山深い村で牧夫が山羊を飼っている。教会の床のほこりを水に溶き、毎晩、薬替わりに飲んできた牧夫はある日、静かに死ぬ。仔山羊が生まれる。溝にはまって群れからはぐれた仔山羊は、樅の木の下で眠る─。
セリフはない。牧夫も炭焼きもみな実際の村人だという。南イタリアのカラブリア地方で撮られたこの映画、山村の生活を淡々と追う記録映画のように見える。だけど、どこか違う。 村人たちの行列が坂道を降りてくる。一匹の犬が駆け出し、車止めを外す。車は坂を下り、道端の柵を壊す。柵から山羊の群れがぞろぞろと出てくる。
そう。犬が、山羊が、演技しているのだ! 9分近く回しっぱなしのカメラがとらえたこのシーン。いったいどれだけリハーサルをしたことやら。山羊たちは無人の村に入り、家々の中に我がもの顔でたたずむ。そこにこの映画の主題がある。
人も山羊も樅もみの木も炭も、この村の自然なサイクルを対等に構成している。それぞれの命が尽きては、また別の命が生まれる。巡りゆく命をリアルに切り取り、詩的に物語る。無言で、何も押しつけない。ただ眼が思考する。至福の映画だ。 (古賀重樹)