代 110年の歴史に初めて足を踏み入れた、
「日本の宮大工」のストーリーを記録したものです。

とても長い記事ですが、多くの人の目に止まり、
感動が伝わることを願って。 


bottaliという名の木材加工場がパリのこの町に生まれたのは、1910年のこと。
創業当時の貴重な写真にも見られるように、パリの家具や建築文化を支えたたくさんの木工職人の集まる場所でした。工業化の波に押され、木工工房も数える程にまで衰退してしまったcharonnneの町。この町に、日本の宮大工が突然やってきたのは、工房が生まれたその110年後のこと。

「日本で消えゆく伝統職人技術を、世界に伝えたい」

パリの親方職人ローランと、相良棟梁


約1年前そんな構想を始めて、「パリで実現する」と宣言したのは、今から三ヶ月前のこと。でも実際には、具体的な話を進められずに、実現は半ば諦めかけたままパリへ。

“日仏 伝統職人技術・交流ワークショップ 2012″
ものづくりが、国境を越えて「職人の心」を確かに繋げた日。

パリの職人たちと日本の棟梁の間で始まった、技術交流ワークショップ。わたしたちの感情を大きく動かしたこの大きな一歩を、今日はしっかりと記録したいと思います。

嬉しくて嬉しくて、長くなりそうですが、どうかご辛抱を。

2012年7月25日。
それはあまりにも自然なことの様に。
パリの職人と日本の棟梁の間で始まった、技術交流ワークショップ。

ここcharonneの木工房との出会いは、パリ市内の内装施工プロジェクトで、相良棟梁と私たちが、工房の一角をお借りして加工作業をさせていただいたことでした。

工房としても、110年の歴史の中で日本人を受け入れたことは初めてのことで、その日以来この工房には、フランスの木工職人と、日本の棟梁が、少し離れながらもお互いを気にしながら、共存して作業を進めていきました。



コトの発端は、パリの工房に積み重なった’ふたつ’の「かんな屑」

宮大工 相良棟梁のかんなから、向こうが見えるほど薄くて長い「かんなくず」が勢い良く生産されていく様子は、 工場オーナーのローラン初め、工場の職人さんたちの注目を集めるのに長い時間を必要とはしませんでした。



「どうやってこんな薄く加工するんだ?」

工房を借りて3日目のこと。工房親方職人のローランそんな一言が、異国の木工職人の間にあった見えない壁を取払い、まるでお互いがその時を待っていたかのように、国境を越えた、技術交流が始まったのです。

そして、パリの小さな町charonneで始まった、日本人3人、パリの職人4人による、 「’ふたつ’のかんな」にまつわる、ちいさなワークショップ。

「こっちのかんなは、こうやって押して使うんだ」
パリの親方職人ローランが実際にわたしたちの手を取って、教え始めて下さったのです。

倉庫の奥の方から久しぶりに取り出したフランスの手がんなの錆び付いた刃を、ローランがわざわざ前日に研いで用意してくれていました。「コモサ!(こんな風に)」と言って、目の前で使い方を実践して下さいました。



「日本の鉋と力の入れ方が全く違う。腹筋に力が入らなくて難しい」引くのではない’押す’鉋は相良棟梁にとっても初めてのことでした。

何より初めに私たちを驚かせたのが、フランスのかんなは、「引く」のではなく「押して」木を削っていくこと。自分からかんなを押して遠ざけるようにして、がりっがりっと木の表面を削っていきます。

「ヨーロッパの堅い木を、力を入れて削るのに向いている。日本の鉋ほど薄く細かい加工はできないよ。」

ヨーロッパの石造りの古い建物の柱や梁をイメージすると、日本のそれと比べると、確かに荒々しく露骨な表面をしています。人の手仕事のあとが残るそんな愛着ある表現や空間が個人的には好きですが、道具にもそんな表現の理由があるのは、当たり前の様で、とても興味深いことです。



とても分厚くて細かいかんな屑。記事のはじめに載せた日本のそれとと見比べてみて下さい。

「削る仕組みとか刃の形状はほとんど同じなのに、動きだけ正反対なのは、不思議」と相良棟梁。余談ですが、実は日本の大工技術の元となった中国のかんなも「押す」のだそう。なぜ日本だけ「引いて」使うかんなになったのか?、とても興味深いところです。

Workshop Session②JP→FRA
「引いて」使う日本の鉋を、日本の職人に学ぶセッション

「まずは、ぼくが削るのを見ていて下さい」宮大工 相良棟梁によるデモンストレーションが始まりました。

そして今度は、相良棟梁が講師役に回る番がやってきました。「講師」といっても、もちろん口で説明するのではなく、「まず実践して見せて教える」。そのスタイルは日本にいてもフランスにいても変わらない様です。



