国連WFPは「給食(お弁当)の思い出」をテーマにエッセイコンテストを実施している。世界では、8人に1人が飢餓に苦しむ中、貧困に目を向けてもらうことが狙いだ。同コンテストの特別審査員を務める音楽評論家の湯川れい子さんは、「今日食べるものがないという現実を想像してほしい」と訴える。戦後の貧困を経験した湯川さんに、平和の尊さを聞いた。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆)
■分け合えば足りて、奪い合えば足りない
――エッセイコンテストに参加する意義を教えてください。
湯川:このエッセイコンテストに参加することで、どうすれば地球に暮らす人同士が傷つけあったりしないで生きていけるようになるだろうか・・・と考えるきっかけになるのでは?と思います。たとえそれが短いエッセイでも、食べ物があふれる中、約9億人が空腹のまま生きる現状を考える機会を持つことが大切です。
――湯川さんは、インドやフィリピンなど様々な国に行き、貧困で苦しむ子どもたちと出会ってきました。
湯川:はい。今日食べられるものがないということがどれほど大変なことか。日本では、食べられない人が増えていると聞きますが、それでも国や自治体など、保護してくれる場所があります。
ところが、世界には戦火にさらされていたり、避難民として、過酷な貧しさの中にある国もあります。
――貧困問題に関心を持った背景は何があるのでしょうか。
湯川:私は今年で77歳になりますが、第二次世界大戦の戦後を体験しています。髪の毛にシラミがたかった同級生らと校庭に並ばされて、DDTをかけられたり、路上で靴磨きをしている戦災孤児などを見てきました。
私の家族も食べるものがなくて、かぼちゃのつるとわずかなうどん粉で、すいとんを作ってしのいでいました。つまり、飢えを知っている世代です。戦争の悲惨さを体験している世代だからこそ、語り継いでいかないといけないと思っています。
世界の紛争地では、いつも対立し合っています。しかし、それでは何の解決にもなりません。お互いに助け合わなければ平和の構築はできませんし、それが難しいところです。
限られたものは分け合えば、十分に行き渡りますが、奪え合えば足りなくなります。戦争や紛争に莫大なお金をかけるのではなく、今すでに持っているものを効率よく分け合うことが、幸せに生きていく方法論だと思います。
■マッカーサー「憲法9条は理想」
――時が経ち、戦争を体験をした世代がいなくなっています。戦争を体験した世代がいなくなることでの影響も出てくる気がします。
湯川:それは痛いほど感じています。映画で戦闘シーンはたくさんありますが、ゲーム感覚で見てしまうと、どっちが勝って、どっちが負けたのかという点にしか注目しません。
例えば、アメリカのイラクに対する空爆のときも、ピンポイントで敵を攻撃できたのかという話題が中心でテレビ放送されていました。ピンポイントで当たらなかったかもしれないし、その爆撃によって、周辺では子どもたちが犠牲になったかもしれないのに。これは怖いことです。
そして、今は尖閣問題が騒ぎになっていますが、私は、目の色を変えて抗議しなくてよいと考えています。粘り強く外交をしっかりとしていけばよい、と。だって、仮に一人でも殺してしまえば、終わりでしょう?戦争なんて、あっという間に始まるのだから。
今までは憲法9条があるおかげで、戦闘を避けられて、人を殺さないで済んできました。この憲法の尊さを、もっと国際的にPRしていくべきなのです。
日本国憲法はアメリカに押し付けられた憲法だと言われていますが、幣原内閣総理大臣が9条をつくりマッカーサーに届けた様子を記した文書が、国会図書館に保管されています。
その文書では、幣原総理が、「私は核兵器の恐ろしさを見ました。もし、軍拡をしたら、人類は戦争の惨禍からは逃れられない。たとえ、頭がおかしいと思われても、絶対に戦争をしない。軍隊を持たない覚悟を決めるしかないと考えている」とおっしゃったと、書かれています。
この言葉を聞いたマッカーサーは、幣原総理の手を握り締めこう返しました。「確かに狂人扱いされるかもしれないが、とても大事なことだ。それは、われわれが理想とすべきことだ」と。
戦争をしないことは人間の倫理として必要なことです。この憲法は、悲惨な教訓の上にできあがったものだから、成り立ちを伝えていきたいのです。憲法改正問題は、もっと議論して決めなくてはいけないと思います。
それに、憲法改正で怖い点は、9条だけではありません。人権と表現の自由の問題も重要です。日本国憲法は、「結社、発言、宗教」などが自由でしたが、自民党の改正草案には「公の秩序に反した場合は禁止」とされています。公の秩序を決めるのは誰でしょうか。
■どんな理由があっても争ってはいけない
――湯川さんの給食の思い出はありますか。
湯川:戦後、食糧がないときに、小学校に送られてきたララ物資のことはよく覚えています。一人ひとりに物資が届けられ、ビスケットや粉ミルクなどが入っていました。脱脂粉乳のミルクの味はまずくて忘れられないですね(笑)。お米のぬかを溶いたような味でした。でも、当時はそれでもありがたかったですね。
――戦争を体験した世代として、若者たちに伝えたいことはありますか。
湯川:世界中には、お腹が空いていても、一日一回のご飯も食べられないで死んでいく子どもたちがたくさんいます。天災の影響だけではなく、人々の争いによって、そういう状況下に置かれている国もあります。どんな理由があっても、人が人を殺してはいけません。このエッセイを機会に考えてほしいです。
常に、平和の中で生きていくためには、どうすればよいだろうかと考える必要があります。ただ、DNA的に男性には難しいことなのかもしれませんね。なぜなら、男の人の本能があるからです。男性性というか、男の人の本能は、時として、人を凶暴にさせます。
私が印象的だったのは、昔ビートルズが来日したときです。女性たちは皆「キャーキャー」と騒ぎましたが、男性たちは一様に「ムスッ」とした態度をとりました。おそらく異国から来たわけのわからない男たちに、自国の女性たちがメロメロになっている状態に危機感を抱いたのではないでしょうか。
でも、平和な社会を実現するためには、対立し合うのではなく、お互い相手を理解し、話し合わないといけません。男の人には、平和な社会を実現するために何ができるのかを考えて欲しいですね。これは、男の人が考え抜くしかない問題ですが、きっとできるはずです。
湯川れい子:
音楽評論家・作詞家。昭和35年にジャズ評論家としてデビュー。ラジオDJとしても活躍し、また、早くからエルヴィス・プレスリーやビートルズを日本に広めるなど、独自の視点でポップスの評論・解説を手がけ、世に国内外の音楽シーンを紹介し続け、今に至る。作詞家としては、代表的なヒット曲に『ランナウェイ』、『センチメンタル・ジャーニー』『六本木心中』、『恋におちて』などがある。2005年9月より国連WFP協会の顧問を務める。
国連WFPは、『給食(お弁当)の思い出』をテーマに「WFPエッセイコンテスト2013」を開催し、9月10日まで、小学4年生から大人まで幅広い世代の方からの作品を募集している。応募1作品につき、給食一日分にあたる30円が協賛企業の協力により国連WFPに寄付され、途上国における学校給食支援に役立てられる。
WFPエッセイコンテスト2013専用ウェブサイト:
http://www.redcup.jp/essay/2013
国連WFPホームページ:
http://ja.wfp.org/