「引くかんななんて、見たこともないよ。やってみたかったんだ」日本の鉋に一番に挑戦したのは、工房最年少の職人の卵、ソレン。

作業初日から、一番の興味を示してくれていたソレン。(わたしたちも「愛」と書いてある彼のTシャツには、興味津々でした。)さすが職人の卵、一発で薄く削った「かんなくず」を、感心して眺めていました。



” Try ? ” 相良棟梁が周囲に声をかけると、離れて見学していた職人たちも続々と挑戦し、場に熱気が生まれていきました。

「はじめに角を削るんだろ?」作業をよく見ていたダリアン。丁寧に角を落としてから、表面を削りました。”見て盗む” 体で仕事を覚える職人の世界では、世界共通の「学び方」なのかもしれません。



「日本の鉋は、刃の出具合の調整はどうやってするんだ?」最後に、ワークショップ中誰よりも楽しそうな、3代目親方職人のローランが、日本の鉋を手に取りました。

刃の出の調整からやってみたいとチャレンジしたのは、親方のローラン。他の職人がチャレンジする前に削りやすいよう「刃の出」を調整していた相良棟梁の動きを、本当によく見ていました。( 相良棟梁に教えられて、かんなのお尻の部分をゲンノウで叩きますが、そう簡単にはうまくいきませんでした。)



「すごく感覚がいい。国がどこだろうと、職人は職人なんだ。」
棟梁も感心しながらローランの動きをしっかりと見つめました。

しっかりと道具に目を据えて、丁寧にかんなを引くローランの動きに、相良棟梁も感心しました。ローランがかんなを引くと、ひゅうっと長く薄いかんなくずが舞い上がり、「おお!」と場が盛り上がりました。(相良棟梁の親指にご注目ください!)



「遠く日本には、こんな伝統がまだ生きていると知れて嬉しいよ。」セッション終了後そう言って、ローランが私たちを案内したのは、工房の奥、埃をかぶった古い機器たちのある場所でした。

古くはナポレオンの時代から伝わる家具の装飾のパターンの数々。堅い木材にそれらを巧みに削り込むための様々な古い機器たちを、「きみたちに見せたいものがある」と言って本当に嬉しそうに、見せて下さいました。



「この機械はもうほとんど使わない。でも、これで家具を作るのがぼくは好きなんだ。」

「食べていくにはこれだけではだめだけど、週末には今でもやるんだ」今の仕事の状況や社会がどうであろうと、’つくりたいもの’がある。そんな職人の魂のようなものがローランの目の奥できらっと輝くのが、わたしたちにも分かりました。



‘ふたつのかんな’ から始まった、ワークショップ。ふたつの国の異なるものから学び合って、わたしたちの心に最後に残ったものは、国境など関係なく私たちの心で確かに響き合った、同じ「ものづくりへの思い」でした。

ワークショップの最後に相良棟梁が口にした言葉がとても印象的だったので、その言葉で、このワークショップレポートを締めたいと思います。

「この人たちは、職人なんだね。職人の気持ちは、日本もフランスも変わらないのかもしれない。それを知れて、すごく嬉しい。」

ワークショップを経て感じた。ものづくりの未来について、2つのこと。

「心あるものづくりは、国境を越える。」

心あるものづくりは、国境を越えて、人と人の心を結ぶ。
世界に目を向ければ、心あるものづくりをしている人たちは実に様々居て、それぞれの風土や文化に合わせて洗練された表現や方法があるのだと思います。同時に、表現や方法が違えど、自分の頭で考え自分の手で心を込めてものをつくりだすことは、風土や文化に左右されることなく、わたしたち人間の心の根本の部分に、生き生きとした喜びや感動を与えてくれるものなんだと、感じました。

「私たちは、日本が誇るべき手仕事の文化を絶やしていけない。」

過剰な大量生産効率化社会の中でも、この大切な選択肢が、決して消えることのないよう、この選択肢がより多くの人に心の豊かさや幸せを与えるものであり続けるよう、わたしたちは努力していこうと思いました。日本に生まれ、手仕事の感動を心と体で感じた限り、それを世界中の多くの人に伝えることが、わたしたちのこれからの任務なんだと、改めて。
そして、「 伝えようとすれば、確かに伝わる」ことを、わたしたちは知りました。

パリのとある木工房で起こったのは、
日本人3人とパリの職人4人の小さなワークショップ。
でも、大きな、大きな一歩。


つみき設計施工社LLC.